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(うげ、何の味もしない……)
蜜だったら良かったのに、と思ってしまう。吸えば幻覚を見せられる花粉を口に含んでしまうなんて馬鹿の極みだろう。彩華さんに聞かれたらお腹を抱えて笑うのではないだろうか。
「確か幻覚なら一時間前後、発熱は三日後以降に症状として現れるんだったかな」
出発直前に彩華さんが教えてくれたことを思い出す。冷静を保つ為に私の持っている情報を整理しよう。
カサ、ガサガサ。
歌う花の花粉によって引き起こされるものは二つ。まず最初に知った、幻覚を見るというもの。花粉を吸引して一時間前後で見るのなら、イクスさんは既にもう見てしまっているのだろう。けれどもそんな素振りは全く無かった。
……となると、幻覚自体を見なかったか、見たけれど認識していなかったのか。
(若しくは語る必要もないと考えたか、かな)
「あら」
一応は行動を共にしている訳で、それならお互いに不調は報告すべきだろう。私がくしゃみをしようものならわたわたとしたながら世話を焼こうとする彼女のことだ、それはよく分かっている筈。
だとすれば、幻覚さえ終わればもう問題はないと思っていた…………幻覚の後、発熱するという情報を知らなかった?
(その可能性が高い、かな)
幻覚というのが一過性のものなら、見なくなれば落ち着いたと判断するだろう。それにイクスさんは独自に聞き込みをしていたみたいだし、私が今朝聞いた『幻覚に悩まされるが、花の蜜を用いたお菓子は美味しい』という情報を手に入れていてもおかしくはない。
イクスさんって美味しいものに目がないから、蜜を入手してお菓子作れる人に作ってもらおうとしてたとかあり得そうだなぁ。完全に私事だからこちらに言えなかったとか。
……あ、この線が高いかも。
「フェンさん?」
「……ッ!?」
唐突に肩へと触れられて、思わず跳び跳ねた。驚きながら振り返ると、そこには気遣わしげにこちらを見つめる赤い双眸と心なしか垂れているように見える犬耳の――まぁなんというか、お馴染みになりつつあるマルガさんだ。
「驚かせてしまい、申し訳ありません」
「い、いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけなので」
銅剣の握りに触れていた右手をそっと下ろして呼吸を整える。乱れているという程でないとはいえ、驚いたのは事実だ。彼女に遭遇すると胃か心臓がきゅっとなるのは何なのだろうか。
そうでしたか、と続けたマルガさん。彼女の服装はなめし革のブーツに乗馬用のズボンに白のブラウス、そしてその上やや暗めの青色をしたベストと、おおよそ魔物が出るところに来るようなものではなかった。
(彼女は何の用があってこんなところに?)
マルガさんがついてくる素振りを見せたので、歌う花から離れたところへ向かって歩き始める。街とは少し違う方向へ歩いていると、右側にゴツゴツとした岩肌が。
「まさか、こんなところに見知った方がいらっしゃるとは思いもよらなかったのでつい気配を消してしまいました」
「つい、で気配を消せるのって凄いですね……」
彼女のことだから、『強者の匂いがしたので来ました』なんて言われても納得してしまいそうだ。いや、それで私のところに来ようものなら信頼性に欠けるのだけれど。
「それにしても、フェンさんはどうしてここへ? この場所も有名な風吹く丘の一部でこそありますが、地元の人間も滅多に近寄らないと聞きます」
まぁ、歌う花なんてものがありますしね。
「どんな花が、幻覚を見せるのかなって気になってつい」
「……フェンさんのつい、の方が凄いと思いますよ?」
苦笑気味のマルガさんは耳をピンと張って見せた。……あ、なんだか本気で言ってるみたいだ。
「いやいや、マルガさんの方がとんでもないですよ。そんなに強いのは出ないらしいですけど、ここには魔物が出るって話なのに丸腰で来てますし」
そう、マルガさんは丸腰なのだ。何故だか左手には花束を持っているけれど丸腰で間違いないだろう。普通は私みたいに護身用に何かしら持つであろうに、何故花束。余程腕に自信があるのだろうか。司書だなんて闘いと縁が無さそうな職業であるにも関わらず?
「ああ……」
成る程、と言いたげな彼女はどうやら私の意見に納得したようで、苦笑の形をしていた口元を獰猛な形に変えて見せた。
「――丸腰で問題ないので御座いますよ。獣人は、その身体自体が武器である故に」
まるで、刃の先端を首元に突き付けられたような――否、気付かぬ内に首を斬られていたかのような剣呑な気配を感じる。ほんの少しだけ、背筋が震えたのがわかった。
「そう、ですか」
「まぁ、相応の武具や防具があれば着けますけれどね。命は大事にしなくてはなりませんし」
命は大事にって、花束持って魔物が出るところを歩く人が言っちゃダメだと思うんですよね……。
「花束に見せかけて……とかそういうのはないんですよね」
「私は大道芸人ではありませんからね」
これはただの花束ですよ、とマルガさんはにっこり微笑んで見せた。
「この地に眠る、大切な御方への手向けの花束なのです」