クロノスの子供達
次あたりからクライマックスです。
神通高校の西を流れる川、“神通川”。その流域の側に設置された広大な演習地区では、いくつもの死闘が繰り広げられていた。
暗黒の鎧に身を包む巨人と戦う者、自らと同程度とされる戦士をまとめて六人も相手にする者、突然闇のなかから現れた鬼畜な悪魔と対峙する者など様々ではあったが、その全てに共通するのは夜の帳。頼みの綱は儚い月明かりと無機質な街灯のみであった。
その演習地区の南東中央で、ここにも一人、顔のない相手に刃を向けている男がいた。
夕日たちと別れ、喫茶店を忠実に再現した建物を出た後、ここに来るまでに雨宮は何体かの演習用アンドロイドと遭遇していた。
幸い奴らは大して強い相手ではなかったため数分で片づけることができたが、安城のことを思うと雨宮は焦りを感じざるを得なかった。
(くそっ! どうしてこいつらがここにいるんだ!?)
人間と大差ない性能のLEVEL 1を切り捨てて、彼は先を急いだ。
(間に合ってくれよ……!)
無線も通じなくなっていたので、彼は安城の安否を確認する術を持っていなかった。彼にできることは、ただひたすら走り続けることのみであった……。
「頭を撃ち抜く前に、幾つか訊きたいことがあるわ」
舞浜は目の前で頭を垂れている男に言った。
その声は静かだったが、敵の頭に向けた銃口に負けず劣らず、その目は殺気に満ちていた。
「なんなりと」
「まず、アナタは一体何者なの」
「おや、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。わたくしはアイラと申します。こうして会ったのも何かのご縁……」
「真面目に答えなさい!!」
闇夜を怒声がつんざいた。
「アナタの目的は一体何! どうして安城さんを狙っているの!? どうして岩波と夕日をひどい目に遭わせたのよ!!」
今にも引き金を引かんばかりの勢いで、彼女は叫んだ。
しかしアイラと名乗るその男は、一切表情を変えなかった。
「おやおやたいそうご立腹で。質問は一度に一つとして頂きたいですな」
「……っ!!」
人の神経を逆撫でするその態度に、舞浜の怒りが頂点に達した。
彼女は奴の髪を左手に鷲掴みにすると、その頭を思いっきり壁に打ち付けた。
驚いた表情の相手の口腔に銃口を突っ込む。
そして彼女は引き金を引いた。引き続けた。
「舞浜さん……!」
「舞浜班長!!」
時間にして、二秒と少し。その間に数十発もの弾丸がアイラの喉に撃ち込まれた。
「はあっ……はあっ……!」
自らの班員を凌辱された怒りをぶちまけた舞浜は、力なく銃を下げる。
左手を放すと、相手の頭が前に傾いた。
だが、
「乱暴なお方だ……。そうまでされるとこのわたくし、体は傷みませんが心が痛みますなぁ」
ニタリ、と。
ゼロ距離で乱射されたはずなのに、男はまた戯れ言を吐きはじめた。
「!?」
驚いて舞浜が後ずさると、奴は潰れた銃弾を吐き捨てた。
「な、なんで……」
「あなた方がお持ちの武器、それはアンドロイドに対抗するために特殊合金“アダマンタイト”を錬り鍛えたものです……。確かにその刀は鉄をも切り裂き、その銃弾は堅い装甲も簡単に貫いてくれることでしょう。しかしこのわたくしを構成する……」
「“白金剛”」
奴の頬に付いている返り血を恐ろしげに見つめていた東が、急に口を挟んだ。
「ほう、よくご存じで」
「我が父が秘密裏に開発した、しなやかな塑性がありながらアダマンタイトをも凌ぐ強度をもつ究極の物質……。貴様その製法を……!」
「どうか落ち着いてください。その製法を知っているのはわたくしではなく、わたくしを創り上げた者ですよ?」
「貴様……!」
「安心してください。コストが掛かりすぎるためか、わたくし以外に“白金剛”でできた者はいないようですよ。……おっ」
アイラは再び壁に押しつけられた。気を取り直した舞浜が携行品のナイフで奴に向かっていったのだ。
全体重をかけ、刃をねじ込む。
だがしかし、金属のなかでも最強の強度を誇る“アダマンタイト”で出来たそれも、奴の腹を貫くことはなかった。
アイラは両手を上げ、舞浜の首を絞めた。
「か……っ! 二人、とも、あんじょ…さ……の……とこにっ…!」
「舞浜さん!」
弓月はアイラの目に刀を突き立てた。しかし奴の装甲には一部の隙もないのだろう。切っ先が弾かれて、刀身が横に流れた。
「くっ!?」
攻撃が、効かない。
このままだと──そのとき、横からの援護が入った。
「弓月ハル! 行くが良い!」
