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その後。お昼時を過ぎた為に一服亭へと戻り、彩華さんお手製のオムライスを食べた私たちだったが、今は一服亭の食堂のようなところで作戦会議をしていた。
「お金はかなり! 重要です。これはフェンもよく分かってると思うけど」
「そうですね。リーアのいた村でも金銭でのやり取りが主流でしたから分かります」
いや、作戦会議というよりも今後の目標を決めるとかそういう感じだろうか?
「ここみたいなところの支部でも街で暮らしていくくらいなら稼げるんだけど、なんていうか依頼自体が少ないんだよね。難しそうな案件とかは本部に流されるからさぁ。簡単に言うなら、旅に必要なお金を稼ぐには向いてないってこと」
「なるほど……」
曰く、こういった街の依頼というのは、貰えるお金が少ないことが多いのだと言う。街の人の信頼を得て、この街を気に入って一生暮らすというような人が受けるようなものが多いのだと。
「……というわけで、ギルドの本部に行くのを当面の目標にしようと思います。あと、美味しいものいっぱい食べようね! というかそっちがメイン」
「わー」
グッと握り拳をつくって意気込むイクスさんを見ながら拍手をすると、彼女は我に返ったのか少しだけ照れくさそうに笑って見せた。
かつての私を知っているのだというイクスさんは、私の記憶が戻らなくても構わないのだと言う。でも、時折寂しそうな顔をしているので、やはり記憶を取り戻して欲しいのだろうな、と思ってしまう。
(多分、気分を盛り上げないとつい悲しくなってしまうんだろう)
そんなことを考えていると、テーブルの上に飾られている歌う花をじぃっと眺めていた彩華さんがポツリと。
「旅の途中で見境なしに次から次へと食べまくって、金が無くならなきゃいいがね」
「あはは……」
あと、食べすぎて寝込むとか。イクスさんなら有り得そう。
「フェンの記憶が戻るか戻らないかはその時にならないとわからないけどさ。本部のある王都はとにかくここよりも賑やかでお祭りなんかも結構あるから、一緒に楽しめたらいいなぁって。それにお店も雑貨屋さんとかあるから好みのお店を探し出すのも良いと思うよ」
「王都……」
今私たちがいるこの国の中心地。国を治める王のお膝元、そこにギルドの本部があるらしい。
「本部というからにはやはりこの街の支部とは違うんですか?」
ここも割と大きいと思うのだけれど、如何せん私はリーアの住んでいる村とこの街しか見たことがないのでなんとも言えない。
「そりゃあ勿論。それに支部でも冒険者として登録は出来るけれど、本人証明として使えるタグは本部じゃないと貰えないんだよ」
「初耳なんですが」
「教えてなかったもん。というかまぁ、別にタグは無くても問題ないんだよ。大きな街にいけば、そこに入る段階で審査を受けて、お金を払うことでその街限定で使える身分証が貰えるからそれで事足りちゃうし」
答えてくれたイクスさんに対して、彩華さんが首を傾げながら疑問を投げかけた。
「事足りるってんなら、無理して王都へ行く必要は無いんじゃないかい? 街に出入りする度に金がかかるんじゃあ金欠にもなるだろうし、王都は行くだけでも時間が相当かかるんだろ」
村へ来た時、イクスさんは王都から歩いてやってきたと言っていた。でもそれにはかなりの月日が必要で、流石に年単位まではいかないものの数ヶ月はもっていかれる筈だ。
「お金に関してはサイカの言う通りなんだけど、時間はそんなにかからないんだよ。馬車を利用すれば時間短縮出来るし」
ただ、私はあまり馬に懐かれないから馬車は苦手かな、と苦笑したイクスさんは更に続ける。だから長距離を移動する時のみ使用したのだと。
「一応王都に行く理由としてもう一つあるんだよ。ギルドの本部にはとある不思議な道具があってね。本部で加入すると使用した人の最も、……ああ、やっぱり今の無しで!」
「最も、何ですか?」
自慢げな表情から一転、ニヤリとしてみせたイクスさんは意地悪な顔に。
「んーん、これは向こうへ着いてからのお楽しみにしようかな」
「そんなに勿体ぶられると凄い気になるんですけど。彩華さんは何かご存知ですか?」
「いや? 悪いけど王都に近付いたこともないし、ここに来るまでも旅はしてきたけどあんま冒険者とは会わなかったからさ」
それでよく宿屋をやる気になったなぁ、とは言えなかった。だって、宿屋を利用するのは商人だとか冒険者が殆どだろうし。
「いつもここを根城にしてる奴らなら知ってるかもしんないけどさ。でも、生憎長期の依頼に出てるからねぇ。ま、いいんじゃないかい? サプライズってのも乙なモンじゃないか」
や、それはそうだけれど。でもどうせならそれに対処できるようにしておいた方が精神的に余裕が生まれるだろうし。
「んん、まさかそこまで気にするとは思わなかった。やっぱり隠しときゃ良かったな」
