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習一は二十分近く、人形と同じ忍者を操った。忍者の背中を見続ける三人称視点にて、ゲームの操作感に少しずつ慣れてくる。画面を上下二分割にしての二人同時プレイはアーケードゲームでは見ない遊び方であり、新鮮味があった。
小山田は母親らしき人物に呼ばれた。ゲームを中断し、コントローラーを教師に渡す。教師は経験がないからと拒んだ。だが「食わず嫌いはよくないよ。これも勉強!」と押し切られ、教師は彼女のプレイを引き継いだ。彼の担当の画面は弓使いの手と武器が画面に映る一人称視点。任意に視点を切り替えられる仕組みだが、彼はそのまま弓使いを動かす。左右に歩く、その場で跳ねる、矢をつがえて撃つ動作を一通り試した。弓矢の攻撃は高い命中率で敵に当たる。その精度はゲームの持ち主である小山田と同格かそれ以上だ。
「未経験ってウソだろ?」
「いえ……オヤマダさんのお手本を見たおかげで少しできるようです」
「じゃああれだ、シューティングはやったことあるんだな」
「いえ……関連する経験というと、弓術を習ったことでしょうか」
本物の弓の腕前がゲームにも反映されるという発想を、習一はにわかに信じられなかった。かと言って教師が隠れゲーマーなようにも見えず、とりあえず射撃の話題は不問にしてゲームを進行した。一戦が終わると教師は「続けますか?」と習一に尋ねる。
「んー、やめとくか。あんたはこういうの、嫌いなんだろ」
「嫌い、ではありませんが……オダギリさんの楽しみが減ってしまうのではないかと」
「あんたの腕なら足でまといにならねえよ」
習一は教師にプレイ続行をもとめた。ここでゲームを終了させると夕飯までの過ごし方がわからない。かと言って一人でゲームをやれば自分のスキルの荒さをつぶさに観察される。ならばこのまま時間がくるまで二人プレイをしたら精神的によいように思えた。
戦場を踏破すると、カチャカチャと陶器がこすれ合う音が鳴った。小山田が取り皿と料理を手にしてやってくる。もうじき夕飯だと知った習一たちは遊戯をやめた。機器を元あった状態に片付ける。食事のジャマになる人形はテレビの脇に移動させた。食卓に現れた夕飯の菜は大皿にのった煮物、唐揚げ、サラダ。豆腐がのった小皿は四つあった。この家の住民は最低三人いる。台所で料理を作る女性と、それを手伝う娘と、娘の父。晩餐に加わる習一の分を合わせて四つ。教師の食べる分は除外してあるらしい。
「ばーちゃん、ご飯よそってくれてありがと」
小山田は新たな人物の存在を示唆した。彼女は横長の楕円の盆を持って居間に入る。その後ろに腰のくだけた老婆がついてきた。足首の布地がきゅっとしまったもんぺを履いた老人だ。まぶたが垂れた老婆は銀髪の教師の隣にためらいなく座る。家族ぐるみの親交があるのか──と習一が思いかけた時、「ノブさん」と老婆は教師に話しかける。
「今日のノブさんはお仕事が早くおわったんだねえ」
老婆が呼ぶ人名は教師の固有名詞ではない。教師の言によれば、老婆の息子にあたる人物の呼称だ。背丈だけは共通する両者を混同しているというのか。
「今日は仕事が休みでした。ところでノブさんは家で夕食をとらないのでしょうか?」
「ノブは遅番だよ。日がかわる前に帰ってくるかねえ」
老婆は奇妙なことに質問された息子の状況について普通に答える。教師をノブ自身だと思いこむ痴呆状態ではないらしい。老婆は習一を一目みて「おやまあ」と柔らかく驚いた。
「かわいらしいマサさんだこと。キリちゃんのお友だちかい?」
「マサ」の名が己を指すことを習一は理解できたが、どう返答してよいやら困惑する。すかさず教師が会話に入った。
「この男の子の名前はオダギリシュウイチさんです。お孫さんの学友ではありませんが、夕食にご相伴させてください」
「そうかい。じゃあシュウくんだね」
老婆は習一の略称を名付けた。習一はあだ名で呼ばれることに抵抗はないので、訂正はやめた。少なくとも他人の呼称よりは確実に良い。
