13
リンゴを抱えて一服亭へと戻ると、カウンターでは彩華さんが乾燥したアサバの葉をゴリゴリと磨り潰していた。
「おかえり。生憎と即効性の薬を切らしちまっててねぇ。……確かアサバだよね、風邪に効くってのは」
「ええ、アサバが一番効果的と聞きますが」
私の答えを聞いてほっとした様子の彩華さん。細かく出来たようで、水を加えて練りに入った。
「ちょっと皮を剥きたいので、キッチンをお借りしてもよろしいでしょうか」
「ん? いいよ、果物ナイフと板はシンクの近くにあるから使いな」
ありがとうございます、と返してカウンター内へ入り込む。振り返るとすぐそこにいる彩華さんは相変わらず薬を練っていた。少々ぎこちないのは、普段からつくることが少ないからだろうと思いながらカウンター奥の扉へ視線を向ける。
……と。扉の左側、壁に立て掛けられていた何かがチラリと見えた。あれは簡素な鞘に納められていたけれど、もしや。
(双剣……?)
宿屋とは不釣り合いなものがある違和感。でも何があるか分からないこの御時世だし自衛の手段を持つことを推奨されているのだし、あって当たり前とも言える。
「リンゴ剥き終わったらでいいから、追加で水を持ってきてくれるかい?」
「は、はい!」
―――――
ウサギの形にリンゴを剥けば、彩華さんは懐かしそうに目を細めて、イクスさんはというと頭からかぶりついて見せた。風邪かもしれないのに食欲あるとかこの人は……。
「はやく、ほんもののラビットを食べられるくらいかいふくしないかな」
ウサギ逃げて。この人が絶好調になったら君たち、最低でも五匹は死に別れることになってしまうぞ。
「昨日買ってきた量からして予想はしてたけどこいつはとんだ大食いだねぇ。そんなに胃袋大きかったらどれだけ食費がかさむか……」
「と、とりあえず。安静にしていてくださいね?」
冷水で濡らしたタオルを額の上にのせてあげるとふにゃりと微笑んで見せるイクスさん。その頬は熱のせいでやや赤みがかっていた。
「だいじょうぶ。フェンは……出かけるんだね。きをつけて、ね?」
「勿論です。何も魔物退治に行くわけではないのですから、ささっと行ってささっと戻ってきますよ」
ただ、歌う花がどんなものなのか気になるだけ。子供たちが行方不明になった原因であるこの花を調べれば何か分かるかもしれないのだ。……イクスさんはどんな物か知っているようだったが、私は知らない。ならば、知らなくてはならないだろう。
「無理はしちゃ駄目だよ。後、倒した魔物の死体が処分できなかったらとにかく土を被せて、素早くそこから離れることだねぇ」
「あのですね、彩華さん。イクスさんがいないのにそんな危険な真似、するはずないじゃないですか」
そんな魔物なんて一々相手にしていたら私死んじゃいますよ、という目を向ければ。彩華さんはけらけらと笑って見せる。
「分かんないよ、冒険者ってぇのは馬鹿な生き物だからね」
……まだ私、冒険者ではないですし。
「大体、銅の短剣なんかで魔物を倒せるのかい? そんななまくらじゃ斬るなんてできないだろう」
そう言って彼女は、私が腰に提げている短剣を顎で示して見せた。リーアのお母さんがくれた短剣だ。これ自体はこの一ヶ月というもの使い続けていたので多少手に馴染んでいる。
狩りの時、獲物を殴って脳を揺らすことで一時的に動きを鈍らせるために使っていたのだけれど。
「……いえ、なんとか斬れますよ?」
肉を断つ感触は好かないし引っ掛かるけれど、それでもなんとか斬ることは出来る。そう続ければ彩華さんはほう、と感心したような声を出して右の眉を上げて見せる。
――さっき見かけた双剣。チラリとしか見えなかったし別に私は傭兵とかではないけれど、一瞬で相当な業物であると思ったくらいだ、あれなら何の引っ掛かりもなくするりと斬れるに違いない。
「この辺はあんまり強い魔物は出ないらしいからねぇ。戦闘を避けるつもりでいけば大して出会さないだろうさ」
主に見られるのはラビットとゴブリン位なのだという。……もっとこう、色々な種類がいるのかと思っていたのだけれど。
「お昼頃には帰れるようにしますね」
「おう、行ってこい行ってこい」
目的地は風吹く丘、目標は歌う花の確認。それからイクスさんがお腹を空かせた時に備えてラビットの捕獲。いなければまぁ露店でお土産を買っていこう。
「では、行って参ります」
――――そういえば、私一人だけで魔物がいるところへ向かうのって、イクスさんと旅をするようになってから初めてなのではないだろうか。