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「貴方は以前、町中を放浪する不良少年だった、という認識で合っていますか?」
「ああ、そうだ。この辺に住んでる連中にけむたがられる、人間のできそこないだよ」
「そのように己を卑下してはいけません」
凛とした叱責だった。習一は口をつぐむ。
「貴方はきちんとした人間です。その証拠に昨日も今日も、長い時間を課題に向き合ってこれたでしょう。胸を張ってください。自分は頑張れた、と」
「気休めはいい。それで、父親についてどこまで知ってるんだ」
教師は平たい小麦粉の塊をもう一度ひっくり返す。両面に茶色の焦げ目がついた塊をヘラで半分に割き、火の通り具合を見る。
「そろそろ焼けますね」
「父親の話をしながら夕飯か。あんまり食えたもんじゃないな」
「では別に話題にしましょう」
「いや、とっとと教えてくれ。それを聞いたら食う」
教師は上半身を横へ倒し、鉄板の熱を弱めた。夕飯が焦げないための配慮だ。
「厳格な裁判官だそうで、情状酌量はあまりお好きでないとか。罪は罪としていかなる事情があれど罰するべきだというお考えの方だとお聞きしました」
「よく、知ってるな……」
「情報通な知人がいるので調べてもらいました。わかったのは表面的な情報だけですがね。長男である貴方とは不仲続きだと知れましたが、原因はわかりませんでした。あとは雒英高校の掛尾先生に教えてもらった話ですと、前年度を境に貴方の素行が荒れ始めた、と。その時に父親と激しい衝突があったのではありませんか」
「そうだよ、だからどうした? もめる原因がわかれば仲直りできると思ってんのか」
習一は底意地悪く聞いた。教師は軽く頭を横にふる。
「いいえ、私が知りたいのは貴方の父親が貴方を嫌うという事実です。貴方が家にいたがらないのは父親のせいでしょう。父親がいなければ貴方は日が落ちる前に、安心して家に帰ることができる。登校時刻に家族に顔をあわせて学校へ行ける。違いますか?」
教師の指摘は合っている。習一は父が眠るか仕事でいない時に家に帰り、父が出勤した後で出かける用意をする。常に父親と家の中で遭遇しないことに注意を払って過ごしてきた。父さえいないのなら母も妹も習一には無害な存在だ。
「父親がわが子を目の仇にする事情は察しかねます。ですが貴方を非行に走らせた元凶である以上、その存在を除かなければ貴方に真っ当な高校生活は送れません」
「あんたはオレじゃなくてオレの父親がダメ人間だって言うのか?」
「極論でいえばその通りです。貴方は元来、まじめな性格なのだと思います。そうでない人はプリントの山を解き続ける苦行に耐えられません。きっと弱音を吐いて逃げ出そうとします。ですが、貴方はエリーにも不満をもらしませんでしたね」
「……逃げたって他にやることがないからな。どうせ暇ならつまんねえ勉強でもやるさ」
「暇があれば勉強に励む、とは優等生らしい発想ですね」
「こんな落第生にゃ似合わねえ言葉だ、ってえ皮肉か?」
「いえ、貴方は周囲の人間に恵まれれば現在も優等生でいたはずです。その気性をねじ曲げた原因が父親なのですから、父親に親としての問題点があります。貴方を普通の生徒へ教化するにはまず、父親をどうにかしなくてはなりません」
教師は火を通したお好み焼きを食べやすいサイズに分けつつ、感慨深い言葉を連ねる。習一が心のどこかで誰かに言ってほしかった述懐だ。しかし根本的な解決法は見出せない。
「父親をどうにかする、ったって、あの頑固オヤジは死ぬまであのままだろうよ」
「はい。貴方が父親と一緒にいても互いに傷つくばかり。どちらかが離れるべきでしょう」
「家を出るならオレのほうだ。でも一人で生活できるか? 中卒じゃどこも雇わないぞ」
「厳しいでしょうね。ですので……私が貴方の一人暮らしを支援しようと考えています」
「あんたが? オレが、一学期の試験に合格できたあとも?」
「はい、周りの協力と貴方の気持ちがそろえば可能だと思います」
習一はしげしげとヘラを握る男を見た。彼が場当たり的な綺麗ごとを述べたようには見えない。ごく自然に、真摯な態度を保持している。
「今すぐに、とはいきませんが……この夏休みの期間中になんらかの落としどころをつけたいと思っています。オダギリさんの家庭環境は不健全です。補習を受け終えてからでかまいません。今後の身の置き方を考えてみてください」
教師は毛先の短い筆が入った調味料の蓋を外し、ソースをお好み焼きに塗りつける。焦げ茶色に染まった生地に習一はマヨネーズとかつおぶしをかけて食べ始めた。