彼女の横から現れた東がアイラの腕に手をかけた。
奴の手が緩んだ隙に、舞浜は死の腕からその身を解放した。
「東君!?」
「さあ行け! この不届き者は僕が相手をする!!」
彼女に迷っている暇など無かった。こうしている間にも、安城が敵の手に渡ってしまう恐れがあるからだ。
意を決し、弓月はその場に背を向けた。
「……二人とも、ここをお願いします!」
弓月が去っていくのを、アイラが黙って見ているはずがない。奴は当然後を追おうとした。
しかし一歩踏み出した途端、東の強烈な大外刈りが炸裂した。
「がはっ!!」
「相手を間違えるでない!」
東が奴を押さえ込んでいるうちに、弓月は全力で走り去った。彼女の目指すのは500メートル離れた6五地点、そこにある大きな病院の屋上だった。
安城のいる病院まで残り50メートルを切ったところで、ヤナは敵の見張りに出くわした。
これまでも演習用アンドロイドを何体か見かけてきたが、彼女はそのたびに遠回りをすることでしのいできた。
しかしその病院に近づくにつれて敵の数は目に見えて増えてきており、今や奴らの目を掻い潜ることは不可能となっていた。
(どうしよう……)
植え込みの陰に隠れながら、彼女は敵を観察していた。相手の行動パターンをよく見切れば必ず道は開けるはずだ。
いま彼女のいる場所からは病院のエントランスが見えている。そこへどうにかして進入する方法を考えているとき、エントランスの中で何かが動いた。
(あれは……)
ベンチの陰から陰へと慎重に移動するその人影は、時々見張りを警戒するようにこちらの様子を窺っている。ヤナはその三つの人影のうち、先頭に立つ者の顔を知っていた。
彼女は首を傾げた。本来ならば、自分の代わりに安城を救い出す人物が現れたと、素直に喜ぶべきだろう。
問題は、他の二人だった。なぜあいつが、あの二人と一緒にいるのだろうか? もしかしたら──
そのとき、不意に彼女の視界を何かが横切った。
「!?」
見るとそれはケルベロスだった。向こうも植え込みに何かいることに気が付いたのか、向きを変えて近づいてくる。
「しっ、しっ! あっちいってなさい!」
当然そんなことで番犬が逃げるわけもなく、それどころか唸り声まで上げはじめた。
「あーっ、こらこら。これあげるから静かにして。ねっ」
そういいながら彼女は自分のポケットからスタンガン用のバッテリーを取り出し、犬に差し出した。
スタンガン自体は漏電の心配からアンドロイド相手への使用が敬遠されているのだが、一方で彼女はこうしたバッテリーがケルベロスの好物であることを知っていたのだ。
犬がそれをうまそうにかみ砕くのを見て、彼女はひと息ついた。だが……
「ふう……、っ!?」
忠実な番犬が仕事をほったらかしてなにやら貪っている姿は、やはり目立つのだろう。彼女のそばにはいつのまにか二体の演習用アンドロイドが立っていた。
「お、お兄さんたちにあげるのは、もってないかも……」
弁明虚しく、大きな悲鳴が周辺一帯に響いた。
「い、いった~い! はなしてよっ!」
後から二体のアンドロイドがさらに駆けつけ、ヤナは四体から同時に押さえ込まれた。そのままヤナは、豊かな髪の女の前に連れて行かれた。
「あらあら。藪をつついて出てきたのは蛇かと思えば、こんな小さな娘一人とはね」
その見張りの女はヤナの前に屈んで、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
地にねじ伏せられた姿勢で、ヤナは歯を食いしばって顔を上げる。
「アナタたち、“ユピテル”……?」
「ユピテル? はっ!! あんな弱小組織と一緒にしないでもらえるかしら」
「じゃあ……」
「我々は“ヴィーナス”。知っているだろう? 愚かで軟弱な人間どもに力を与える救世主だよ」
「……もっとタチわるいじゃないの」
ヤナは小さく呟いただけだった。だが耳ざといその女はすっと立ち上がると、ヤナの頭を一発蹴り飛ばした。
「いっ……!」
「タチが悪いって? 我々をお創りになった人間さまに恩を返すのが? 我々の計画“サトゥルヌス”が成就すれば、奴らだけでなく私やお前のようなアンドロイドにもその恩恵が与えられるのだよ」
「サトゥルヌス……?」
「おや、ヴィーナスのことは知っているくせに、その存在意義は知らないのかい。生半可な知識は身を滅ぼすだけだよ、おちびさん」
額の痛みに涙を潤ませながら、ヤナは病院のほうを盗み見た。
安城の身が安全になったわけではないにしろ、奴らがいるということは当面の間彼女の命は保証されているといってよいだろう。
