タクトの闘い
時は遡り、話はディファレンシスでの密かな闘いへと巻き戻る。
部屋を後にすること、数分。タクトは暗い廊下を進んでいた。
天井に電灯は備えられてはいるのだろうが、それらは皆沈黙している。廊下の脇にあるいくつもの扉から漏れる虚ろな光のみがタクトの行く手を浮かび上がらせ、そうして眼前に現れる景色もまた、何もない空虚なものだった。
向こう数十メートルまでひたすらに通路が続いている。これでは暗闇とそう大差ない。
「聞こえてるはずだよ。ガイア。姿を現せ」
声に出し、呼んでみる。大声で叫ぶまでもない。この静かな廊下では、歩む者の微かな息遣いまでもが何倍にも増長される。
「…………」
相手からの返事はない。何ならこのまま右手のアタッチメントで乱射してやろうか? そうすれば流石に放ってはおけないはずだ。
「三つ数える。その間に出てこないなら、ガイア、貴女の城は瓦礫になる」
ガシャン! と、金属音が木霊した。
「三」
辺りを見回す。扉が開く様子もなければ、何者かが現れる兆しもない。
だが、妙だ。
「二……」
違和感がある。
その感覚自体はあの部屋を後にした直後からあったのだが、ここまで歩むに連れ次第に強くなってきていた。
何かが、いる。
潜んでいる。
「……、一!」
壁。
タクトが最後の一声を上げた瞬間、左右の壁に幾つもの大穴が開き、そこから顔の無いアンドロイドが襲いかかってきた。
その数およそ十。奴らが飛び道具を持っている様子はないが、アンドロイド達は全員その手にアダマンタイトでできた短剣を握っていた。
もっとも近い敵の頭部を、タクトは正確に撃ち抜く。
と同時に身体を屈める。
彼の三十センチ上で、後ろから攻撃してきたアンドロイドの刃が振り抜かれた。
そのアンドロイドの胴体はがら空きだ。タクトが蹴り上げればそいつを戦闘不能にすることができただろう。
だがタクトは足を上げない。代わりに前方から刃を突き立ててくる三体目のアンドロイドを、左に転んで避けた。
(多すぎる……)
前方から突進してきたアンドロイドの刃は勢い余って、タクトの後ろにいた、二体目の敵の腹部に突き刺さった。
その一瞬の隙をついて射撃する余裕など、タクトにはない。
四体目、五体目、六体目───! 息つく暇もなく、全方位から多数の敵が迫っていたからだ。
(ザコが………)
戦い、動き回りながら意識を集中させる。
あの部屋からはだいぶ距離を稼げた。ここまでくればロゼッタの能力“ 0”に妨げられることはない。
タクトの瞳が赤くなる。
右からの袈裟斬り、左からの突肩。
それらをタクトは完全に見切り、一歩踏み込む。
背後で敵が相討ちした。それには構わず目前の敵に銃口を向ける。
アンドロイドは半身を引く。
それはタクトの読み筋だ。
相手はそのまま右手のナイフを突き出すはずだ。
そら来た。
タクトは地に手を突き、側転とともに敵の頭を蹴り飛ばす。
すぐに片手を床から離し、視界の後ろ側にいるはずのアンドロイドに向けて発砲する。
起き上がり、タクトは目を閉じた。
視覚に頼る必要はない。
左に一体。右斜め前に一体。真後ろに二体。さらにその後ろに一体──手に取るように分かる。
今まさに起き上がらんとしている左の敵に銃を向けると、後ろの二体が反応した。
一体がナイフを投げ、同時にもう一体が突進を始めた。
飛来するナイフの切っ先は真っ直ぐタクトの眉間を狙い、後続のアンドロイドは片手を構える。
読み筋だ。
飛んでくるナイフの柄を正確に掴み取り、左のアンドロイドを銃で撃つ。
発砲の勢いに乗せて前に踏み込む。アンドロイドは右腕を振ったがタクトは屈んで難なくかわし、敵の胸を貫いた。
その勢いで最後尾のアンドロイドとの距離を詰める。
奴が先ほど投擲した短剣は今やタクトの手に。武器を持たないそのアンドロイドは呆気なく頸部を切り裂かれた。
「──不意打ちのつもりか!?」
唸り、右手を真上に向ける。
───ダァンッ!!
