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「ごめんね、フェン。鍛冶屋のおじさんと話してたらこんな時間になっちゃって」
最終的には肩を寄せるほどに密着してきたマルガさんが司書室とやらに戻り、昨日とは違う意味で痛んでいた胃がようやく落ち着いてきた頃、イクスさんがやって来た。
やって来たのは良いのだけれど、なんだかニコニコしていて少し苛立ってしまった。いやだって、先に行っててなんて言われてから数時間放置されていたし。
「……別にいいですけど」
「も、もしかして怒ってる?」
声音に出ていたのか、微かに困ったような顔をして見せるイクスさん。その背中……のやや腰に近いところに、今朝は無かった筈の青色の盾があった。ベルトに盾の金具をつけて提げているのだろう。結構しっかりとしているように見える。
「うぅ……ごめんなさい。次は気を付けるから」
「はい」
きちんと謝ってくれたのだからここで私だけがヘソを曲げるわけにもいくまい。少しションボリした様子のイクスさんの手を引いて出口へと向かおうとすると、彼女は眉をハの字にさせたままこちらを見上げてくる。
(これじゃあまるで犬みたい。間違っても有名な『――』には見えない)
その情けないとも言えるような表情に一瞬何かを思い出そうとして、
「フェン、どこに行くの?」
困惑した様子のイクスさんに遮られた。と同時に何処からかお昼から一時間過ぎたことを知らせる鐘の音が聞こえてきて、ついでとばかりにイクスさんのお腹が微かに鳴った。
「お昼ご飯を食べに行きましょう。情報交換も兼ねて」
申し訳ないやら恥ずかしいやらの複雑な表情を浮かべていたイクスさんの顔が、笑顔になった。……これを見ちゃったら許す許さないなんてもうどうでも良くなる気がするなぁ。
―――――
「きゅうけつき?」
図書館の近くにあった大衆食堂に入ると、お昼時だからか席はほぼ埋まっていた。けれど二人組だからか待つことなく注文までこぎ着けた。
「はい、吸血鬼です」
なんだかイントネーションが違うと思いつつも正面に腰かけたイクスさんにそう返せば、彼女は首を傾げてみせた。
「そのきゅうけつきって奴が、子供を誘拐してるかもしれないの?」
「確証はないんですけどね、もう処刑されたということですし。ただ五十年前に起きた時はそうだったって話で」
ふむ、と腕を組んで黙りこむイクスさん。今しがた運ばれてきた牛肉の煮込みに手をつけることなく思案する彼女はやはり綺麗なのだけれど、如何せん煮込みが目の前にあるというのがなんだかミスマッチだ。
「きゅうけつきというのは分からないけれど、うん、確かに魔物が子供を狙うというのはあるかもね」
「ですが、ただの魔物に人知れず子供たちを誘拐出来る、その上痕跡も残さないようにする知性なんてあるのでしょうか」
うーん、と唸ったイクスさんはフォークを手に持って煮込みと格闘を始める。一口で肉を頬張り、もぐもぐと咀嚼する姿はやはり何処か子供っぽい。
……あ、私の方も鶏肉のステーキがやって来た。いただきます、と手を合わせてから箸をつける。それにしてもなんか便利だなぁ、箸。しっくり来るのでついつい使ってしまうのだ。
「ない……とは言い切れないかな。どこかの山には人の言葉を話す鹿がいると言われているし、人が滅多に寄り付かないような秘境には妖精が住んでいるという話もあるからね」
初耳である。とはいえそれらの存在は実際に目撃したという人間がかなり少ないことからお伽噺のようなものなのではないかと思われているのだそうで。
「私としては一番あり得そうなのは……まぁ、人間がやってるって可能性だと思うな」
イクスさんは珍しいことに低い声でそう続けた。確かに、それが一番あり得るだろう。寧ろ、吸血鬼の怨念だとかそういうのが子供たちを拐っているという方が現実味が無い気がする。
「それにしたって、誰かが拐ってるのだとしたら男女構わず拐うなんてこだわりがないよね。普通、男子なら男子で女子なら女子って偏りそうなものだけど」
「確かに……」
言い方は悪くなるが性癖というやつだろう。男性なら幼い少女を、女性なら少年……というのが世間一般的な想像だと思う。逆もまた然り。だが今回の件だと下は五歳から上は十四歳で男女問わずだ。目についた子供を片っ端から、と言われた方がまだ納得がいく。
十四ともなるとそれなりに力はついてくるだろうし抵抗されたら厄介なのではないだろうか。そういうわけで単独犯とは考えにくい。かといって大人数では目立ちすぎる。
「成る程ね。……あ、そうだ。ご飯食べ終わったらさぁ、街並みを見て歩かない?」
「それはいいですけれど、そんな悠長なことをしている暇はあるんですか?」
今もこうしている間に子供たちが消えていっているというのに。眉をひそめつつ問いかけるとイクスさんは困ったように微笑む。
「勿論、物見遊山という訳じゃないよ。聞き込みがしたいんだ」
まずはギルドに行ってみない? と彼女は続けるのだった。