19
洞窟を抜け、マルガさんと共に街へ戻ってきた私は一目散に一服亭へと向かう。悲しいことに帰り道で獣に遭遇しなかったのでイクスさんへのお土産として串焼きを何本か購入して。
「ただいま戻りました」
扉を開け、足を踏み入れればカウンターには誰もいなかった。……そう言えば、イクスさんのことを見ていてくれるって言ってたんだっけ。
木の階段を上り、二階へ。何室かある部屋は空き部屋のようで人の気配が微塵もしなかった。三部屋ほど通り過ぎた先に、私たちの借りている部屋がある。イクスさんは寝ているだろうけど、礼儀としてノックをする。
「あいよ、入りな」
私の手がドアノブに触れるか触れないかのところで中から声がかかった。……彩華さんだ。
「ただいま戻りました……イクスさんは?」
そっとドアを閉めながら様子を伺えば、ベッドで眠っているイクスさんの汗を彩華さんが拭っていた。寝顔からすれば症状は酷くなさそうで安心。
「この通り、ぐっすりさ。最初はアンタのことを心配してたようだけどねえ」
(心配をかけてしまうとは申し訳ないなぁ)
とはいえ、何の力も持たない私が一人で街の外に行ったとなれば心配するのも当たり前か、やはり思いつきで行動するものではない。
「三日後にゃあこの街で祭りが開かれるって話だ、そこで何か奢ってやればいいんじゃないか」
「確かに、それは良いかもしれません」
珍しいものだとか美味しいものに目がないイクスさんのことだし、きっと喜ぶに違いないだろう。
「大食らいにはこの上ない名案だろう?……そういや、話は変わるんだが。歌う花は見つけられたのかい?」
「それはもう、しっかりばっちりと」
しっかり、ばっちり? と首を傾げる彩華さんに、花粉を浴びちゃいましたと言うと目の色を変えて。
「アンタねぇ、そういうことは先に言いなよ! 今度はアンタの看病をしなきゃいけないじゃないか!」
あ。
「いやでもですね、一時間以上経ってるはずですけど幻覚なんて全くみてないんですよ」
強いていうならばマルガさんとか、洞穴で見かけた子供とお菓子作りに勤しんでいるゴブリンだとかは幻覚に思えなくもないけれど、あれは確かに質量があったし。
「は? でもイクス……こいつでさえ無理なのがただの人間に抵抗できるわけないだろ」
「仰りたいことはよく分かるんですけれどね」
でも、効かないものは効かないのだから仕方ない。それにもしかしたら記憶を失う前に花粉を吸ったことがあったのかもしれないよね。……ああ、でも歌う花って周期的にしか咲かないんだっけ。
「効いた効かないはともかくとしてだ。とりあえずはひとっ風呂浴びてから部屋の中で安静にしとくんだね」
それだけ言って、彩華さんは部屋を出ていってしまった。机の上には冷たい水の入った桶と、清潔な布。イクスさんの額において熱を冷ませ、ということなのだろう。
(それにしても、少し疲れちゃったなぁ)
別に戦闘をした訳では無い。ただ歩いて、花粉を吸って、マルガさんと一緒に洞穴に行ったというだけ。あ、あとお使い頼まれたくらい。
ベルトに括りつけていた銅剣を鞘ごと外し、ベッドへと置く。上着を脱ぐと少しだけ気分が落ち着くのが分かった。……やはり、少し緊張していたのだろう。
(ここに来るまでだって、魔物に遭うことなんて殆ど無かったしあってもイクスさんが倒してくれたし)
そんな人間が一人で探索に出たのだから緊張して当たり前か。というよりも命がいらないのかと説教される行いであろう。
自分でもどうかしているとは思うけれど、大丈夫だと思ってしまったのだから仕方ない。
(とりあえず、お風呂に入ってこよう。花粉散らしちゃったら大変なことになるし)
ーー結局。彩華さんに言われた通り一日大人しく寝ていたけれど両足が筋肉痛に襲われたくらいで、発熱の気配なんてしませんでした。いや、あと二日くらいありますけど。けどさぁ、あんなに吸ってしまったんだし……ねぇ?