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幻姿の庭  作者: 三利さねみ
第四章 遊興と補習
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 正午を過ぎたころ、習一たちは動物を見終えた。近くの公園に行くと手ごろな木陰に銀髪の少女が待機していた。二メートル四方の敷物の上にバスケットと水筒、そして彼女が常用するリュックサックがある。習一たちは膝を抱えて座る少女に合流した。

「今日のお昼ごはん、手作りのサンドイッチだよ」

 バスケットの蓋を開けると、中はラップにくるんだサンドイッチがすし詰め状態になっていた。エリーは水筒のコップに飲み物を注ぎ、習一に渡す。

「これ、ふつうのお茶。ぜんぶシューイチのものだから、好きなだけのんでね」

 習一はぐいっと茶を飲み干した。冷たい液体がさらさらと胃へ落ちるのを感じる。習一は入園以降、水を口にしておらず喉はカラカラになっていた。だがのどをうるおす機会は何度もあった。教師が自動販売機の前を通過する際に「なにか飲みますか」と尋ねたが、習一はかたくなに拒否した。熱気で汗を流す習一とは違って、教師は常に涼しげな顔をする。相手が飲料を欲さぬうちに習一が彼の厚意に屈するのは、なんだか悔しい気がした。

 習一が二杯目の冷茶をコップに入れる。水筒を動かすたびに氷の粒同士がぶつかった。

「そんなに喉が渇いていましたか」

 その声には渇きを自己申告しなかった者への非難はない。他者へのいたわりが欠けていたという自責の念が微量に含んでいた。習一はコップ越しの冷気を手に感じながら「あんたが気にすることじゃない」とぶっきらぼうに告げた。教師は頭を横にふる。

「脱水症状や熱中症で倒れてからでは遅いのです。私とエリーは暑さ寒さに鈍いので、私どもに合わせていては貴方の体がもちませんよ」

「寒いのも平気だと? おまえら、どういう土地で育ったんだ」

 色黒な者が多い熱帯地方出身ならば日本の猛暑に耐えうるかもしれない。だが彼らは概して寒冷な気候に不慣れだ。寒暑両方を苦手とする人間はいても、逆は通常いない。

「出身地……涼しい土地だったと思います。長袖で過ごす人が多かったようですから」

「他人基準でしか判断できねえのか?」

「そうですね。おおまかに温度は感じられるのですけど、それが人体にどれほどの影響を与えるかを知るには、他者の様子を参考にしています」

「変なの……機械が自動判別する時にやりそうな方法だな」

 習一は空けたコップを敷物の上に置き、手つかずのサンドイッチを手にした。前回食べたサンドイッチは白いパンだったが、今回は茶色の焦げ目がついている。

「今日は時間によゆうがあったからトーストしたの。前よりおいしくなってる、のかな」

 エリーはリュックサックの中を探ってタンブラーを二つ出した。

「これはわたしたちのごはんね」

 一つを教師に手渡した。タンブラーの容量は目測五百ミリリットル。それだけで大の男の腹が満たせるとは思えない。

「サンドイッチも食うんだろ?」

 習一が教師に尋ね、「いくつかはもらいます」と返答があった。しかし銀髪の彼らがバスケットに手を伸ばすことはなく、飲料を飲むだけだ。

「この少食ぶりで、よくそんな図体になれたな」

「体型と食事にも少々事情がありまして。後日お教えします」

 今は話せないというお決まりの文句だ。習一は軽く流した。話題変えなのかエリーが動物園を見物した感想を習一に聞くので「真夏に動物園に来るもんじゃない」と答えた。

「シューイチ、暑くてつらかったの?」

「オレはまだ平気だ。動物がどいつもこいつも、だらけていやがった」

 暑さにやられ、猛獣の長たるライオンや虎までもが地べたをごろついた。その様子には威厳が欠片もない。想像にたがわぬ生活を保ったのは元々の動きが緩慢なゾウやプールがあるペンギンなどに限定され、それ以外の動物は気だるそうだった。本日は曇天であり、比較的気温が低いため過ごしやすいのだが、毛皮をまとった動物には些細な差のようだ。

「元気な動物を見るには適さない時期だったのかもしれませんね」

 教師は習一に同調した。

「私はのんびりした彼らを見るのも楽しめましたが、貴方は物足りませんでしたか」

「さあ……動物園はあんまり来ないところだからな。退屈はしてない」

 習一は次々に用済みのラップを丸めて自身の足元に並べた。サンドイッチの具材は前より種類が豊富になり、あぶった鶏肉を小さく切ったタイプが一番美味だった。その評価をぽろっと口に出すとエリーが「やっぱりミスミは料理上手なんだ」と言う。

「ミスミ、てのはだれだ?」

「シドがシューイチのごはんのたよりにしてる人。もう一人、てつだってくれてる人がいるんだけどね。そうそう、明日から三日間の夕飯もミスミがつくってくれるって」

 少女の説明を教師が引きつぎ、学校の補習を終えた夕方はオヤマダという家へ訪問して夕食をとると言った。朝昼の食事もオヤマダ家の者が用意するのだと教師は述べる。

「オダギリさんの口に合った家庭料理のようですし、問題はないと思います」

「その家の連中はあんたの教え子の父兄……なんだろ。教師が個人的に自宅訪問していいのか?」

「校長の許可が下りていますから公認です」

「オレのことを、才穎の校長に?」

「はい。校長もオヤマダさんたちも、貴方への支援には協力的です」

「物好きがいるもんだな。補習が終わった後は……オレとそいつらの縁は切れるのか?」

「どうでしょうね。状況に合わせて、また食事の用意を頼むかもしれません。補習を終えて片が付くことは学校の事情だけです。家庭のほうは手つかずですから」

 言いにくいことをぽんぽん言うやつだ、という思いを習一は胸の内にとどめた。一番の問題は満足に食事もできない家庭環境にある。

「私は一度に複数のことをこなせません。家のことは補習を終えたあとで考えましょう」

「考えたって無駄だ。あの頑固オヤジをどうこうできるわけがない」

「その件は後日に取り組むとして、今日の午後の予定ですが──」

 風呂屋に行こう、と教師は言い出した。その計画自体は昨日提案されていたものだが。

「こんな真っ昼間にか?」

「食事処や休憩所があるリラクゼーション施設です。そこで夜までゆったりしようかと思います。着替えは服屋でそろえましょう」

 またも習一と縁遠い場所へ行くことになった。冷房のある室内で長時間過ごす分には体の負担は少ない。習一は教師の計画に乗った。



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