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学校の補習を受ける日になった。今日も銀髪の教師は習一に同行する。制服に着替えた習一が玄関を出てすぐに銀色の頭髪を発見した。今日の彼は薄黄色のネクタイを首に巻き、銀色のタイピンでシャツに留めている。そのタイピンには三粒のカラーストーンがはめてあった。一般的に見ないデザインだ。オーダーメイド製の品だろうか。
「オダギリさん、おはようございます。これから三日間の補習、私が同伴します」
決定事項を復唱された。習一はうなずく。昨日一昨日と教師と共に過ごした経験上、特筆すべき彼への不満は抱かなかった。この後の数日も似たようなものだと楽観視した。
補習の開始時刻より早く教室へ入る。無人の一室で、習一は教師に手渡された朝食を口にした。朝食は昼食の弁当と一緒にトートバッグに入っていた。昨日の朝食と同じメニューだが、それで充分である。おにぎりは毎日食べても飽きないし、なにより味付けがうまかった。料理下手な習一の母親ではこの品質を毎日保てまい、と胸の内で比較した。
習一に同行する教師は来客用の玄関を通って補習の会場へ来た。学校の備品のスリッパをペタペタ言わせて歩く様子は少し不恰好だ。しかし彼がスリッパの音や形状に不満を募らせる素振りはない。ただ一言「歩きづらいですね」とスリッパを履いた足を上げてみせる。底の長さが足りず、かかとがはみ出ていた。
廊下がガヤガヤと人の話し声や靴音でにぎやかになる。生徒が登校しているのだ。この高校は進学校なだけあって夏休みも一定の期間、授業を行なう。単位や成績には関係しない、気楽な内容だ。しかし休みを返上しての学習には意欲が削がれる者がおり、名門への進学を考えない者は途中で抜けることもあるようだった。
習一のいる教室に生徒が二人入室する。親しげな男女は習一と他校の教師を一目見て表情を凍らせた。当然の反応だ。校内一の不良と見知らぬ男性が同室者なのだ。習一はそっぽを向き、男女に対して無関心でいた。銀髪の教師は男女に軽く挨拶をする。
「私はオダギリさんのお目付け役です。私たちのことはお気になさらず、補習を受けてくださいね」
教師は親切極まりない声色で、おびえ気味の生徒をなだめた。彼らはとなり合った席に着く。女子のほうはちらちらと習一のいる席に視線をやったが、習一は無視を決めこんだ。
室外の喧騒が落ちつき、補習を行なう教師がやって来る。習一とは気の合う社会科担当の掛尾だ。色黒の教師が中年に一礼する。
「カケオ先生、今日から三日間の補習をよろしくお願いします」
「それじゃまるでシド先生が補習を受ける生徒みたいじゃないか。まあ、先生のことは他の教師にも言ってある。フツーにしててくれればいい」
掛尾は続いて補習と課題の説明をした。補習は掛尾以外の教師も担当する。課題は今週中に掛尾に提出する。赤点のない科目の補習は受けなくてよい──三つめの説明は習一以外の生徒に向けた言葉だ。期末試験を受けなかった習一は全日補習を受けねばならない。
補習がはじまると掛尾はプリントの問題文に補足したり、空欄の答えを生徒に質問したりする。習一は事もなげに答えるが、男女はしどろもどろに誤答を発していた。
二時限分の授業を終えると掛尾は退室した。次に来た教師は習一の担任だ。年かさは四十近い三十歳代だというが精神的な年齢は銀髪の教師より低い。相手は無表情を繕いつつも、棘のある視線を習一と銀髪の教師に投げる。習一は極力担任の顔を見ないようにした。
担任は一時間だけ教鞭をとり、昼までの残り一時間は別の教師がおこなった。科目内容は同じである。掛尾のように二時間続きでやればいいものを半分を他人に任せた。好意的に見れば他の授業の都合で抜けたのだろうが、落ちこぼれの面倒を看たくないというのが習一の見立てだった。
昼休憩の時間になり、習一は弁当を机の上に出した。さりげなく銀髪の男を見ると彼はノートに何か書き付けている。その文字列は黒板に書かれた文言と解説者の余談だった。
「あんたが、なんで生徒の真似事をする?」
「せっかくですから復習させてもらいました。生徒の立場になるのは希少な体験です」
ひとたび教員免許を取ってしまえば高校レベルの学習は不要ではないか、と習一は思った。この勤勉な教師に「変人だな」と感想をもらす。
「こんなもん、あんたにゃいらねえ知識だろ」
「なにごとも学んで無駄になるものはありませんよ」
もっともらしいことを教師は言う。習一は聞き流して昼食に手をかけた。その時、がらがらと教室の戸を開く。開けた者は同じクラスの男子生徒だ。白壁という、成績優良児ではないが赤点を取るほど学が無いわけでもない男だ。
「おお、ちゃんといるんだな!」
そこそこに体格の良い男子が鞄を提げて入室する。彼は習一の隣席に鞄を置き、サングラスをかけた男に握手を求める。
「おれは白壁といいます。あなたがシド先生ですね。お噂はかねがね聞いています」
教師は戸惑いながらも白壁の手を握った。白壁はさらにもう片方の手で教師の手を固く握る。熱のこもった歓迎だ。男子の両手に解放された教師は不思議そうに相手の顔を見た。
「どなたから私のことを聞きましたか?」
「先生が補習に来ることは掛尾先生に聞きました。先生自体は以前から知っています」
白壁は得意気な笑顔で着席する。教師が「才穎の生徒とお知り合いですか」と尋ねるとうなずき、「センタニさんのご友人でしょうか」と言われると目を見開く。
「どうしてあいつとおれが友だちだとわかるんです?」
「お二人に通じるものを感じました。センタニさんも礼儀正しく武芸に長じた生徒です」
「おれが武芸家だとわかるんですか?」
「立ち居振るまいを見ると、ある程度はわかります」
白壁がなにやら感動した様子で「先生は評判通りの人みたいですね!」と嬉々として言った。彼は教師目当てで来たのだと習一は判断し、黙々と弁当を食べる。自然と耳に入ってきた会話をまとめると、白壁には才穎高校に通う古馴染みが最低二人いる。教師が言うセンタニとは別に女子の友人もいて、彼女がシド先生なる英語教師について情報提供していたという。シドという若手教師がいかに強く、優しく、かっこよく、そして底知れぬ怖さを持つかを聞かされたそうだ。「怖い」の部分は習一の興味を惹いた。
「『怖い』っつうのは、どういうところを指してるんだ?」
白壁が意外そうに口ごもる。
「え……それは、小田切さんが一番よく知ってるんじゃないか?」
習一は田淵が知らせた事件のことだと理解した。だが習一自身が女子相手に喧嘩をする事態はめずらしい。白壁の知人女子は別件を述べているのではないかと思った。
「そういや、記憶がところどころ抜けてるんだっけか。忘れてるほうがいいのかもな」
白壁は具体的な教師の怖さを述べない。本人がいる手前、軽々しく言えないのだろう。習一は自身の不良仲間も銀髪の教師に畏怖したことを思い出して、質問は重ねなかった。




