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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第一章 初顔の訪問客
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3

 銀髪の教師が来て丸一日が経った。医者は習一を健康体だと診断し、とうとう普通の食事が取れるようになる。病院食は味付けも量も控えめだが定時に食えるので習一は不満を感じなかった。普通の人らしい生活を久々に送れている。ごく当たり前のことをありがたがるほど、すさんだ日々を過ごしているのだ。その暮らしは習一ができる父への反抗だった。

 地方の裁判所で小山の大将を気取る中年。それが習一の父だ。その役職上、身内に素行の悪い者がいると非常にばつが悪いらしく、習一を完膚なきまでに厄介者扱いする。だが父との衝突は習一が落ちぶれる以前からあった。

 習一には懸命に優等生をふるまう時期があり、その期間は不良時代よりも断然長い。優良児の頃から父は息子を疎ましく感じていた。父が己の若い頃と息子を比較して、その才覚の差に不満を抱えたのだ。父の嫉妬心は母との口論の際にじかに聞いてしまい、以後習一が学業に励むことは無くなった。

 そもそも習一が評判の良い学校へ入学した動機はひとえに父に認めてもらうためだった。同級生や世間の話題を参考にすると、子の成績がよければよいほど親は喜ぶ。そう信じて努力する健気さを習一は備えていた。だが習一が秀才になればなるほど、火に油を注ぐ結果になった。そして努力ではどうにもならない、父が息子を憎む最大の理由がもう一つある。それを知った途端、習一は両親を嫌悪し、また父の歓心を得ようと苦心してきた己を蔑んだ。

 習一の転換期は一度目の高校二年生の時だった。父への思慕が害意に変わり、自身の人物像は品行方正な秀才から愚昧な不良少年へと変貌する。根っからの不良とも交流するようになり、悪友とともに悪さをするたびに父の激怒を買った。その怒りは習一を正す叱責ではなかった。父自身の体面を保つための防衛策だ。利己心が子の心に響くはずはなく、誰も習一の暴挙を止められなかった。唯一止めたと言えるのは習一を病院送りにした張本人である。

 一昨日の警官が言うには、その悪党は習一以外にも被害者を出した。つまり警察がすぐに対処できなかった手強い犯人だ。悪党がどういった経緯で自分を狙ったのか、習一は興味があった。それを知るために銀髪の教師と共だって学校へ行くのは面倒だ。しかし、拒否することで生まれる余暇でなにをすればいいだろうか。

(なんにも……ないな)

 やりたいことはない。無為に時を過ごすだけだ。学校側が他校の教師の要求を飲んだとしたら、暇つぶしがてら付き合ってもいいかと思うようになった。

 習一は常食の許可が下りると点滴が外された。枷が外れたのを契機に、体力づくりとして院内の散歩を敢行した。平時は苦に思わない階段の上り下りで息が切れ、ふくらはぎや太ももが疲労する。次回からは運動の回数を分けようと思った。無理のない負荷を課すのと、貧弱な体を痛感する時間を短くするためだ。

 階下から自分の病室へもどる。引き戸を開けると室内に人影があった。肩にかかる長さの銀髪が真っ先に目につく。銀髪の人物は夏だというのに上半身を覆うケープを羽織っていた。その衣類は女物だ。

「あ、シューイチいた」

 銀髪の女は振りむいた。年齢は習一と同年代。瞳は緑色。銀髪の教師と同じく肌が浅黒い。女にしては背が高めだ。それらの身体的特徴は両者が兄妹のように思えた。

「お前、才穎高校の教師の知り合いか?」

「うん。シドの伝言を伝えにきた」

 少女は手中にある折りたたんだメモを広げる。紙がかさかさとすれる音と一緒に、習一が手を放した戸の閉まる音も鳴った。

「期末試験をうけられなかったかわりに、三日間の補習を来週やるんだって」

 あの教師は再試験の交渉をやり遂げた。それ自体は予想の範囲内だが、昨日の今日で詳細が決定するには急すぎる。

「その補習、別の生徒も受けるついででオレもやるのか?」

「ほかに補習をうける子が二人いるって。よくわかったね」

「うちの教師がオレ一人のために行動するはずねえからな」

「そうなの? そうそう、退院はいつできる? 補習にまにあうかな」

 退院日は聞かされていない。とはいえ医者が習一を健康だと判断している。

「医者をつっつけば退院が決まるだろうよ」

「まだ決まってないのね。シドにそう言っておく」

「ああ、そうしてくれ。これでお前の用件はおしまいか?」

「うん、おわり。シューイチからシドに伝えたいことや聞きたいこと、ある?」

「ない。どうせ肝心なことには答えてくれねえし……」

 習一は少女の頭髪を見て、ふっと言葉が湧いた。その当て推量は自身の金髪に当てはまることだ。

「あ、大したことじゃないが、一つ聞いていいか」

「うん」

「お前の髪、染めてんのか?」

「ううん、はじめからこの色。シドもそうだよ」

 教師らの珍奇な髪の色は生まれつきだという。習一はその事情を話半分にとどめて「そうか」とつぶやいた。役目を終えた少女は習一の脇を通り、病室の戸口へ行く。習一は彼女が退室する様子を見送らず、当初の目的通りに休む。一息ついて戸を見た時には少女の姿がなかった。ずいぶん動きが素早いものだと習一はささやかに感心したが、戸を開く音が全く聞こえなかったことを不思議がった。



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