卑屈戦士とプリンセス・マドギワ
少しだけ夏を先取りした気分です
ラムネ飲みたいなぁ…
窓際姫は今日も夜空を見上げていた。
いつもと同じ窓際に腰掛け、まだ少し熱を含んだ夏の星空を眺めては、ラムネの瓶を傾ける。それが彼女の日課だった。
じゃあ僕は誰なんだ、と思うだろうから紹介しておく。
僕は窓際姫の下宿先であるアパートに出入りしているしがない高校生だ。今年で3年。名前は…そうだな、『卑屈』とでも呼んでくれればいい。多少の不満もあるが…実際、窓際姫も僕のことをそう呼んでいる。しかし、いったい僕のどこが卑屈なのか。失礼極まりないと思う。当然、口には出せないけれど。
窓際姫について説明すべきことはというと、まァ、おそらく「何から何まで」であろう。しかし僕自身も彼女について「何から何まで」知っているわけでは無いので、それは不可能だ。僕が彼女について知っていることといえば…
・彼女が僕の三つ上、すなわち大学三年生であるということ
・夜になると、こうして窓際に腰掛けてラムネを飲むのが日課であるということ
・それが似合うということ
・まだ小さい従姉妹がいて、とても可愛いという話をよくするということ
これぐらいか
つまり、実際のところ、窓際姫が何者で、なぜ窓際でラムネを飲み、どうして僕のような負け組高校生みたいなのがここにいるのか、というのが僕には解らない。全く、さっぱりだ。今書いていて気付いたが、『実際』と『窓際』って少し似ているな…
さておき、僕は不安なのだ。不安というより…なんだ…このふわふわとした浮遊感。そう、浮遊感。彼女といると、たちまち地面のないところにゆらゆらと連れて行かれるような気分になるのだ。何より、それが当たり前のことかのように振る舞えてしまっている自分自身が、僕は少し怖い。
「姫」僕は思い切って聞いてみることにした。
「そんな、姫だなんて、恥ずかしいじゃない」窓際姫は言った。
「じゃあ僕を卑屈クンと呼ぶのもやめて下さい、恥ずかしいので」
「残念ね、それはできないわ」
「なぜ」
「だってあなた、どうしても『卑屈』って言葉が似合ってしまっているから。それに、私は別に姫と呼ぶのをやめろだなんて言っていないわ」
「むぅ」僕は口をつぐんだ。なんて勝手なお人だ。
「しかし窓際姫、今日こそ聞かせて下さい」
「なぁに?」
「あなたはいったい何者ですか?」
しばらくの沈黙の後、窓際姫は手に持ったラムネをくいと一口飲み込んだ。
「悪い癖よ。あなたは私を妖怪か何かにでもしたいの?」
「すいません、そういうわけでは」
「そう聴こえるのよ、私には」窓際姫はそう言って、ふいに窓の外に浮かぶ月をみつめた。満月というには少しばかり痩せている。そしてもう一度、ラムネの瓶を傾けた。少し空色がかったガラス玉がカランと音を立てた。
「私、悲しくなってきちゃった」
「だから、すいませんってば」この話はよしといた方がよかったらしい。
「でもそうね、この辺りできちんとお互いのことを知っておくのもひとつの手かも知れないわ」
「それはひょっとして、僕の話をしろということですか?」
「もちろん」
「そしたらあなたについても話してくれますか?」
「それはどうかしら」
「どうしてそうなる」僕が落胆する様子をみて窓際姫はくすくすと笑った。
「まぁいいじゃない、ほら、素敵な風が吹いてきた」
風にゆられて緩やかな弧を描く彼女の長い髪は、なんとも妖美な雰囲気をまとっていた。差し込む月明かりのせいか、線の細いうなじがいつもより余計に白く浮き上がって見えた。
それにつられるように窓際姫はまたくすりと笑い、そしてまた夜空を見上げるのであった。