持論
私は人と話をする中で、かなりの割合を自分の意見が占めているように思います。それは、常々思っていることであったり、話している時々に考えついたことや思っていたことです。そのどれもが自分を守るために言っているのにすぎないような気がしてなりません。
例えば、私が「オムライスが好き」という気持ちを持っていたら、それに反する意見を言うことはありません。そして、そのような意見を発言することによって、自分で自分の「オムライスが好き」という気持ちをどんどん積み重ねていくのです。おそらく、他人の意見と自分の意見を互い違いに重ねていき、ピラミッドのようになるのが一番望ましい形だと思いますが、私の場合は、自分で自分の意見や気持ちを積み重ねていくので、ビルのような形になってしまうと思います。どちらが安定するかは言うまでもありませんし、自分一人だとその意見の不健全さに気づくことができないので、衝撃にも弱いのではないでしょうか。
生活の中でふとそう思う機会があったので、気づくことができましたが、もう少し健全な視点で意見交換をしてみたいです。なんというか自分を守るためだけに自分が話をするという行為は、会話本来の意味から逸脱している行為だと思いますし、環境への過剰な恐れはもう少し取り払いたいと思いました。なんか言葉にすることで結構ショックを受けますね、もう寝ます