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私たちが村を発って、もうそろそろ一ヶ月が経つ。何度か小さな農村に立ち寄ったり野宿をしつつも無事にベルトゼの街に着いた私たち。野盗が出るという噂も出ていたから不安だったけれど、何事もなく辿り着けて良かったねとイクスさんも微笑んでいた。
――ベルトゼの街。この街の近くには風吹く丘と呼ばれる観光地があるらしく、運が良ければ珍しいものが見れるのだとか。私もイクスさんもその珍しいものというのが気になって仕方なかったので、しばらく滞在することになったのだ。
そうなるとまぁお金が必要だよねということで、イクスさんが受けていた依頼の達成報告のついでに新しい依頼を受けるべくギルドへとやって来ていた。
「じゃあ、ちょっと報告に行ってくるね」
イクスさんはというと、ものすごい気軽にそう言い残すなり犬耳を生やした受付嬢の所に行ってしまった。一人残された私はというと入り口から少し離れた壁際にぽつんと立ち尽くすのみである。
一人でいてもしょうがないので慌ててイクスさんの傍に駆け寄ると、私に気付いた様子もなくイクスさんは依頼の報酬にお金を幾らか受け取り、早速次の依頼の内容を聞いているようだ。
(……ここがギルド、なんだなぁ)
それにしても、予想とは違ってそんなに洗練されてないというか、屈強な男たちが酒場に集まって戦利品を見せつけたり酒を飲んでるだけであんまり小綺麗な感じがしない。
……でもこの賑やかさは案外心地良いかも、なんて思っていたら。比較的穏やかだった空気に一石を投じるような波乱の予感がした。
「おうおうおう、そこのキラッキラしてやがるニーチャンよぉ、アンタちょいと調子に乗ってるんじゃねぇか」
鉄の鎧を全身に纏った大男がイクスさんを睨み付けながら近付いていく。威圧的な態度に動揺した素振りのない彼女は、大男など気にした様子もなく受付嬢に話しかけている。
受付嬢の方もイクスさんが中性的というか綺麗だからか大男なんて目に入っていなさそうだ。……あれ、これイクスさんわざとやってるの? 男の人その内泣きません?
「うん、二つ目のこれを受けるよ。最近迷子が増えてきたっていう内容が気になるし」
かと思えばなんだか勝手に依頼を引き受けてるし。や、それは良いんだけれど、無視された男の人ってば本当に怒ってますよ。ちょっと私、離れていてもいいですかね。
「無視してんじゃねぇぞ!」
苛立った様子の大男はそう叫ぶなりイクスさんの左肩をぐいっと掴……もうとしたのだけれどその右手は空を切った。
「おあっ!?」
触れられる直前、右にほんの少し動いたのだ。ただそれだけであっさりと避けてしまった。……調子にのりやすいとはいえ実力を見せつけるような性格でもないから十分それで良かったんだろうけど。
「急に掴みかかろうとしないでよね……で、用件は何かな」
けれども逆にそれが男の怒りを買ってしまったらしい。青筋を立てて男は今度こそイクスさんの胸ぐらを掴みあげた。……あ、今絶対わざと避けなかったなぁ。
「ふざけんなよクソガ……ンゥ!?」
唾を飛ばさん勢いで捲し立てる大男、その彼の台詞の途中でズ、と鈍い音がした。……崩れ落ちた大男とは対照的に落ち着いた様子でシャツのシワを伸ばすイクスさんの膝蹴りが鳩尾に決まったのだろう。
股間を蹴られなかっただけマシである。それが、イクスさんと一ヶ月共にした私の感想だった。イクスさん、そんなに男の人好きじゃないし近寄ろうともしないからね。
「さて、と。話の途中でごめんねお姉さん。もう一度説明してもらってもいいかな」
今度はツレも一緒に聞くからさなんて言って、いつの間に気付いていたのか近くにいた私の右手を握って引き寄せたものだから、やや表情筋が緩んでいた受付嬢の表情が鬼のようになってしまったのは言うまでもないだろう。
……女の人の嫉妬って怖い。
「世界には、何もないところがあるんだ」
何もない、枯れ果てた土地にたどり着いた一人の少年は静かに嘆きました。
三日三晩嘆きに嘆いた彼はポケットの中に何かの種があることに気付き、その種を植えてみようと思いました。
「綺麗な花を咲かせなくていい。雑草だったとしても構わない。ただ、誰かの心を癒してほしいんだ――」
少年の願いは叶い、草花の生え始めたその土地には人々が集まって……数十年後、一つの街と一人の心優しき領主が生まれたのでした。
『ベルトゼと呼ばれた少年』より一部抜粋。