16
木漏れ日が降り注ぐは丘から少し離れたところにある森の奥。そこにマルガさんの大切な人は眠っているのだという。
「……」
風化している石の墓の前に静かにしゃがみこんで両手を組む彼女は、まるで名の知れた絵画からそのまま抜け出してきたかのような、神秘的な雰囲気を纏っていた。両の手は力いっぱい握りしめられていて、肌の色が白く見える程だ。
(余程、大切な人だったのだろうなぁ)
先程までは聞こえていた鳥の囀りすらも聞こえない、静かな静かなこの場所で、私は何をするでもなくマルガさんの隣に立っている。
(『我らを愛し我らが愛した女王、ここに眠る』か)
女王。この世界には王と呼ばれた人間の物語こそ多かれど、女王の物語は驚くくらい少ない。それこそ片手で数えられる程と言ったところだ。
……私は、女王の物語を読んだことがないし聞いたこともない。あまり文献に残っていないからというのもあるが、物語を知る人々は皆口を閉ざすのだそう。
男が王になるのが当然とされているからなのか、それとも上からの圧力がかかっているからなのかは分からないが。
(でも、一つだけ知っている。国民から愛されていたと言うと該当するのは――)
「シャーロット。彼女は聡明で、とても美しく、多くの民を救ってきました。ここは彼女の、私が最も愛した女性の墓標なのです」
女王シャーロット。彼女は幼い頃から馬を巧みに操り、兵士に混じって剣を振るような人物だったのだそうだ。将来は知に秀でた兄を支えるために一将軍として戦地に赴くのだと語っていた少女。
しかし兄が流行り病を患い、 息を引き取ったことで彼女は王となるべく、今までは重要視していなかったあらゆる知識を吸収し始めることになる。
貪欲にも知識と力を吸収し自分のものとした彼女は成人した二年後に女王として頂点に君臨することとなった。
彼女が目指したのは、外国への侵攻ではなく内部の平定。全身甲冑の騎士を従えて各地へ査察に向かう彼女は輝いていたと、昔読んだ本に書いてあったっけ。
「そんな人のお墓が何故ここに?」
問えば、マルガさんは静かに立ち上がって苦笑。
「大した理由はないと言うと嘘になってしまうかもしれませんね。……彼女にとってここは大事な地なのです。出会ったんですよ、彼女に忠誠を誓う騎士と」
ここで出会った二人――騎士は女王を愛し、女王もまた彼の人物を愛した。
そんな地だからこそここに立てたかったのです、とマルガさんは言う。結局結ばれることのなかった二人だが、女王が同国の貴族と婚姻を結び、娘を産んでからも交友は続いていたのだそうだ。
「騎士は色々あってこの街の教会に捨てられていたのですが、まぁ肉体面精神面共にたくましく育ちまして。十四歳を迎えると同時に当時壮年であったベルトゼが住む屋敷の給仕になりました」
二人並んで、墓を後にする。木々がざわざわと揺らいで鳥の囀りが聞こえ始めた。
「昔から身体能力は高い方で、腕っぷしには自信がありました。荒事が起きても自分より大きい男をいなすのなんて造作もないくらいの実力だってあったはずなのですが……」
リスが木の上をとことこと歩いているのを見て、思わず二人でニッコリ。かと思えばマルガさんはなんだか言い淀む。
「ある日ベルトゼを尋ねた一人の少女に敗北し、心を奪われてしまってからはまぁええっと、はい、真剣に剣を習い始めまして」
何故かやたらとマルガさんが照れ臭そうにしているけれど、あれなのだろうか。マルガさんはその騎士の人の末裔で、ご先祖様が女性に惚れちゃった話をするのが気恥ずかしいみたいなやつなのだろうか。
彼女が少し前にこの街にやってきたのは、お墓参りの為なのかもしれない。
「そして、女王……いえ、当時はまだ王女でしたね、彼女に見初められた給仕上がりの騎士は、彼女に相応しい地位を得るべくあらゆる戦地に向かいました。立ち塞がる敵は斬り、槍を奪っては刺し殺して、次第に騎士はその強さを各地へ知らしめることとなります」
愛した人の為に血塗られた道を往く。きっとそこには、物語では語られないだけで苦渋だとか葛藤だとかが渦巻いているのだろう。
「まるで英雄のようですね」
――――。
『貴女だってそうでしょ?』
――――。
「はは……英雄ですか。どうなのでしょうね。騎士は女王にとっての希望でありたかったし民たちは喜んでくれたけれど、敵からは悪魔と呼ばれていましたから」
「……それは、何とも悲しい話ですね」
「少なくとも私は、幸せであったと思いますよ? 女王もそうであったならばこれ程嬉しいことはないとも」
「あら」
いつの間にかザリザリとした砂混じりの土から、単なる土で出来た地面へと移っていた。近くに水源でもあるのか、やや湿り気混じりでブーツの底に土がくっついてしまった。
「どうしたんですか、マルガさん」
隣を歩いていた彼女が急に立ち止まったので訊ねれば、彼女は不思議そうに小首を傾げていた。
「いえ、子供のものらしき足跡がついているものですから……」
「子供の?」
「ええ。それも複数人と思われますね」
見れば、確かに微かではあったけれど子供の靴跡らしき形跡が土に残っていた。マルガさんは耳をピンと立てている。
「古い子供の匂いと……恐らく少し前にここを通りすぎたであろう、ゴブリンの臭いがします」
こっちへ、と走り出したマルガさんに従って駆け出す。向かう方向としては……街で買った地図が確かならば丘にある湖の方みたいだ。
「獣たちがいないのが気にかかりますね……ゴブリンに恐れをなして逃げ出すとは到底思えませんし、何か悪いものがいなければいいんですけれど」