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翌朝。村の東側の門番である、肉屋の次男に挨拶をしてから村を出る。村の人たちは私たちのことを不思議そうに見ているけれど、その気持ちはよくわかる。
イクスさんは滅多に見ない程の美人だし、幼いようにも成熟しているようにも見えるから目を奪われても無理はないだろう。
つまり、一人の人間が見る角度によってまったく違う人間に見えるような……要領を得ないがまぁそんな感じなのだ。そんな彼女と何の変哲もない村の女である私が外に出るなんて、不思議なことがあったものだ……恐らくそんな風に思われているのだろう。
「そういえば、タルーダの森には何をしに来たんですか?」
あまり遅くならないということで、お互いに軽装で森へとやって来た。私の方は護身用にと村長さんにもらった刃の少し短い剣を、イクスさんは腰のベルトに昨日見た短剣を差している。彼女はどうやらこれで戦うらしい。
「ギルド所属の冒険者として依頼を果たしに、かな。といってもこの辺りには強い魔物はいないって話だし、今回はキノコや薬草の採取に来たんだ」
なるほど、誰かに頼まれて調達に来たと。確かにタルーダの森は穏やかな気性の獣がほとんどで、危険が少ない上に良薬となる素材が豊富だからうってつけだろう。
まぁ、こんな辺境に何らかの野望だとか面倒事のきっかけとなるようなことがあるとは思えない。出会ってまだ半日程しか経っていないけれど、どうやらイクスさんは裏表がない人のようだ。いや、今はそれよりも。
「……ギルド?」
「……知らないんだね。えっと、ギルドっていうのは王国によって許可を得た、冒険者たちに仕事を斡旋するところって言えば良いのかな」
仕事を? つまり、私などでも依頼出来るのだろうか? 問いかければ、イクスさんは頷いてみせる。
「基本的に王国の人間なら、報酬を出せれば依頼出来るよ。試験を受けて合格できれば冒険者にもなれる。ただ、依頼の内容はギルドの方で受けるかどうか審査するけどね」
世界的には大国と呼ばれているらしい王国の領土内ではあるけれど、端も端の……いわゆる田舎、だからかギルドなんてものがあるなんて知らなかった。私だけではなく、普段村から出ない村人も知らないのではないだろうか。
「へぇ、凄いんですね」
そんなような会話をしながらタルーダの森を進んでいく。時々群生している木苺の実を瓶に詰め、アサバと呼ばれている風邪に効く薬草を採取する。木苺はジャムになるし、乾燥させて口寂しくなった時につまめる。
アサバは乾燥させた後に擂り潰して水と共に飲むと風邪に良く効く。けれど、物凄く苦い。まさに良薬口に苦しだ。
「うん。それにギルドは良いところなんだよ、本当に。あそこの獣人は皆家族みたいな感じで、常に助け合ってるからね。だから冒険者になったって人もいるくらいだし」
まるで自分のことのように嬉しげに語るイクスさん。余程ギルドのことが好きなのだろう。金色の瞳はキラキラと輝いていて、まるで褒めてもらっている子供のよう。
彼女のことはまだよく知らないけれど、ここまで嬉しそうに話すということは本当に良いところなのだろうなぁと思った。
「冒険者って響き、かっこいいですね……」
「でしょでしょ!」
現在のトップは狼族の獣人だそうだ。
「その人はどれくらい強いんですか?」
「……まぁ師匠が師匠だったし、一騎当千なんて言われるくらい強かったと思う」
なんともふわふわしていて想像しにくいけれど、とにかく強いんだそうだ。ちなみにイクスさんも所属しているとか。
「実力的にはどうなんですか、イクスさんは」
「教えるけど……笑わないでね」
大雑把に言うならば駆け出しの冒険者、なんだそう。本人曰く『つい最近まで登録してなかっただけだから! 結構強いからね!?』だとか。
王都からここまでやって来たということはそれなりに強いのだろうけど、ちょっとだけ道のりが心配になった。この辺はまだいいけれど、場所によっては街道からちょっとでも外れるととんでもなく強い魔物が出るというし。
イクスさんと森に入った日の夕方。どうやら森の奥の方に目当てのキノコがあるそうで、今日は野宿をすることに。といってもこの辺りは危険な獣が少なく、焚き火さえしていればまず寄ってくることがないので油断しなければ問題ないだろう。
