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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第六章 雲隠れ
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1

 夕飯時になると習一たちは猫らを別室へ移動させた。手作りの居住地と、購入したという猫用のトイレも一緒に運びおえ、小山田家の食卓が始まる。仕事のあったノブは途中から加わり、食後のデザートがあると知って喜んだ。彼は精神的な年齢でいうと小山田家の中で一番幼いかもしれない、と習一は裏表のない中年を評した。だが担任とは異なる幼さだ。向こうは身勝手な幼稚さがあるのに対して、ノブは周囲の者を尊重した上で少年の心を発揮する。目下な娘と対等な接し方をするあたりが顕著だ。

(こういう親がいりゃ、いい子ちゃんに育つわな)

 父と顔立ちの似た娘を見て思う。母と祖母もまた温和な性格ゆえに、性根の曲がる機会はなかったのだろう。絵に描いたような幸福な家庭だ。不公平、の単語が頭をかすめた。

 計十五個あったケーキ類は六人に均等に分配した。教師は一つだけでいいと言って四個余り、それらは小山田家の明朝のデザートに取っておく。残りを見た小山田が「チーズは茶トラでチョコは黒猫っぽいね」としょうもない置き換えをした。この女子は視界に猫がいない時も頭には猫が住みついている。こいつも動物好きか、と習一は内心呆れた。

 人間の飲食が済み、教師らが猫の様子を確認しにいった。居間にもどると元気があり余る子猫二匹を引き入れる。ダンボールの中で眠る母猫と茶トラの安眠目的で連れ出したという。猫用トイレ等を買うついでに得たおもちゃで、一家と教師が代わる代わる子猫をあやした。当初、野良猫の飼育に難色を示したミスミは笑顔で子猫を見守る。その喜色は猫や動物嫌いの人間には浮かべられないものだ。彼女もペットの愛育にはやぶさかではないのだろう。あの時の拒絶は純粋に、愛情をかけた対象が先立つもろさを嫌うようだった。

 教師が猫とのたわむれに満足がいったあと、習一たち客分は小山田家を出た。夜道をいく習一の足運びは鈍重だ。教師が「もう少し外をぶらつきますか」と聞いてきた。

「いや、いい。あんたに行きたいところがあるなら別だけど」

「特にありません。では、行きましょうか」

 実直な教師は無為な寄り道を提案しなかった。帰宅したくない気持ちを察したのなら本屋にでも連れていってくれればいいのに、と習一は自分で断っておきながら不服に思った。

「……明日は、あんたはどうするんだ」

「予定を決めていません。また、オヤマダさんの家で猫と遊ぼうかと」

「本当に好きなんだな」

「貴方も嫌いではないのでしょう。猫も、あの家族も」

 習一はひねた返答が思いつけない。かわりに正鵠を得てはいない正直な言葉を選ぶ。

「そう……だな。あそこは猫にもいい環境だろうよ」

「オヤマダ家の子になってみますか?」

「なにを、トチ狂ったことを抜かしやがるんだ」

 教師は足を止めた。半身を習一に向ける。

「冗談は言っていません。あの家庭は貴方が過ごしやすい場所だと思います」

「数回限りの客だったから良くしてくれただけだ。他人を養う余裕なんかないだろ」

「無関係な人を何年も世話することは難しいでしょう。ですが、自力で生活できるまでの期間でしたら前例があります」

 一昨日の話題にあがったマサという人物のことだ。そうわかった習一は口を閉じた。

「もちろん、貴方が父親と腹を割って話して、仲直りできればそれが一番よいです」

「……言うだけなら簡単だな」

「それほどに血筋の問題は根深いですか」

 習一は全身が粟立った。なぜ、この男の口からその言葉が出るのか。喉の奥が詰まり、問いただすことができない。習一は黄色のレンズを凝視した。まっしろになった頭の活動はすぐに復活せず、教師と目が合った状態で立ち尽くす。

「図星、と見てよろしいでしょうか」

 澄みきった声が習一の平常心を喚起する。習一はうつむいて「なにが」と虚勢を張った。

「貴方が、裁判官である父親の血を引いていないということです」

「なんで、そう思った?」

「確証はありません。オヤマダさんが『もしかしたら』と勘で教えてくれました」

 習一と女子生徒が会ったのは三日間だけ。この短期間にそんなサインは送っていない。

「どういう発想だ?」

「女性特有の洞察力といいましょうか……メス猫が複数のオスの子を産めると言った時に貴方が急に不機嫌になった、と彼女が言っていました」

 それが嫡出でないこととどう繋がる、と習一が指摘する間なく教師は説明を続ける。

「どうして貴方が猫の特性に嫌悪するのかとオヤマダさんが考えた結果、多数の異性と関係を持つ女性が嫌いなのではないか、と思ったそうです。ではなぜ多情な女性を嫌うのか。女性に強い関心やこだわりはなさそうな貴方が、異性に貞潔を厳しく求めるようには見えない。ならば、不貞な女性のせいで不利益をこうむっているのではないか、と」

「ぶっ飛んだ推理だな。倫理もへったくれもねえ動物と人間が同じなわけないだろうに」

「根拠は猫の件一つではありません。貴方が初めてミスミさんに会い、夕食を食べた時にも少し機嫌が悪くなったそうですね。これはミスミさんがおっしゃったことだそうです」

「そんなこと……」

 ない、と言うのを思い留まった。娘が「似たかった」という対象が現れた時、習一はなんと感じたか。父に似た子をうらやみ、その幸運を不運だと見做す相手をさげすんだ。

「オヤマダ家の料理が貴方の味覚に合うことは私が知っています。料理以外で貴方が不満に思ったこと……それは、なんですか?」

 習一は下くちびるを噛んだ。だがこのまま黙っているのが癪で、質問し返すことにした。

「小山田はどう解釈した?」

「貴方が母親という存在に苦手意識を持っている、と。正確にはミスミさんがそのように受け止めたのを、オヤマダさんが信じました」

「ふん、そりゃあ外れだ。オレがムカついたのは小山田のほう。自分が恵まれてることを知らねえで、わがまま言ってやがったからな」

 習一はずかずかと歩き、教師の前を行く。自宅に到着するまで二人の会話はなかった。



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