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生身の刃  作者: δ
第三章:不可侵の盾
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篭絡

 頭が痛い。

 吐き気がする。

 タクトはこれまで数え切れないほど多くのアンドロイドの思考を読み取ってきたが、こんな気分になったのは初めてだった。

 当然、相手がどのようなアンドロイドであったとしてもその知能を詮索すれば疲れはする。だが相手の持つ膨大な意識に押しつぶされそうになったことは今までに一度もなかった。多くの場合、タクト自身の知能の方が高かったからだ。

 それが今ではどうだ。まるで頭部全体が内側から押し広げられているようで、すぐに“コンダクター”を止めなければ今にも爆発しそう。それほどまでに神の思し召しは複雑怪奇だったのだ。


「タクト、具合が悪いのですか?」


 雨宮達を見殺しにしたかと思えば人類のことを「友」と呼び、挙げ句の果てには無力な羊扱いする───“コンダクター”など使わずとも、具合の一つや二つ、悪くもなるだろう。


「あまり無理をしてはいけませんよ、タク──」

「寄るな、と言っている」


 左手を顔に当てて必死に痛みに耐えながら、タクトはガイアを睨み上げた。

 この頭痛の原因は、ガイア。心配顔で恭しくタクトの頭を撫で続けている目の前のガイアなのだ。

 「触るな」と腕を振って追い返したにもかかわらず、いつの間にかガイアはタクトの背中に腕を回して頭を撫ながら、彼の体を抱擁していた。

 その腕を“すり抜けて”、一歩、二歩と後ずさる。離れると、心なしか頭痛も少し軽くなってきた。


「勝てると、思っているのか。あの、ヴィーナスの最終兵器に、雨宮や、弓月達が……」


 まだ完全には収まっていない痛みに朦朧としながら、タクトは問う。自分に対して距離を取るタクトの態度にガイアは悲しそうな顔をしたが、少ししてその質問に答えた。


「ええ。勝てます」

「いい加減なことを。敵は強い」


 こめかみをぎゅっと押さえ、タクトは断言した。


「……知らないとは言わせないよ。俺たち三人の戦いでは、大川寺という人間は頭から血を流し、雨宮は覚醒したは良いものの、敵を仕留めることができず、ぼろぼろになって敗走した。次また同じ状況になれば、必ず全滅する……」

「…………」

「弓月の方では“人間”の負傷者は出なかったけど、LEVEL 9のヤナと、俺たちの中で最強のニケが信じられないほどの重傷を負った……」


 ガイアは黙ったまま、タクトの口から発せられる淡々とした戦況報告を聞いていた。

 言いながらタクトは、途方もない絶望感に襲われた。今タクトの言ったことは、紛れもない事実だ。敗勢なのは分かっていた。しかしこうして口にして整理することで、自分たちが挑んでいる戦いが如何に勝ち目のないものなのか、残酷なまでに克明に感じられた。


「物理攻撃を一切受け付けない体表や、無双の武具を錬成する能力……確かに“こちら側”だって強いさ。だけど、敵はそれ以上に強いんだ……」


 ようやく治まりかけた頭痛が少しずつぶり返してきた。圧倒的な戦力差を前にした無力感。敵は強い。勝てるわけが───


「“敵”とは、誰のことですか?」


 何のことかと、タクトは前を向く。

 先ほどまでと同じ位置で、ガイアは佇んでいた。

 その相好は、目の前のタクトへの心配から、その場にいない人間達への戒めを暗示する表情へと戻っていた。


「彼らにとっての敵ですか? それとも、あなたにとっての?」

「……あいつらにとっての“敵”に決まっている」


 意味不明な問いに、タクトは眉を顰める。


「彼らにとっての敵、ということは、彼らの命を狙う者、ということですか?」

「悪いけど、貴女の禅問答に付き合っている余裕は……」

「──レイナさんも、敵、ですか?」


 頭がくらくらする。立っているのもつらい。

 レイナ? 弓月の姉の? それはそうだ。いくら姉とは言え、妹を殺しに来るのならそれは排除すべき敵でしかない。ちゃんと弓月も理解している。もっとも、排除できるかどうかは別の話だが。


「……そうだよ……」

「レイナさんが敵だと言うなら、ええ、あなたの言うとおりです、タクト。レイナさんは『強い』」

「…………」

「肉体的な意味でも、精神的な意味でも、です」

「……?」

「彼女は既に、己を縛る鎖に克っているのです。最愛の妹のために体の傷や心の痛みに必死に耐えて、自らの道を、自らの手で切り拓いたのです」

「どういう意味だ……?」


 一体何の話をしている? 切り拓いた? 自分の道? 何のことだ。


「……事実だけを述べましょう。レイナさんがフレアを破壊しました」

「……! 何だって!?」


 思いもよらず出てきた大声が頭に響いたが、構っていられない。その話が本当なら……


「確かに、レイナさんの体には人間を遙かに超える力が宿っています。単純な実力ならばあの子など……フレアなどものの数にもならないほどに」

「クラス・ノートが……同士討ちだって……!?」

「それでも、彼女にとってフレアの破壊は、相当な勇気を必要とする行為だったに違いありません。あなたもフレアの意識を読んだならば分かるでしょう? あの子がレイナさんにどのような仕打ちをしてきたのかを」

「何故……何故、そんなことに?」

「先に言った通り、弓月ハルさんを助けるためです」


 ガイアは壁に設置されたモニターの一つを見やった。連られてタクトがその視線の先を追うと、あの白い部屋の中で弓月がロゼッタに何かをせがまれている様子がモニター越しに見えた。