「はぁ、旅をしてると味気ない物ばかりだからかこうやって美味しいものが食べれると幸せって感じがするよ」
彼女は大袈裟なくらいに褒めるけれどその内容は大したものではない。お昼用につくっておいたサンドイッチの余りと、簡単につくったスープが今日の夕飯だ。
けれど美味しそうに食べてくるイクスさんを見ると、心が温かくなる。誰かと食事を共にすることはもとより、満足してもらえるというのはやはり嬉しい。
「そういえば、村の外ってどんな感じなんです?」
「ん……説明しにくいなぁ。っていうか、フェンって外からここにやって来たでしょ」
スープに入っていた根菜の一つを口に含んだイクスさんは不思議そうに首を傾げる。……あれ、私そんなこと話したっけと疑問を抱いたけれどとりあえず話を続けることに。
「ええ。数年前にここに。けれどそれ以前のことは全く覚えてなくて」
「……じゃあ、記憶喪失なんだ」
「世間ではそう呼ぶみたいですね」
村の人たちはとても驚いていたけれど、それでも面倒を見てくれたし住むところも用意してくれた。だから、村の為に少しでも役に立てていたらなと思う。
「記憶を取り戻したく、ないの?」
「気にはなります」
けれど外には危険が多いと聞く。それは外に出たことのある村人も時々村にやってくる行商人も言っている。
「私には護身の術がありませんからね。外に出たら魔獣に食い殺されちゃいますよ」
そう。自分以外の人間が恐ろしいと言う人もいれば獣の方が言葉が通じないために恐ろしいと返す人もいる。私からすれば、どちらも怖い。見たことがないからこそ怖いのだ。
「その心配は必要ないと思うけどな」
けれどもイクスさんは私の心配を笑う。それはどういった意図での発言なのだろうか。
「……例えば、さ」
イクスさんがスプーンをそっと置いて頭を軽くかきながら呟く。どこか挙動がおかしいというか、これは今から切り出す話を断られてしまうのでは、と怯えているように見えて。
「はい?」
「フェンは、腕の立つ護衛がいたら……冒険する?」
冒険。心踊る響きが秘められているそれにはただの村人である私だって勿論興味があった。子供たちに読み聞かせる英雄譚はそのほとんどが、主要人物が旅をしながら悪を裁くような話だからだ。
人々を苦しめる魔王を退治した勇者然り、人間を喰らったが故に凶暴になった龍を討伐したという龍殺し然り。それから……人ではないと蔑まれてきた獣人たちを従え、帝国に牙を剥いたという謎の人物。
彼はその後獣人の人権を認めさせ、数々の戦に身を置き、竜と共に各地を渡り歩いたと伝えられている。
そのどれもが一見すると輝かしい物語で、けれども人々の口から語られることのない血塗られた裏側があるのだろうと思う。綺麗なだけでは生きていけないのだということは、数年前に記憶をなくしてまっさらな状態になっていた私でもわかる。
「そうですね。命の危険が減るのならいってみたいです」
「記憶を取り戻したいとかじゃなくて?」
こちらをじっと見つめてくる金色の輝きが僅かに曇っているように見えた。イクスさんは優しそうだから、心配してくれているのかもしれない。
「取り戻せるのなら勿論そうしますけど思い出したところで大したことをしてなさそうだし構わないかなって」
物語の主人公じゃないんだから波乱万丈の人生なんて過ごしていないだろう。今が二十歳よりちょっと上くらいとのことだし、記憶を失う前が十五歳辺りだろうからそんな小娘では何も出来ないだろう。きっと何処かの町で機織りをしていたりとか下働きだったとか、そんな人生だったのだろうと。
「物語が作られる程の存在だったなんてそんな都合が良くて稀有なこと、中々ないもんね」
はは、と笑って見せたイクスさんの瞳には先程の暗さはない。どうやら調子が戻ったらしい。ついでに空になった皿を差し出してきたところを見ると食欲も復活したのだろう。
「それにしてもフェンのつくるご飯は美味しいなぁ。ずっと私のために作ってくれない?」
「あの、それってプロポーズですか」
皿を落としそうになりつつも問いかければ、私の真向かいにある切り株に座っているイクスさんは膝の上に自身の皿をおいてニコリと笑って見せた。
それはきっと、魔性の微笑みと呼ばれるもので――。
「さぁ、どうだろうね」
ちょっと心が揺らいだ。ちょっと、そう、ちょっとだけ。