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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第五章 猫
30/49

5

 教師は五分以上の時間を職員室で過ごした。彼が廊下にあらわれた時、空になったクリアファイルを手にして「これで終わりましたよ」と習一に報告する。

「だいぶ時間を食ったな。なんか言われたのか?」

「貴方への非難は言われていませんので、安心してください」

「あんたは、どうなんだ?」

「中傷だと受け取るべき言葉はありませんでした」

 教師はゆっくり歩きだす。彼なりに足音を立てないスリッパ歩行を編み出し、初日のパタパタという音は軽減している。習一は後を追い「世間話してたのか?」と食い下がった。

「質問されました。『受け持ちの生徒に関わらない教員をどう思っているか』と」

「なんだあいつ、自分がやってることに罪悪感でもあんのか」

「そうなのでしょうかね。私はいま一つ、あの人の感情が読み取れませんでした」

「なんて答えた? あんたと正反対なやつだろう。『理解できない』とでも言ったか」

「どのような人相手でも、その行動に至る理由を知ればそれなりに理解はできます。共感できるかどうか、は別ですがね」

「あんたはあいつをどう理解したと言うんだ?」

「あの人は家庭のある身です。日々の職務に追われていては、オダギリさんのような生徒に手が回らないのも致し方ないと答えました」

 この教師自身の信条とは異なる言葉だ。習一は不快感をあらわにする。

「おべっかかよ。周りと当たり障りなくやろうって魂胆か?」

「ウソはついていません。たとえば妻子のある男性が、休日返上で落ちこぼれの生徒を激励したとします。それは教師としてはすばらしい行動です。けれども、家族はどう思うでしょう。父と遊べない子は寂しがります。妻も夫の愛情を感じられなくては不満を抱くでしょう」

「だから、はみ出し者の生徒なんぞ放っておけ、てか?」

「それも数ある方法の一つです。他人が強いるべき事柄ではありません。ですから、私は言葉を添えました」

 階段を下りていた教師が習一を見上げた。

「『家族に誇れる仕事をできていると思うなら、そのままでいい』と」

 質問者の良心に問う返答だ。習一は皮肉めいて笑う。

「あんたも性格悪いな。自分を正しいと思ってる野郎が、自分のことをどう思うか、なんて聞くわきゃねえだろ」

「そうですか。私の考えが至りませんでした」

 本気とも冗談にも見える微笑で教師が言う。その人を食った態度に習一は安心感を覚えた。他人の耳を心地よくさせることばかり言う軽薄な輩ではないと信用できたのだ。二人は一度別れ、正門で合流して学校を離れた。

 教師は小山田家へ行く前にケーキ屋に寄り道した。日々世話になっている一家への返礼用にケーキを購入しようと言う。

「サイズにはホールとピースがありますね。オダギリさんの食べたいものはどれですか」

「オレはなんでもいい。ピースをいろいろ買って、好きなのを選んでもらえよ」

「なるほど。では何個頼みましょうか。ノブさんはあればあるほど食べそうですが……」

「あそこは四人家族だろ。このケーキは小さいし、十個はあるといいんじゃねえか」

 習一は悠長に構えた教師に口出しして購入を急がせた。女性客の多い店内に長居する気は毛頭ない。男性かつ変な髪の色の二人組は非常に目立ち、店員と客の注目を一身に集めている。習一一人への関心なら耐えるものの、教師こみの好奇は居心地が悪い。

(野郎のカップルってのが世の中にあるらしいしな……)

 親子でも友人でもない二人に掛かる嫌疑はそれではないか、と習一は不安がった。習一に趣味がないとはいえ、周囲の女子は他人の思いを知らずに想像を膨らませることがある。

(こいつは……大丈夫だよな。たぶん……)

 銀髪の教師は女子生徒との熱愛疑惑が浮上する程度に健全な男。教育者の観点では恥知らずと難癖をつけられかねないが、習一にはむしろ安心材料である。

 女性の視線に無頓着な教師はショーケースの商品をじっくり見る。「どれを複数買いましょうか」とまだ購入に踏み切らない。

「ピースを全種類二つずつ、それでいいだろ?」

 声を荒げないよう心掛けつつ、習一は大ざっぱな提案をする。教師は承諾し、女性店員に同じ注文を述べた。店には七種類のピースのケーキがあり、習一が提示した数を超える。薄黄色の紙箱に店員が商品を詰めていき、頼まなかったシュークリームが同梱された。

「オーダーにない品物が入ったようですが」

「あの、十点以上お買い上げの方に無料でサービスしているんです」

 そう告げた店員がはにかむ。習一は店内の大小さまざまな張り紙をぱっと見て、店員が言う制度がどこにも記載されないのを確かめた。教師は素直に店員の言葉を受け入れ、代金を支払う。お釣りを渡す際に店員は客の手にそっと自分の手を支えた。教師は礼を言って店をあとにする。習一はその背に話しかけた。

「あの店員、あんたに気があったのかもな」

「なぜ、そう思うのですか?」

「たくさん買った客にオマケがつく売り方をしてるなら、客の目につきやすい場所に書いておくだろ。そんなの全然なかったぞ」

「それはそうですね。お得なサービス目当てに多数品物を買う客がいると店は儲かります。たまたま多く買った人を対象としたやり方では利益になりにくい」

「オレに言われるまで、本当に変だと思わなかったのか?」

「はい。ケーキ屋にはあまり訪れませんし、細事にこだわらないもので」

「お気楽な性格してんな……」

 習一は教師の鈍感さを羨ましく思った。彼は他者の視線も隠された本音も意に介さない。あくまで表面化した表情と言動で物事を判断する。腹の探り合いには無縁な大人だ。担任に言ったという「家族に誇れる仕事をしているか」の文言は裏表のない本心かもしれない。

(ゴチャゴチャ考えないですむなら、そっちが楽なのか?)

 だが周囲に害をなす者がいればたちまち食い物にされる。その危険は見過ごせなかった。



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