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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第七章 追手
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2

 プール場にてシドと合流する。別行動の理由を尋ねると、彼は光葉の乗車を黒い仲間に教えてもらったと答えた。習一は追究したがイチカが遊泳を急かすせいでうやむやになった。

 泳ぐ最中もプール場を発ったあとも光葉に出会わなかった。無事に電車に乗り、習一とイチカはシドの隣りの席に座る。イチカは隣人の肩に寄りかかってすぐに寝息を立てた。威勢よく泳いだせいで疲れたようだ。習一もプール上がりのシャワーを浴びたあとは眠さを感じていて、座席で一息つくと眠気がぶり返した。

「オダギリさんも寝ていいですよ。私が起きていますから」

 疲れ知らずの引率者が不寝番を申しでる。習一は真面目がとりえの男に起床を託した。

 今朝の出発駅に到着し、一行は帰宅する。夕飯は外食にしようとシドが言い、荷物を置いてまた出かけた。食事の支度目的にイチカを呼んだとはいえ、疲れた彼女に調理させるのは気が引けたようだ。もしくは料理を作りに来た、というのはただの口実かもしれない。

 イチカのシドへの懐き具合は甚だしく、家事と入浴以外は片時も離れようとしない。昨晩ロフトベッドで就寝したイチカは当初、シドに共寝を求めた。それは父親を慕う幼い娘のような要求だ。いかがわしい行為目的ではないだろうが、シドは固く断った。寝床のない彼は一晩中ベッド下の机で過ごしており、シドの眠る姿を習一は見ていない。習一の知らぬところで休息するのか底なしの体力を持つのか、とかく謎の多い男だと改めて感じた。

 三人は和風の飲食店に訪れた。習一が一度来店した場所だ。店員の活気ある挨拶に歓迎され、四人掛けのテーブル席に着く。応対した店員は細身の若者、マサだ。彼は案内係の務めを終えて厨房へ入る。シドがメニューを習一とイチカに渡しながら「お話を聞けそうにないですね」とつぶやいた。イチカがきょとんとして「なんのことっすか?」と尋ねる。

「さきほどの店員さんにお聞きしたいことがあるのです。いつもお忙しく働いているので、勤務中は難しそうです」

「仕事のない時間か日を聞いて、会う約束をしたらいいっす!」

「私個人の頼みではどうにも……オヤマダさんから頼んでもらうのが適切でしょうか」

 シドはマサとの話し合いの場を設けようと考えている。それは習一のためだ。父との意思疎通ができずに出奔した者の過去を知ることで、習一の生き方の指標が生まれる。そのような考えからシドは段取りを練るのだ。善意が引き起こす計画を習一はつっぱねた。

「やめとけよ。他人相手に自慢にならねえ昔話は言いたくないもんだろ」

「おっしゃる通りです。ですから、マサさんと親しい方に口利きをしてもらいます」

「親に見放された可哀そうな野郎を憐れんでくれ、とでも言わせるのか」

「貴方が乗り気でないのならやめます。マサさんたちに無駄な迷惑をかけられません」

 シドは刺々しく言い返した。習一はむすっとする。相手の主張がもっともなだけに、口答えの隙がなくて押し黙った。険悪な空気を感じたイチカはメニュー表を立てて顔を隠した。ふっとシドは表情を和らげ「気分を悪くしましたか」と尋ねた。習一はうなずく。

「あんたにしちゃ、露骨に嫌味な言い方だったからな」

「貴方には日常茶飯事な言い方だと思いますが、自分にされるのは嫌なようですね」

「べつに、言いたきゃ言ってりゃいい。間違ったことは言ってねえんだから」

 マサとは別の店員が水の入ったコップを運んでくる。一人だけメニューを見ていたイチカは自分の分の注文をする。習一も前回頼んだ品を男性店員に告げた。この店員はノブを少し小さくしたような体型だ。店員が伝票ホルダーを片手に「先生は?」とシドに尋ねる。

「私は遠慮します。注文は以上です」

「了解! 早いとこ用意するからのー」

 店員は朗らかに答え、厨房に入った。イチカが「知り合いなんすか?」とシドに聞く。

「ええ、彼は私の教え子です。オヤマダさんとも仲が良いので、そこからオダギリさんの近況が伝わっているようです」

「? なんでオダのアニキのことを知ってるってわかるんすか」

「彼が何も知らなければ大騒ぎしたと思います。私とオダギリさんは……敵でしたから」

 シドと敵対していたことは習一も記憶がないなりに察している。イチカが習一を見て「そうだったんすか」と淡泊に納得した。習一がシドに害する人物だった過去には興味がないらしい。現在遊泳にまで同行する仲間だという事実を優先し、信頼したようだ。

「んで、あのほそーい店員さんに聞きたい昔話はどんなのっすか?」

「どうでもいいだろ。オレは聞く気ねえんだ」

「んじゃ、聞きやすいことを聞いてみたらどうっすかね。はじめは世間話をして、仲良くなるんす。そして本当の目的は最後に言う! これが交渉術っすよ~」

 イチカはシドに「ね?」と同意を求めた。シドは微笑んで「いいですね」と肯定する。

「もしマサさんが注文の品を届けてくれたら、その時になにか尋ねてみてはどうです」

「なんでオレが……」

「知りたいことがあるのでしょう? 無理に、とは言いませんが」

 他の店員が来た時は無効になる条件だ。習一は博打に乗った。するとマサが二つの丼を盆に載せてやって来た。テーブルの鉄板の横に丼を並べていく。その作業中に習一は対面する同行者二人の顔を見た。みな、楽しげな笑顔だ。習一の動向を伺っている。ここで習一が怖気づいて無言を突き通せば、あとでいじられるだろう。それは別段悪意のないからかいで済む。そうとわかっているものの、習一はその事態が自身の負けを認める気がした。

 マサが伝票を置いて去ろうとしたところを、習一は声をかける。

「えっと……ノブ、さんのこと……どう思う?」

「ノブさん?」

 マサは注文の品に無関係な質問を受けて唖然とする。だが嬉しそうな返答があった。

「あの人はいい人だよ。明るいし働き者で……」

 青年は「それに」と口元をほころばせる。

「いろんな考えを大切にするんだ。外国の友人が多いって話だけど、いろんな友だちができるのも人柄のおかげなんじゃないかと思う。でも、どうしてノブさんのことを?」

「オレ、ちょっと世話になったことがあって、気になったんだ。そんだけ」

 習一はこれ以上の会話を求めるつもりがなく、下を向いた。だがマサの足は遠のかない。

「ノブさんと知り合い? ああ、キリちゃんの友だちなのかな。あの人は娘の同級生も自分の子どもみたく扱うから……」

 ちがう、と習一は言いたくて顔を上げた。そこに悲喜入りまじった男性の顔がある。

「ああいう人が父親だったら……仲良くなれたのにな」

 マサは「洗い物がたまってるんだった」と言って業務にもどった。ジューっと物を熱する音が聞こえる。習一が卓上を見ると、シドがお好み焼きのもとを焼いていた。

「よい受け答えでした。その口調を続けましょう。余計な争いが起きなくなりますよ」

 彼の視線は液状の小麦粉に注がれている。気泡がぷつぷつと出てきた円盤を器用にヘラでひっくり返した。片手間に発した助言は世間話のノリだったが、その内容は習一と大きく相容れない処世術だ。継続的な実践は簡単ではない。それを軽く言う相手を習一はにらんでみた。シドは笑い返すだけで抗議の態度を見せなかった。



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