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喫茶店の客足が増え、昼飯時が迫る。教師の話では昼食の前に警官が来るが、と思った習一は外の様子を見た。窓際の席ゆえに人と車の往来がよく見える。警官は車かバイクに乗ることは教師の話から予測できた。安くはない乗り物を貸せるとなると、教師と警官は親しい間柄のようだ。おまけにこの炎天下の中、徒歩を強いられても厭わぬ相手だ。あの警官もまた、教師の仲間と言える存在なのだ。
道路上を走る白い影があった。滑空する白い鳥だ。その形状は習一の記憶に新しい。
「え……白いカラス?」
入院中に遭遇した白い羽毛の烏だ。全身真っ白な烏は希少生物であり、そうそう頻繁に出会えるものではない。なのに、白の烏は道路上を滑空する。その後ろに続くのが一台のバイクだった。乗り手は顔半分を防護レンズで覆うヘルメットを被る。人相はよくわからないが、学生の夏服のようなシャツとスラックスを履いた様子から男性だとわかった。
白の烏は習一の視界から飛び去る。習一は呆然とし、なんの変哲もない往来を見続けた。
「白いカラスが見えましたか」
低く安心感のある声によって習一は我に返る。その声には奇妙な言動への不信感がない。
「ああ、見えた。病院にいる時にも一回見たんだ。最近、このあたりに引越してきたのかな」
「いえ、あのカラスは警官の所有物です」
「警官のペットぉ? ずいぶんとレアな生き物を飼ってるんだな」
「他にも変わった動物をお持ちの方です。お願いすればいろいろ見せてくれますよ」
「ふーん。それはどうでもいい。あの警官がお出ましになったってことなのか?」
「はい、出迎えにいきます。しばらく待っていてください」
教師は日記帳を閉じ、店を出た。無防備な日記が習一の眼下にある。盗み見るに値しないと思い、手をださずにおいた。三分ほど経過すると教師が一人の男性を伴ってきた。その男性は習一が入院中、初めて目にした人物。名字を露木と名乗った警官だ。彼はヘルメットを小脇に抱え、反対の手には物が入った白いビニール袋を提げている。
「やぁお待たせ。習一くん、元気そうにしていて良かったよ」
露木は教師が座るソファの隣に腰を下ろした。ヘルメットは座席の空いたスペースに置き、持っていた袋は教師へ手渡す。
「せっかくだから薬、受け取ってよ。在庫全部っつってもまた作れるんだから」
「本当にいいのですか? シズカさんの分がなくては……」
「もうちょっと飲みやすく改良するんだ。クラさんと一緒に研究してみるつもり」
教師は露木に軽く頭を下げて「ありがたく頂戴します」と律儀に礼をのべ、自身の鞄へ袋を納めた。その薬とは二人とも使用の機会のあるものらしい。露木が習一に顔を向ける。
「課題のほうはどうだい、うまく合格できそうかな?」
「もうすぐ終わる。あとは補習に出席するだけ」
「うん、そうか。提出期限が来週末の宿題をもう済ませちゃうんだから、エライねえ」
「べつに偉くない。この先生が見張りをよこしてまでオレに強制したせいだ」
「シドさん側の見張りはあるだろうけど、きみは文句言わずにやってるんだろ? そこがエライんだよ。おれなら『もうむり』とか『明日にしよう』とか言っちゃいそうでね」
露木はさっぱりした笑顔を見せる。銀髪の教師よりはとっつきやすい大人だと習一は肌で感じた。年のころは二十代半ばだが、精神的には習一との隔たりがない。露木が特別幼いのではない。習一が変に世間擦れして少年らしさを失っただけだ。加えて教師が三十歳足らずのくせに老成している。そのせいで年齢的に近い大人二人が同世代に見えなかった。
「明日はシドさんの運転で動物園に行くんだってね。熱中症にならないように、飲み物をシドさんにねだるんだよ。彼は独身貴族で、お金に余裕があるからね」
露木は冗談半分な助言をする。
「こんな時、おこづかい制のお父さんは財布の中身がさびしくても子どもにジュースを買ってあげなきゃいけないんだから、大変だ。おれの兄貴もそのうちそうなるかな」
露木は温和な笑顔を浮かべつつ、テーブルの端に立てかけたメニューを取る。
「おれはここでご飯を食べる気なんだけど、お邪魔してても大丈夫かな」
「好きにしてくれ」
「ありがとう。どれにしようか……うちのご飯は野菜が多くってねー」
職業が警官だとは信じがたい呑気さで露木はメニューをめくり、雑談をし続けた。自分が住む家は寺であること、元々両親は住職ではなかったが不慮の災害で家を失くし、親戚の寺に住まわせてもらっていること、その親戚の娘と自分の兄が子どもの頃からの許嫁同士であり現在は結婚していること、といった身の上話を習一は聞かされた。
露木が昼食を注文するついでに習一も食事することにし、食べる間も彼は話を弾ませた。昼食中の露木は教師について熱心に話す。教師は今年の四月に初めて教師になった新人であること、シドの名前は教え子がつけたあだ名であり本名の頭文字を取ったということ、その教え子は樺島というアイドルとそっくりな顔をしていること、教え子と教師は親密な仲であること、校長が二人の仲を後押しすることなどを教師自らの弁解も交えて語った。




