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露木に再会した翌朝、習一は自室で休んでいた。教師が朝食を届けると言って自室での待機を指示したのだ。目が覚めて寝台の上をごろつき、窓の外のくもり空を眺め、次に昨日解きおえたプリントを見た。露木が長話を済ませて帰ったあとに教師に丸点けをしてもらったものだ。誤答を修正すべき箇所もすべて確認が終わっている。あとは補習を受けに登校したおりに教師へ提出して課題完了となる。鞄の中身を整理し、登校の準備を万全にしておいた。着ていく制服も昨日の夜のうちに回収した。今日にでも学校へ行けるほどに支度は整っている。明日の用意を点検したのち、今日の外出のために衣服を着替えた。
開いた窓から人があらわれ、軽々と桟を乗り越えて入室する。いつもの銀髪の少女だ。
「シューイチ、ごはんもってきた」
少女は背負ったリュックサックを机の上に乗せる。荷物から取り出したものはまたも水色の布。布地の下には握り拳大のなにかがシルエットとして存在する。
「おにぎりをつくってもらった。あと、飲みものはこれ」
少女はおにぎりの包みを机に置き、新たに紙パックを見せる。市販の野菜ジュースだ。
「食べおわるまでまってる」
少女がその場に座りこんだ。習一は勉強机の椅子に座り、彼女が届けた朝食を口にする。布にくるまれたおにぎりは二つあり、透明なラップで包装してあった。海苔を巻いたおにぎりには点々とふりかけが混ざっていて、中央部にはかつおぶしを醤油にひたしたおかかがある。もう一つは種のない梅干しが具のおにぎりだった。二つの握り飯を完食し、ジュースを飲んで潰すと少女が立ちあがった。習一は彼女に声をかける。
「お前はエリーって言うんだろ。お前も動物園に行くのか?」
「いかない。お昼ごはんができたら、あとでとどけにいく」
習一たちが遊覧に行く間も少女は無償の奉仕活動を続けるようだ。その従順さを健気だと習一は思った。だが遊びたい盛りの子どもには不満が噴出しそうな雑事だ。
「すっと使いぱしりにされてて、つまんなくないか?」
「ぜんぜん。動物は今日じゃなくても見れるもん」
エリーは習一の質問をこともなげに流す。強がりのようには見えなかった。
少女はおにぎりを保護したラップを広げ、その上で空の紙パックを小さく畳む。二枚の使用済みラップで紙パックを包み、布と一緒にリュックサックへ入れた。
「でかけよ。シドがまってる」
「父親が起きてると思う。見つかったらすぐに出れねえぞ」
「わたしがちょっとのあいだ、うごけなくしてくる」
エリーが窓から飛び降りた。なにをする気だ、と習一は不審がりながら窓を閉める。一応の所持金をズボンのポケットに入れて部屋を出た。一階の居間には椅子に腰かける父の姿がある。目は閉じており、二度寝をしているらしい。エリーが手をくだすまでもなく鬼の目を盗むことができた。習一は堂々と靴を履き、玄関を出た。
昨日と同じく銀髪の教師が道路上で待っていた。彼は習一の姿を見るとエンジン音を鳴らす。露木に借りたバイクを稼働したのだ。そうして彼は露木のヘルメットを被った。習一が鉄格子をのけると彼はもう一つのヘルメットを手にする。
「これを被ってください」
予備のヘルメットに風よけのレンズはない。習一は黙ってそれを被り、もみあげから顎の下までを伝うベルトのクリップを留めた。教師は普通自動二輪の機体へまたがる。その後方には人一人が座れる幅があり、空席の後ろには低い背もたれのような箱が設置してあった。箱はリアボックスと呼ぶらしい。箱の中に荷物を入れることができ、一度使い出したら外せないと露木は利便性を説いていた。外観は不恰好になってしまうが、習一も教師も見てくれを気にしないので外されないままだ。習一は教師と箱の間に自身の体をおさめた。
「私の体に捕まっていてください。安全運転を心掛けますが、何が起きるかわかりません。手を離さないようにお願いします」
慎重な勧告にしたがい、習一は成人男性の腹部に両腕を巻いた。喧嘩以外に他人に触れることは滅多になく、いいようのない心持ちが生じる。敵意ではなく、好意でもない気持ちで他者にくっつく。今の自分の心境が良いものか悪いものかさえ、わからなくなった。
習一の動揺を置き去りにしてバイクは発進する。習一は流れゆく実家を見つめ、その家屋が視界になくなっても視線を変えなかった。