「私はレイナさんのような人こそが、本当の人間だと思っています。たとえ刃で切り裂かれようとも、大切な人を想い続ける、その姿こそが……。さらに言えば、私は彼女を尊敬しています」

「……尊敬……?」

「雨宮透、弓月ハル、安城由羽、東秀介、大川寺和麻。彼らも、克たなければならないのです。人を超越する肉体を利用してでも、倫理を外れた道を歩んででも、何としても“生への執念”を持った人間でなくてはならないのです。“死への恐怖”に怯えるだけの羊であってはならないのです」

「……随分と、高尚な理念だけど……」


 つまりこれは、神が人に与える試練だということか。

 くだらない。このガイアは、自分を作り出した人類が不完全な生命体(アンドロイド)に敗北することが許せないのだろうが、そんな我が儘に付き合わされる雨宮達は、一体ガイアの何なのか。この女の欲求を満たすために、彼らは踊り続けなければならないのか?


「そんな崇高な意見をお持ちなら、どうぞ、彼らに直接語ってみせなよ」


 そう言ってタクトはイニフィスの頭上のモニターを指さした。


「そんなことを俺に喋っていたって仕方ない。彼らを助けることで甘やかす気なんて無いこと、敵が一気に二人減ったこと、その上弓月の姉がこちらに寝返ったこと、全部、彼らの前で話すと良い。特に弓月なんか、感激のあまり号泣するかもね」


 今にも気絶しそうな意識の中、精一杯の気力を振り絞る。

 だが、当然ガイアの反応は芳しくはなかった。


「お断りします」

「……何故だ……何のために、そこまで……」

「これは、試練なのです。絶望的な困難の中、必死に足掻いて、苦しんで、その命を守りきることが出来るかどうかの。私は、見たいのです。目前に99%確実な死が迫ったとき、彼ら人間たちはどのようにしてそれを切り抜けるのか、を」

「……ふざけるな……」

「ふざけてなどいませんよ、タクト」


 それで相手の気を落ち着かせるつもりなのか、ガイアは小首を傾げて微笑を浮かべた。


「タクト……彼らの力になりたい気持ちは分かります。お母さんも、そんなあなたのことが愛おしくてなりません。……ですが、ここまでです。もう、この部屋から出てはいけません」

「……!」

「……状況を知ってしまった以上、仕方のないことです」


 とっさに出口を見やる──既に鋼鉄の扉は閉まっていた。


「…………」

「ゆっくり休んで、タクト……」

「……チッ」


 不愉快だ。出来ることならあの扉を打ち破り、ここから抜け出したい。

 だがそれは無理だ。あんな扉を破壊する手立てなどタクトは持ち合わせてはいないし、第一、ガイアの奇跡が二体も揃っているのだ。抗うことなど、出来はしない。

 スッと、ガイアが右手をモニターの正面に差し向ける。

 すると、イニフィスの隣、モニターの前に鎮座していた一つの椅子が、音もなく滑るようにタクトに近づいてきた。


「さあ、これに座って。事の成り行きを、共に見守りましょう」


 万策尽きた。ガイアとの接触は果たしたものの、ここから出られないのでは意味がない。今、本当にガイアの真意が知りたいのは、雨宮や弓月たちだ。タクトではない。

 だが。考えようによってはこれで良かったとも言えようか?

 仮にここから出てあの部屋に戻ったとして、タクトは彼らに何と言えばいいのか。「ガイアは君たちを玩具にしている」? 「君たちは、戦うことを強いられている」?

 弓月の姉が寝返った──その事だけは、伝える価値があるかも知れない。

 そう思っていたのは先ほどまでのこと。

 そのことを伝えれば、彼らの、特に弓月の心の希望を一時的に膨らませることは出来るだろう。だが、レイナがフレアを破壊したところでクラス・ノートはまだ三体も残っているのだ。その三体は間違いなくレイナを殺しに掛かる。今この瞬間も、レイナの命は危険なはずだ。もしかしたらもう死んでいるかも知れない。

 弓月は賢い。そして情け深い。タクトの口から事情を聞けば、弓月ならばすぐレイナの危機に気が付くはずだ。自分のために危険を冒した姉のことを放っておけず、ろくな準備もせずにレイナを助けに向かうはずだ。

 そして彼女は、残ったクラス・ノートのアンチロイドをまとめて三体も相手にする───容易に想像できた。そうなるくらいならむしろ、全てを隠しておいた方が良いのかも知れない。


 ガイアの思惑に嵌まったようで気に喰わないが、どうしようもない。言うべきだろうとそうでなかろうと、もうここから出ることは出来ないのだ。諦めて、タクトは椅子に腰掛けた。

 その代わり、


「ガイア、覚悟した方がいい」


 腰を下ろした低い位置から、ガイアの目を睨み上げた。やはり、手も足も出ないこの有様は不愉快だった。


「もし……もし、あいつらがこの闘いに勝って生き残ったとしたら、次の敵はガイア、貴女だ」

「…………」

「今のうちに、謝罪の言葉でも考えておきな……」


 一週間先か、一ヶ月先か……彼らのうち一人でも生きながらえたならば、いつの日か、必ずガイアに報復する。それだけのことを、この女は彼らにしたのだ。どんな言葉で謝ろうとも、もはや手遅れだ。

 タクトだって分かっている。こんなもの、ガイア相手では何の脅しにもならないことを。これは単なる警告だ。宣戦布告に過ぎない。

 案の定、ガイアは臆することなく、いや、それどころか最後に微笑みすら湛えて“消えた”。その態度はまるで、神に刃向かう小さな存在をあざ笑っているかのように見えた。


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