だとすれば、今のヤナが為すべきことはこの女に出来うる限り多くを喋らせることだ。彼女は唇を噛みしめ、じっと耐える決意をした。
「いっつ……アルラさん! やっぱこいつ強いっすよ!」
住宅街の一画、民家を改築したような風情の喫茶店の正面は、まさに地獄絵図と化していた。
腹に大穴が空いた者、両足を関節の真下で曲げられ立ち上がれずにいる者、首が180度回転している者などがいる中、唯一無傷なのは男を後ろ手に捻り上げて地面にねじ伏せている、紅い髪をした女だった。
「オレの速さについてこれるなんて……うぐっ!?」
「喚いてないで言われたことだけ素直に答えろ」
その女は相手の後ろ髪を掴み上げると、先ほどした質問を繰り返した。
「お前らは何者で、どういう目的なんだ」
「我々の目的……? そんなもの決まっている」
答えたのは腹に穴を空けられた男だった。
「この世に存在する全てのアンドロイド組織……方法は違えども目指すものは同じ。人類の掌握、だ」
「人類の、掌握」
ニケはその言葉を口の中で繰り返した。
「ずいぶんと独創性に欠ける目的だな」
「何とでも言え……。奴ら人間は有史以来この世の全てをその手に握っているつもりでいたんだ。もうそろそろ思い知るころだろう?」
「戯れ言を。そんな体でずいぶんと喋るじゃないか」
「……このアルラはしぶとい。体内に幾種類もの駆動サーキットを有し、“三つの心臓を持つ男”とまで呼ばれるほどだ。……心臓は一つも持たんのだがな。」
「まだ冗談を言う元気があるみたいだな」
彼女は油断なく男を押さえたまま、今度はアルラに質問した。
「なら答えろ。安城由羽を一体どうするつもりだ?」
アルラはすぐには答えない。腹に開けられた大穴の痛みは相当なもので、それで意識が朦朧として反応が鈍くなっているのだろう。
幾秒かの沈黙の後、奴はようやく口を開いた。
「………我ら“ユピテル”の目的は人類を奴隷にすること。そして奴ら“ヴィーナス”の目的は人類を乗っ取ること……」
「?」
「目的の異なるこの二つの組織は、しかし、同じ男に目を付けたのだ……2020年代のAIの発達に大いに貢献した男、安城泰明に」
「……なるほどな」
ニケは金髪の軽薄そうな男に向き直った。
「それでアンタらは何らかの要求をのませるために、安城由羽を人質に取ろうとしたってわけか」
そして彼女はその男の髪を掴んだまま、力任せに地面に打ちつけた。
「ぶっ!!」
「人のことをオモチャにしやがって……!」
痛さに呻くシュンを哀れな目で眺めながら、アルラは言った。
「確かに我々は人質にするつもりだが、奴らヴィーナスには別の意味もある」
「別の意味……?」
「復讐だ」
ニケはその言葉に眉間を寄せた。
「復讐……一体何の」
「それは奴らに訊いてくれ。俺は噂でそれを知っただけなのでな。……急がなくていいのか? そこにいる二人を拷問した男が出て行ってから、ずいぶん経つぞ?」
「…………」
そのことは彼女も十分承知していた。そしてここから病院までの道のりのなかで、奴が彼女の仲間に出会うはずであることも。
しかし彼女は慌てなかった。
「焦ることはない。あそこには……」
そう。あそこには弓月がいる。
彼女はあることを確信していた。二週間近く前、あの最終日の課題の後戻ってきた他の班員がそろって似たようなことを口にしたのだ。
彼女はすぐに舞浜班を振り切った。
そして、対象を討伐して戻ってきた、と。
確かに、曲がり角の多い街のなかでは、かなり小回りの利く者でさえあれば足の速さで奴を上回ることも出来るだろう。
単純な足の速さならば、だ。
しかしあのアンドロイドは10メートルをも簡単に飛び越えるほどの脚力の持ち主だったのだ。そんな奴に追いつくことなど、たとえニケでも不可能だった。まして生身の人間となると……
そうなると、結論は一つ。
彼女はアンドロイドなのではないか? それもかなりの身体能力の持ち主の。
だとすれば彼女はなぜ、それを隠しているのか。ニケにはそれが疑問だった。
「!?」
突然、アルラが何かに反応した。しばらく遠い目をしていたかと思うと、ニケに焦点を合わせて、言った。
「どうやら我々ユピテルの勝ちらしいな」
「!? 何?」
「安城由羽を確保した。我々時間稼ぎの役目は、終わったようだな……」
そう言い残して、彼は静かに目を閉じた。
(誰か、助けて……)
非常灯の放つ薄暗い緑のなか、ナースステーションに身を隠した安城は恐怖で震えていた。
(透くん、弓月さんっ!)