「とはいえ別に減るもんでなし、言っちまっても良いとも思うけどねぇ。些細なことと言えど、気にしすぎてギクシャクするのも問題さね」
それはそうなんだけれど、と渋るイクスさんを彩華さんが肘でつつく。あ、結構痛そう。じぃ、と見つめると彼女は黄金色の瞳を伏せて、まぁいいかと口を開いた。
「……その道具はね、使用した人が最も恐れたものを映し出すんだ」
「それはまた、記憶を取り戻すのに役立ちそうな道具ですね……」
いつか聞いたショック療法とやらを思い出す。あまり人道的には良い印象を抱かなかったのだけれども。
「でしょ。どちらに転ぶにしろ、試してみて損は無いと思う。……フェンが大丈夫なら、だけど」
そんなことを思っていると、彩華さんがこてんと首を傾げて見せた。
「恐れたものっていうと……無機物でも有機物でも、何でもありなのかい? 冒険者なんて腐るほどいるんだ、なんかこう面白いのを出してきた奴とかもいるんだろ」
「うん。私が知っているのだと、部屋の至る所に数多くの人形が置いてあって、その全てが自分を静かに見つめている光景が印象的だったな、あれは凄い怖かったよ……。生き物だとへケト山の主だとか災禍かな。どっちもその場には居合わせなかったんだけど」
サラリと出てきたけれど、ヘケト山の主とか相当珍しいのではないだろうか。それに、災禍というとよく子供たちへ読み聞かせる絵本だとかに出ていた記憶がある。
泥々のバケモノで、悪いことをする子供を夜な夜な攫いに来ちゃうとかなんとか。
「……へぇ、災禍ねぇ。そいつぁ確か、遭遇した者は皆殺しにされるような、危険な人型の魔物とされているんじゃなかったかい? 目撃者は軒並み死んでいて、特徴が知られていないそいつは今も、この大陸の何処かで誰にも知られることなくのほほんと暮らしているらしいが」
……少しだけ、彩華さんの語気が荒くなったような気がする。けれども表情は先程よりも凪いでいて、なんと言うかそう、嵐の前の静けさを思わせるような雰囲気だ。
だからこそイクスさんはそれに気付いた様子もなく話を続けた。
「騎士の国と祈りの国。その境目にある砦にいた兵士たちを殺したと言われている残忍な魔物、災禍。彼の人を見たという人物は──」
「……」
「何処にでもいそうな、人あたりのいい笑みを浮かべている茶髪の女性だったらしいんだ」
泥だらけのその恐ろしい怪物が映し出された時、ギルドには緊張が走ったらしい。あまりの恐ろしさに席を立つ者もいれば、腰を抜かした受付嬢もいたそうだ。
歴戦の勇士が集うギルドで何故そのようなことになったのか。答えは単純明快だ。──災禍と呼ばれる魔物が人型をしていたから。魔物は人の形をとらないというのが世の理であり、そんな存在から水晶越しとはいえ殺意を叩きつけられれば、慄くのは間違いないだろう。
唯一その光景を見せた女性だけが微笑んでいて、しばらくの間沈黙が支配していたのだと。
「へぇ……その茶髪の女が、泥だらけの魔物と対峙したって?」
その場の空気が、ざわりと揺らいだ。彩華さんが俯いて笑い出す。……と同時に、威圧感が霧散する。
「……それ、まさかとは思うが作り話ってオチじゃあないだろうね」
「よく分かったね!? 以前その女性が訪れた孤児院で、子どもたちにせがまれて泥合戦をして遊んでいたら、そこの修道女にかなりの数当てちゃったらしくて、普段は物静かな修道女を怒らせちゃったみたいだよ」
……ええっと。つまり、災禍と呼ばれる魔物と対峙した訳ではないと。
「私はその場にいなかったんだけど、その光景を絵にした人がいてね、臨場感あって怖かった……」
何をやっても怒らなそうな人を怒らせた時ってなんかもう死を覚悟するよね……。あ、私ここで死にますねみたいな。
「……でも、なんでその女性はその泥塗れの存在が災禍である、なんて言ったんでしょうか」
災禍と呼ばれている魔物には謎が多い。砦の兵を全て殺したその残忍な行いから魔物とカテゴライズされてはいるけれど、聞くところによると兵たちは全て刃物のような鋭利なもので斬られているということで、人間だったのではという説もある。
ただ、魔物というのは元から鋭い爪や牙を持ち合わせているためにそれらで殺したのではないかという噂の方が主なのだけれど。
「……打ち捨てられていた剣の一部には、泥が付着していたらしい。兵たちには泥なんて全く付いていなかったのに、だ。それは、連絡の途絶えた砦を不審に思ってやってきた他の砦の奴らが言っていたことだ。どっからかそれを聞いたんだろうねぇ」
「それで、もしかしてその泥は災禍と呼ばれる魔物に付着していたものだったのではと考えて、そうして最適な記憶があることを思い出した」
……や、それにしたって無理があるように思うけれど。冒険者にだって数々の戦場を渡り歩いて尚生還するような強靭な肉体や精神をもつ人だっているだろうし、そんな人たちがいくら恐ろしく見えたとはいえ泥塗れの修道女に恐れをなすだろうか?
