12
翌日。いつもなら朝早くでも比較的すぐに目を覚ましてくれるイクスさんが何時になっても起きないのでゆっくり毛布を取ると、見事に顔を真っ赤にして震えている姿が。
「……これは、風邪でしょうか」
額に手を当てると物凄い熱く、意識も朦朧としているようだった。……間違いなく風邪だろう。
「イクスさん、聞こえますか」
毛布をかけ直して耳元で話せばイクスさんの意識が僅かに戻ったのが分かった。
「ふぇん……ね、る」
「はい、ゆっくり寝ていてください。何か欲しいものはありますか?」
けほけほ、と咳をした彼女はこちらを見つめながらか細い声で「……りんご」と呟いた。
「ちょっと待っていてくださいね、あるかどうか彩華さんに聞いてきます」
ブルブルと震えて物凄く寒そうだったので、私の分の毛布も追加でかけてあげる。と、あったかくなってきたようで少しだけ表情が和らいだ。
「いそがなくて、いいよ」
「……急ぎますよ」
だって、こんな弱々しい姿を見るのは初めてなのだ。一ヶ月やそこらの付き合いとはいえもう親友のようなものなのだ、風邪を治す為に早く動かなくては。
――コン、コン。
と、立ち上がると同時に二回ノックの音。ガチャリと扉を開ければ、朝食の時間だと呼びに来たらしい彩華さんが立っていた。
「おはよう、朝ごは……どうしたんだい、困ったような顔をして」
「イクスさんが風邪をひいてしまって……」
「そういや昨日、何回かくしゃみをしていたね。薬は一応あるから後で持ってきてやる、他に何か欲しいものはあるのかい?」
部屋に一歩踏み込んだ彩華さんは、寝ているイクスさんの顔を覗き込むと「氷枕を作って来るか」と続けた。
「リンゴが食べたい、と」
「リンゴ……丁度切らしちまってるよ。確かここを出て少し左に歩けば果物屋があるはずだ、もうやってる時間だから買ってきてやんな。様子は見とくから」
「ありがとうございます」
幾ばくかの金銭を財布に入れて一服亭を飛び出す。彩華さんの言う通り左へ目を向ければ、色とりどりの果物とそれを売っている少年と、こちらに背を向けている獣人の客がいた。
「――そう、オレンジは入荷待ちなのですね。これは困りました」
「ごめんな、ねーちゃん。今はちょっと旬から外れちまってて栽培が止まってるんだよ」
近付けば、そんなような会話が聞こえてきた。少年の方は初めて見るけど、こちらに背を向けているお客さんと思われる獣人はもしかして……と考えながら近付くと、少年の方が先に私に気付いた。
「いらっしゃいませー!」
少年の威勢の良さに獣人の方もこちらを振り返り、こちらを赤い瞳で真っ直ぐに見つめてくる。……今、胃じゃなくて心臓がきゅってなった気がするぞ。どう見ても獲物を狙う目付きだった。
「ええっと、どうも」
「あら、フェンさんではありませんか。貴女も果物をお探しで?」
頷いて返せば、赤い目の獣人――マルガさんは嬉しそうな顔をして見せる。ほんの少し、目付きが和らいだ気がした。うん、やっぱり美女があの目付きをするのはよくないと思うんですよね。
「リンゴを二つ頂戴」
「あいよ、毎度ありっ」
丸々としていて真っ赤なリンゴを見繕ってくれた少年に銅貨十枚を渡して、リンゴを受け取る。これならきっとイクスさんも喜んでくれるだろう。一つは普通に剥くとして、もう一つは食が進まない時に備えてすりおろそうか。
「なぁなぁ。銀髪のねーちゃんって、昨日この辺で金髪のにーちゃんと色んな飯買ってたよな」
さて戻ろう、と踵を返そうとしたところで少年が思い出したようにそう呟いた。見てたんだ……あれは私じゃなくてイクスさんが全部買ったんだよ。あと、イクスさんはねーちゃんです。
「あのにーちゃん、ヒョロっとしてるしあんだけ食えるのかって心配だったんだけど」
「あの方なら何でも食べてしまいそうですがね。牛一頭とか」
「はは……」
殆どイクスさんの胃袋に収まったよと言ってやったら少年はどんな顔をするのだろうか。少しだけ気になるがイクスさんの容態が心配だ、一刻も早く戻らなくては。
「それではマルガさん、失礼いたします」
オレンジが無いからか代わりの果物を探していたマルガさんに会釈をすれば、彼女は優雅に右手を胸に当て、左手を背中にまわして一礼して見せた。
何かの物語の挿し絵に、騎士がこんなような礼をしているものがあった気がする。けれど、彼女は司書。騎士ではない。
「何やらお急ぎの様子。何かありましたら気軽にご相談くださいませ」
「はい、ではまたいずれ」
「――でもヒョロっとしてたけど、何日か前に丘で会った時は素手で魔物を倒してたからなぁ、やっぱ強さは見た目じゃ分からないんだろうな」
……丘? それは風吹く丘のことだろうか。私は行ったことがないが、イクスさんは行ったのだろうか。けれど私たちは基本的に一緒に行動していた。だとするならば、何時。
あ、四日くらい前、私が図書館でマルガさんとまた会った時。あの時、イクスさんはすぐに向かうみたいなことを言っていたのにしばらく来なかった。もしかしてその時だろうか。
「ウタハナの群生地に人がいるなんて思いもしなかったし、綺麗だったからビックリしちまったんだよなぁ……男だけれど」
「ウタハナ、ですか?」
少年の言葉に、マルガさんが素っ頓狂な声を漏らした。
「ん、この辺りじゃウタハナって略されてんだ。まぁ一文字しか変わんねぇけど。あの花って青くて綺麗だけれど花粉が厄介なんだよな、熱が出るわ変なモン見るわで」
幻覚を見る花? それって、歌う花のことで間違いないのではないだろうか。
(いや、それよりも熱が出るというのはどういうことなのだろう?)
宿屋へと向いていた足をくるりと返して、マルガさんと少年のいる方へと向かう。
「あれの花粉は幻覚だけでなく発熱も齎すのですか?」
「ん、俺もここには商いで来てるからよくは知らないんだけどな。ただ、そう長くは続かないって話だ」
ウタハナは花粉こそ厄介だけど、花から採れる蜜を練ってつくるお菓子が美味しいのだと少年は続けた。子供たちの中で密かに人気なのだそうだ。
「あー……もしかして、金髪のにーちゃん、熱出た?」
少し目を細めて問いかける少年に、
「……もしかしなくとも、熱出たよ」
と返せばマルガさんは心底驚いたとでも言うかのような表情で「ウタハナの花粉はどんな存在にも効くのでしょうか」と呟くのだった。