安城が最後に討伐目標を撃ち倒して、それで終わりのはずだった。
しかしそのとき、彼女は地上から自分を見上げる姿があることに気づいた。そいつはニヤリと笑ったかと思うと、近くで辺りを見回している人影になにやら話しかけ、こちらを指さしたのだ。
その瞬間安城の恐怖を駆り立てるように、舞浜班の岩波と夕日と連絡がつかなくなったとの報告が入り、それを最後に無線が通じなくなった。
あいつらは自分を狙っている──
そう確信した安城はとっさに身を隠したのだった。
(飯島班長、ニケちゃん……っ! 誰でもいいから、早く……)
彼女は敵が近づいてくるたび、ドアの裏、ベッドの陰などでやり過ごした。
いまや相手は十数人にまで増えている。一度確かめた場所にも別の人物が探索してくることもあり、この病院内に安全な場所など無かった。
彼女がどうにかして外に出る方法を頭のなかで模索しているとき、背後の廊下から足音が聞こえてきた。
コッ……コッ……
コッ……コッ………
乾いた音が近づくにつれ、彼女の心拍は激しさを増してゆく。
彼女が息を殺して体の震えを押さえ込んでいた、そのとき
「!」
左前の扉。そこにはめ込まれた磨り硝子に人影が映る。
あいつがここに入ってきたら、見つかる───そう思った安城は、机の裏に身を隠そうとした。何が何でも、あの扉から見える位置にいてはいけない。隠れなければ───
焦ってさえいなければ、隠れ仰せただろうに……
キィ………………
頭が真っ白になった。椅子に肩が触れてしまったのだ……
「いたァ!!」
静寂を突き破る爆音とともに、ガラス窓が壁ごと吹き飛ばされた。
「あ……」
「おい、全員集まれ! 見つけたぜェ」
今の爆音は、院内全体に轟いていた。先ほどまで静まりかえっていたこの場所に、次々と人が集まりはじめていた。
壁を吹き飛ばした大男がこちらへ乗り込んでくる。
「お姫様争奪戦は、どうやら俺たちの勝ちみたいだな」
貪欲そうなその男が冷ややかな目をした女に話しかけた。
「フム……可愛らしいお嬢さんだ。オレが代わりに貰っちゃだめか?」
「よしなさい。全く、いやらしい……。いずれにせよ、あなたは“グール”を持っていないのだから。この娘はアイラのものよ」
「チッ、仕方ねェ。ほら、来い」
男の太い腕が安城の方へと伸びてくる。
彼女はその手から逃れようと必死に後ずさった。
「イヤ……」
だが、万策は尽きた。彼女の背中は机にぶつかり、男に二の腕を捕まれた。
そして……
バババババババッ────!!
「! 誰だ!?」
銃声、爆発、
そして悲鳴。
安城は思わず耳を塞ぎ、強烈な光に目を閉じた。
一体、何が────?
「…………」
しん…… と急に喧噪が鎮まった。
人の気配は、する。だが新たに現れた何者かが襲ってくる様子はなかった。
恐る恐る目を開けたとき、大男の後ろには人が立っていた。
「───その子を放せ」
その人影が脅すように銃を突きつけると、男の手が安城から離れた。
安城はその声に聞き覚えがあった。どこかで再び光線が放たれたとき、彼女はその顔を見た。
「タ、タクトくん!?」
右手に狙撃銃を構え、敵の後頭部を狙っていたタクトが、静かに顔を上げた。
「さあ、助けにきたよ。お姫様」