「ま、そういうこともあるんだろうさ。で、結局その女性ってのはどうしたんだい」
「あまりの恐怖にギルド内が凍りついたものだから、ちょっと困ったような顔でネタばらしして、そのまま帰っちゃったらしいよ。もしかしたらばらすつもりは無かったのかもね」
ギルドは基本、どんな人物でも受け入れる。けれども虫一匹殺せなそうなか弱い女性が入ろうとすると面倒な輩に絡まれることはしょっちゅうだ。
だからこそ、少しでも恐ろしい光景を出すことで自分はそんな状況で尚生きて帰ったのだと、そういうアピールをしようと思っていたのかもしれない、そうイクスさんは締めくくった。
「とまぁ脇道に逸れちゃったけれど、その道具を使えば過去の記憶をなんかこう良い感じに刺激して少しくらいは記憶が戻ってくれるかなー、なんて」
物凄いふわふわしてるなぁ。
とはいえそういうことであれば、後でも良いかなぁ。ここで登録しておいた方が面倒は少ないのだろうけど、私もその本部登録限定の道具とやらは気になるし。
喩えとしては微妙だけれど、何だな商品を購入した時に期間限定でついてくるおまけを連想するけれどもお得といえばお得なのだろう。
「分かりました。では当面はイクスさんの仰った方向で行きましょうか」
「うん! そんでもってお金は必要なので暫くお金を稼ごうと思います」
「わー」
なんかさっきもこんなやり取りした気がするなぁ。
「ま、何をするにも金は必要だからねぇ。あたしが出した採取依頼の達成金もそんなに多くはなかったろうし。ギルドを介してなきゃもうちっと分け前あったんだろうが」
申し訳なさそうに息を吐く彩華さんにパチリとウインクをしてみせるイクスさん。街中でいつもの格好でやったら女性にモテモテのやつだ。今はターバンを外しているから少し鋭い目つきの女性、という印象だけれども。
整った顔立ちでウインクをされると何だかソワソワしてしまうのは私だけだろうか。や、私がされた訳ではないし彩華さんも全く気にした様子はないのだけれど。
「ギルドを挟まずに依頼を受けてもらうのも難しいだろうから、仕方ないよ。それに達成した際の報酬だとかその辺りは予め説明受けてるから大丈夫」
そいつを聞いて安心した、と言って彩華さんが席を立つ。お茶を淹れに行ったらしく、暫くしてからキッチンの方から湯を沸かしているらしき音がした。
熱すぎない程度に鍋で沸かしたお湯にお茶っ葉を適量ぶち込み、ある程度香りと色が出てきたら適当に茶葉を取り出す。
『いつ見ても豪快なお茶の淹れ方ですよね。昔ここに来た人たちはお茶の淹れ方も教えてあげれば良かったのに』
左側から聞こえてきた、ため息混じりのそんな声にそっと頷く。
──そういえば、私が初めてお茶の淹れ方を教えた時の彩華は、とんでもない世界に来てしまったとでも言いたげな壮絶な顔をしていたっけ。
もっとこう小さな……茶漉しってのは無いのかい、なんて憤慨していたのだけれど、どうやら彼女の中で折り合いはついたようだ──。
「あ、そうそう。いくつか素材採集の依頼を達成したからギルドに行こうか」
いつの間にか左側に向いていた顔をイクスさんの方へ向ければ、彼女は少しの間不思議そうにこちらを見ていたが、気を取り直したのか表情を引き締めてみせた。
「そんな簡単に達成出来るものなんですか?」
「物によっては。ちなみに王都で受けておいた依頼なんだけどね、これは基本的にどこの支部でも常時募集かけてるようなやつだからどこで報告してもいいみたい」
今回の場合、王都で依頼を受けて支部で条件達成の報告をするということになるそうで。薬草やら魔物の毛皮やらは扱いに気をつければ劣化しにくいから定期便で送ることもあるのだそうだ。
