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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第四章 遊興と補習
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2

 習一が残した昼食は銀髪の二人がたいらげた。水筒やバスケットはエリーが回収して去る。彼女は風呂屋には同行しないという。しかし、教師の着替えを後で届けるそうだ。

「あいつを使いっぱにしてていいのか? オレだったらいい加減、うんざりするぞ」

「エリーは嫌なことを嫌だと言える子ですよ。それと貴方が思う以上に彼女は身軽です」

 軽業師的な運動能力は習一も認めるところだ。だがその言い方は物を運ぶための行き来が苦にならないことを指す。教師の扱うバイク以上に機敏に動ける乗り物を少女が使うようには見えないのだが。習一はこの疑問をぶつけてみたがはぐらかされた。

 習一たちは服を買いに量販店へ行った。適当に安くて無難なデザインの衣類を一ひろいと、タオルを数枚選ぶ。習一は購入時に率直な疑問をぶつけた。

「あんたの着替えも買えば手っ取りばやくすむんじゃないか」

「それも考えましたが、服決めに手間取るおそれがあったのでやめました」

「なんだぁ? 買う服をすぐに決められないのか。案外、女みたいなやつだな」

「女性の迷いは『どの服が自分に似合うか』を選りすぐっての結果でしょう。私は服の良し悪しがわからないのです。ファッションセンスはありませんから」

 教師は服に興味がなさすぎて選べない性質らしい。スーツ姿を見るかぎりは持ち前の容姿もあいまって、野暮ったい男性には見えない。習一はこの告白を半信半疑で聞き流した。

 購入した衣類は店名のロゴを印刷した袋に店員が入れる。その袋は一時、リアボックスにしまう。そして目的の風呂屋へ向かった。この時の習一は自分が汗臭いと感じたが、前方の教師は洗剤の匂いを放っていた。

(気温がわからなくて服のよしあしもわからん、か……)

 飲食も発汗も満足におこなえぬ男。彼はロボットなのではないか、とそんな仮想を思いつく。物語の世界では描かれることだ。人とそっくりな機械が人間社会にまぎれて一騒動を起こす。その行動が人にとって善であったり悪であったり、傾向はまばらだ。善人に扮した悪役のケースもある。この男は真実、どういう人物なのだろうか。

 疑おうと思えばいくらでも嫌疑はかけられる。善人を装う悪人は吐き捨てるほどいるだろう。そう仮定すると、教師は習一を懐柔したあとで我欲を満たすなにかを得る。よくある目当ては金銭だろうが、習一の父が息子のために身銭を切るはずはない。そう、教師はなにも得しないのだ。習一を更生させるにせよ謀るにせよ、見返りは皆無。

(バカバカしい……大体、こいつの妹も知り合いの警官もお人好しだろ)

 不満一つ言わずに教師に従う少女と、話し相手の毒気をぬく温和な警官。この二人が教師の仲間だ。人物の内面はその交友相手によって見抜けるという。全員が詐欺師ならば例外だが、習一と同年の少女に高度な腹芸はできないだろう。習一は疑心暗鬼を頓挫した。

 到着した風呂屋はあまり大きいという印象のない建物だ。和風の建築物の中は小奇麗な宿泊所のようでもあった。二人は脱いだ靴を下足箱に入れる。教師が受付の店員に話しかけ、財布から紙切れを出した。それは紙幣ではなくこの店の回数券だ。

「ここによく来るのか?」

「いえ、初めてです。回数券は譲ってもらいました」

 教師は提供者には言及しなかった。習一はその人物をなんとなく、自分に食事を用意してくれる人たちだと思った。二人は空気の冷えた店内を進む。手ぶらの教師は「エリーを待ちます」と別行動をし、習一は一人で男湯ののれんをくぐった。脱衣場のロッカーに荷物を置く。新品の衣類の包装を外し、風呂あがりにすぐ着れる準備をした。脱いだ服は服屋でもらった袋に詰める。教師が「着ていた服は袋に入れて、あとで私にください」と言ってきたのだ。衣類を洗濯して返すという申し出を受けて、習一は口答えせずに従った。

 必要かどうかわからないタオルを一枚持って浴場に入る。しかし大多数の利用客が局部を隠さずに奔放にしていた。風呂屋側のルールでは「タオルを湯船につけないでください」とあったので、タオルを持ち込まないほうが望ましいのかもしれない。

 習一はまず全身にシャワーを浴びた。備え付けの液体石けんで体を洗い、汚れが落ちたあとで湯船を選ぶ。内湯には人が多くいたので露天へ行き、無人の壺湯に入った。巨大な壺の中に入る経験はついぞない。人体が沈むごとにあふれ出る湯をじっと見ながら、肩までつかった。湯に入れられないタオルは頭に乗せる。規則を破っても今さら習一は気にしないが、現在は生真面目な保護者がいる。穏便に過ごせるよう心掛けた。今の己の格好がよくある入浴者のスタイルと同じになったことに、しばらく経ったあとで気付いた。

 絶え間なく湯を注ぐ竹筒を眺めた。時間の流れが遅くなったかのような現実離れした空間にいる。のぼせてきた気がすると浴槽をあがった。次に底の浅い風呂へ入り、高所より落ちる湯を肩に当てる。まだ明るい空を見つつ、体の熱がゆるく下がるのを待った。

 近くの露天風呂からじゃぶんと音が鳴る。誰か入浴したと思った習一が見てみると例の教師だった。彼も頭にタオルを置いていた。外国人風の者には稀有な姿である。サングラスはかけておらず、青い目が露出する。西洋人の特色らしき瞳の色だ。習一はなぜか体がすくんだ。

「風呂を利用されているようでなによりです」

 異人が視線を逸らした。習一への関心はとぼしい。浴場では習一と行動を共にしないようだ。習一もこの状況下で他人が付きっきりにいられては気色が悪い。教師の心中を推し量り、習一は屋内の風呂へ向かった。内湯は茶色の湯が張られ、薬湯のおもむきがある。客入りの良さからうかがうに、体によい成分があるのだろう。習一は健康をおもんばかって人々の隙間にもぐりこんだ。湯から微妙な鉄の匂いを感じる。あまりいい香りではないな、と思い、長居をせずに上がった。シャワーを浴びて風呂の湯を流し、脱衣場に行く。新品の乾いたタオルで体を拭いた。下半身だけ服を着て扇風機の風に当たる。湯上りに出る汗がおさまった頃にシャツを着た。そのまま脱衣場を出ようとした時、呼び止められる。

「オダギリさん、髪がぬれていますよ」

 習一が振りむくとそこに半裸の教師がいた。首にタオルをかけた状態だった。

「ほっときゃ乾くだろ」

「衛生的に良くありません。ドライヤーを使いましょう」

 習一が教師の提言を無視してのれんに手をかけた。その手首を浅黒い手がつかむ。

「ものの数分で終わります。ついてきてください」

 教師の連行を食らい、習一は洗面台の前に座った。壁に設置した大きな鏡が後方の教師の所作を映す。彼はドライヤーの機械音を鳴らし、生ぬるい風を習一の髪に当てる。風に煽られて動くのは脱色した髪の部分。黒い根元は染髪した部分と明確に色が分かれていた。

「髪が伸びていますね。風呂屋を早めに出て、散髪しに行きますか?」

「今日はもういい。疲れた」

「わかりました。せっかくですし、今日はここでゆっくりしていきましょう」

 鏡ごしに見える教師の顔は穏やかだ。彼はどんな思いで縁もゆかりもない子どもの世話をするのだろう。習一は黙って人工的な風を頭部に受け続けた。



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