「たーんと食べておいき。今はノブがいないから食べそびれることはないよ」
横幅のあった中年は見た目にたがわず大食漢のようだ。彼が同席する食事の際は出方をうかがって食を抑えべきか、と習一は注意事項を思いついた。
老婆が喋る間、小山田は白米の入った茶碗を食卓に並べおえて台所に行った。次に湯気のたつ黒塗りの茶碗を運び、同様に並べる。茶碗は五つあった。
「お吸い物は先生も飲んでね。具はわたしが切ったよ」
汁物の中には刻んだネギと油揚げが浮かぶ。小山田は再び台所に行き、彼女と入れ替わりで母親らしき中年の女性が来る。おそらく四十代なのだろうが、少々幼い感じの丸い目と皺のないふっくらした頬が実年齢以上に若く見えた。教師が女性に一礼する。
「ミスミさん、お食事の用意をしていただいてありがとうございます」
「いえいえ、だいぶお待たせしちゃったわね。さ、ご飯を食べましょう!」
ミスミは食卓に重ねた取り皿を配布し、皿に箸をのせる。箸が行きわたるとカラフルなプラスチックのお椀にサラダを盛って配る。そのどれもが教師の分を省いていた。
「シド先生のご飯は娘が用意してるの。もう少し待っててくださいね」
「はい。皆さん、どうぞお先に召し上がっていてください」
教師と小山田を除く夕飯が始まる。習一はじっとミスミを見た。キツネ顔の娘とは全く方向性の違う造形だ。どう見ても娘は父似だとわかる。父親と娘を並べれば尚そう感じるだろう。それが子を宿せぬ父親にとってどれほど喜ばしいことか、娘にはわかるまい。
(ブサイクでもねえのに顔に文句言うなんざ、ぜいたくだ)
小山田が「母親に似たかった」と言うのも一理あり、ミスミは美人の部類だ。より多くの人が好むであろう優しげな顔である。とはいえアイドルと似るという小山田も、間接的だが世間一般が認める顔立ちのはずだ。彼女が父似の顔を嫌悪する理由には美醜以外の要因がある。それがなんであれ、父の実の子という証を持つ者を習一はうらやましく感じた。
「習一くん、で合ってる? ガーベラをくれてありがとう」
物思いにふけっていた習一は急に話しかけられて驚いた。そして耳慣れぬ単語に戸惑う。
「え……ガーベラ?」
「玄関に飾ってある花のこと。エリーちゃんが持ってきてくれたの。あなたが『花好きの人に渡して』と言ったから、うちに届けてくれたんですって」
確かにそんなことを言った気がする、と習一はおぼろげに思い出した。適当に発した依頼を、エリーは完璧に遂行したのだ。普通の人では夏場の一週間、切り花を咲かせ続けられなかっただろう。花の知識がない習一はその長生きの秘訣が気になった。
「あの花……どう世話したらあんなに長く咲けるんだ?」
「えっと、花束を受け取った時は少ししおれていたから、水をたくさん吸わせて元気にさせたの。一本ずつ新聞紙でくるんで、水を張ったバケツにいれて半日置いて……」
ミスミは切り花の生け方を語る。おおよそ習一の理解が及ぶ分野ではないが、手間暇をかけて花を生き永らえさせていることは伝わった。生け花講義の最中に小山田が現れる。手に箸とおにぎりをのせた皿と、輪切りにした野菜を盛った皿がある。
「はいこれ、先生のご飯。足りなかったら言ってね。漬物はまだまだあるから」
「充分です。ありがたくいただきます」
教師は箸を親指と人差し指の間にはさみ、両手のひらを合わせた。外国人のくせに日本の風習に律儀だ、と習一は内心つっこんだ。彼専用の漬物は点々とぬかが付いている。それを見ていると小山田が「食べたい?」と聞く。
「うちの糠漬け、わたしとお母さんとお婆ちゃん制作の三種類あるよ。味見する?」
「いや、いい。お前の夕飯が冷めちまう」
「あ、けっこう気をつかってくれてるんだね」
小山田は空いた座布団に座る。彼女が教師や母親との会話を弾ませるおかげで習一は会話に加わらずに済んだ。居心地の悪さはなかったものの、不和を匂わせない人物交流のありようは習一の目には奇異に映った。