「ただ、定期便だって無料じゃないからね。多少手数料で間引かれるんだけど……。訳あって依頼を受けた場所から離れてしまって、依頼主に渡しに行くのが困難だって人がよく利用するんだよ」
ただ、素材によってはそれが出来ないものもあるのだという。多少荒い運転になってしまうらしく、形が崩れてはならないものなどが挙げられる。
「定期便が出る時はね、ちょっとお得なんだよ。護衛の依頼が出るんだけど、多少お金が貰える上に馬車に乗せてもらえるの! まぁ、入れ替わりで御者の隣で索敵はしなきゃなんだけど」
私も途中まではそれで来たんだ、と微笑むイクスさん。それでもやはり村まで来るにはかなり時間がかかったようで。
「どうせだからキノコの納品依頼もここで品物を出して終わらせようかなって思ってたんだけど、今回依頼のあったキノコは、乾燥した状態が好ましいって言うからそのまま王都に行っちゃってもいいかなって」
タルーダの森にしか生えないというそのキノコ。村の人も食べたり使ったりしようとしなかったそれは、食用ではないだろうなと思ってしまうような微妙な色合いをしているのだ。なんというか鼠色、みたいな……。
いや本当にどんな人物がどのような用途で使うのだろうか。それも、王都へ行ったら分かるのだろうか。
「出発は……うーん、そんなすぐだと困るよね」
体ごと首を傾けるイクスさんの目の前に、コトリと置かれたマグカップ。目線を上げれば、お茶を入れ終わったらしい彩華さんの姿が。
「ここから隣町まではそんなに離れちゃいないが、準備は怠らない方がいいだろうさ。ここらじゃ聞かないが前に都の方で盗賊が出たなんて話も少し前に出てたし、思わぬところで躓いちまって野宿、なんてこともあるからね」
だから何日かかけてしっかり準備した方がいいだろうねぇ、と言った彩華さんは更に続ける。
「鍛冶屋が並んでる通りの一画に、とある道具屋があるんだ。そこのカンテラは絶対に持っておいた方がいい。あたしは使ったことはないんだが、噂だと衝撃を吸うような材質で作られてるらしくてね」
「えっ何その素敵なカンテラ。絶対必要だよね!」
はしゃぐイクスさんを呆れたように一瞥した彩華さんは、私に視線を向けてくる。
「折角だから買ってきたらどうだい? そこの、冒険者の癖にあまりにも物を持ってなさすぎる上にすぐ金をメシに使っちまう阿呆は置いていってさ」
何でお留守番!? と叫ぶイクスさん。……いやあなた、数日前に買い食いしすぎて彩華さんに怒られたじゃないですか。多分無駄遣いするなってことですよ。
「一応地図は書いてやるけど絵心はないから勘弁しとくれよ。もし分からなくなったら適当な店屋に入るといい。道具屋でカンテラを買いたいって言えば道を教えてくれるだろうさ」
「こういうのって、お使いみたいでワクワクしますね」
「お使い頼まれて喜ぶのは今のアンタくらいだと思うよ……ほれ、地図」
「そんなことないと思いますけど……ありがとうございます、それではいってきますね」
「私もいきたーい! フェンと楽しくお買い物したーい!」
あっ、テーブルに突っ伏してるイクスさんが手足をバタバタしてむくれてる。可愛い。
「晩飯には帰ってきなよ? あんまり遅いようなら迎えに行くからさ」
けれども彩華さんは気にする素振りもない。私に対しては結構優しいような気がするけれど、この人って割とイクスさんには容赦がないよね。
「あはは、ありがとうございます」
そうして私は扉を開け、一歩外へ出る。……扉を閉ざした直後に雰囲気を鋭いものへと変えた二人を一服亭へ残して。




