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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第五章 猫
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3

 二日めの晩餐は野良猫を同室者にしたままとった。母猫は変わらずダンボールの中で休み、餌用に茹でた鶏肉やイモを少しずつかじっては眠る。猫が食べてよいものは教師が図書館におもむいて調べあげた。調査には一時間強かかっており、普通の所要時間だった。

 今日の夕飯には家主のノブが同席する。彼は習一への歓迎の言葉をかけた際、猫のそばで大声をあげるなと娘に警告された。以降のノブはワントーン下がった声調で喋る。

「弱ってた野良猫、いっぺん家にあげちまったら飼わなきゃならんかな?」

 彼はとなりの妻の顔色をうかがう。妻の表情はくもった。

「猫ちゃんは早く亡くなってしまうじゃない。その時、とってもつらい思いをするわ」

 わたしはイヤよ、と柔和な女性が拒絶する。習一はその態度が腑に落ちなかった。この場にいる誰よりも動物を憐れみ、かわいがる姿が似合うというのに。

 ノブは妻に「そうか」と一言答えた。小山田はしょげた顔をする。カエデはゆっくり箸を運び、話を聞いているのかさえわからない。家族間の話し合いに教師が介入する。

「炎天下の中、母猫が幼子を外で育てることは大変でしょう。この子たちが一人立ちできるお手伝いを、一緒にやりませんか?」

「この家で飼うってこと?」

「引き取る方を探すのもいいですね。この子たちをこのまま放り出すのはしのびない」

「……そうね、子猫が蒸し焼けになったらかわいそうだわ」

 同じく子を持つ母の同情を買い、猫一家は小山田家に一時在籍することに決まった。教師は猫にあげてよい食べもの以外の知識も吸収してきたらしく、母猫の体力が回復したら体を洗うこと、動物病院で詳しい検査をしてもらうことなど提案する。それらにかかる経費はすべて教師が負担すると言い、ノブは断る。

「うちの敷地内に入ってきた猫のことなんだ。先生ばかりに押し付けられんよ」

「猫たちの保護は私が無理強いさせてしまったのでは……」

「んなことぁない。この家の下から引っ張りだそうとした時にはもう、おれらが責任持たなきゃいけねえと思ったからな」

「……お優しいのですね」

 ノブが照れくさそうに頭をかく。

「庭に死骸が転がってちゃ、寝覚めわるいだろ? おれが気分よーく過ごしたいからするんだ。優しいのとはちがう」

 教師はノブの主張を受け入れ、野良猫の処遇の話題がおさまった。習一は好奇の念がおさえられず、ノブに問う。

「マサって人の時も、そうだったのか?」

 ノブは吊り目を丸くした。習一は質問内容の補足をする。

「浮浪者が食うもんと住むところに困ってたのをあんたが助けたと聞いた。それも猫と同じで、放っておいたら罪悪感が湧くから?」

「……ま、そうだな。だけど、そんなことを考えるのはいつも行動したあとだ。その場に立った時は全然考えちゃいねえ」

「じゃあ、どうして?」

「『助けてくれ』ってツラをしてたから、かな」

 ノブは神妙な面持ちの上にむりやり笑顔をかぶせた。

「猫たちは表情が読めねえけど、鳴き声がな、痛々しかった。『だれかお母さんを助けて』と必死に喋ってたんだろうな。茶トラのやつなんか、母猫の傷口をなめて治そうとしてたんだ。あんなにチビなのによ」

 幼くても獣であっても家族の身を案じる感情がある。その思いに応えた母の気丈さ。相互関係にある思いやりの心を、教師は美しいと評価したのだと習一は納得した。

「生きようとするやつらを応援したい。それはおれの道楽だ。やりたいからやるだけ! こんなオッサンが『他人の役に立ちたい』とかいう大義名分を持っちゃいないんだよ」

「……オレは、どんなふうに見える?」

 我ながらくだらないことを尋ねた、と習一は自己嫌悪に陥る。だが、どうしても聞きたかった。藁にもすがる溺死しかかった弱者に映るかどうか。

「さぁ……やんちゃ盛りの男の子ってとこだな。もっと飯食って肉を付けるといいぞ」

 一介の少年との評を下された。習一は内心、普通の男子が無関係な人間の家に来るものか、と指摘する。ノブはふざけて「この肉を分けてやりたいくらいだ」と腹の肉をつかむ。娘が「オヤジの夕飯を抜きにして、その分をあげたらいい」手厳しい助言をした。親子のたわいない言い合いを傍観すればよいものを、習一は我慢ならずに再度問う。

「本当に、それだけか?」

 習一は真剣な顔をしたつもりだが、ノブは破顔する。

「ああ、そうだとも。おれが特別なにかしなくたって、やっていけるさ」

「そんなやつが赤の他人に食事を用意してもらうと思うか?」

「だってなぁ、習一くんにはもうシド先生がついてるもんな」

 習一は腹の奥が温かくなるのを感じた。すきっ腹に熱い汁物を入れた時の感触に似ているが、夕食の汁物はとうに飲み干していた。

 ノブの笑みが教師に向いた。教師は昨日と同じく小山田の握り飯と糠漬けを食す。

「先生が料理のできる人だったら、うちに頼らなかっただろ?」

「いえ……オダギリさんは腹を満たす以外に、大事なものを受け取っていると思います」

「ふーん? まあなんでもいいさ。飯食いたい時でもゲームやりたい時でも、遊びにきたらいい。おれは賑やかなほうが好きだからな!」

 ノブの大声のせいで母猫が鳴き声をあげる。ノブは本日二度目の娘の叱りを受けた。



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