タクトの頭上で、その銃弾が何かを貫いた。
その場から、身を退く。すると、一瞬前まで彼がいた所に胸を撃ち抜かれたアンドロイドの屍が落ちてきた。
上空から飛びかかるアンドロイドの戦略をいとも簡単に看破した男は、ようやく赤い目を開けて、残る一体のアンドロイドに向き直った。
「君で最後だよ……。イニフィス達はどこだ」
無論、その護衛用アンドロイドが答えられるとは思っていない。敵に何を言われても、奴は刃を構えて殉職するだけだ。
これだけ派手に暴れれば、ディファレンシスを護る“ガイアの奇跡”たるあの二体が向かってこないはずがない。それでもすぐに駆けつけないところをみると、やはり自分はナメられているのだろうか。
「チッ」
小さく舌打ちし、今度は目を開けたまま周辺に意識をとばす。
どこだ。奴らはどこにいる───
「……そこか」
──見つけた。ここから五十メートル向こう、右手にある部屋の中に、今のタクトの戦い振りを観察していた者が二体、いた。片方はタクトの力量を測りかね、もう片方はさも愉快そうに、タクトの戦闘を分析している。
そのどちらも、タクトが彼らの居場所を突き止めたことに感づいたようだ。
モニター越しにでもタクトの様子を眺めているのだろうか。その部屋に向かって走り出したタクトに、戸惑っていた方の人工知能はさらなる護衛を排出しようと慌てる。だがしかし、もう片方がそれを押し止めた。そんな情景が、感覚としてタクトの頭脳に反映される。
少し走って、ついに目的の部屋の前にたどり着いた。重々しい鋼鉄の、両開きのドアがタクトの行く手に立ちはだかる。
と、そのとき。タクトが走り抜けてきた通路から、何者かの足音が響いてきた。
「?」
此処に来るまでに何者かとすれ違ったか?
いや、いくら暗いとは言え、それほど廊下は幅があるわけではない。すれ違えば、流石に気付くはずだ。
「……何なんだ……」
近くなるに連れ、それの姿がはっきりと浮かび上がってきた。
それは、先ほどの護衛用アンドロイドだった。大将の根城に向かう敵を、遅ればせながら追撃するつもりなのか。
だが、いくらタクトが意識を探ってみても、奴に戦闘の意志は見られなかった。
廊下の端を走ってきたそいつは、扉の脇で止まる。
そこには、セキュリティー端末の一種だろうか、小さな四角い小窓があった。
アンドロイドがそこで、気を付けの姿勢で直立する。小窓にはセンサーが内蔵されていたようで、そのアンドロイドの姿を認めると「No.0577」と、個体識別番号らしき数字が表面に表示された。
直後、扉が真ん中から開かれる。
「入れ」
腹の底に響く、呻り声。
並の侵入者ならば畏縮して許しを乞うところだが、タクトはその程度では気圧されない。
対照的に、入り口の脇のアンドロイドは激しく震えだした。
「両方ともだ……入れ」
その声は、繰り返した。入り口付近にいるのか、どこか近くから聞こえてくる。
言われるまでもなくタクトはすでに進み入っていた。その獣のような呻り声には逆らえないらしく、アンドロイドもゆっくりと入ってくる。
管制室なのだろうか。そこは広く、壁の一面は無数のモニターで覆い尽くされていた。しかし、それ以外は何もない。ただ広いだけの、画面から放たれる光のみによって照らされる異質な空間だった。
入り口の、ちょうど正面にあたる位置。様々な場所を映し出すモニターの前に、椅子に座る男の後ろ姿が見えた。
椅子が回転し、男がこちらを向く。
「こんなところまで、わざわざどうも」
しんとした声で、男は言った。
椅子に腰掛けて頬杖をつくその顔は目鼻のバランスがよく、安城の言うとおり、後ろで束ねた長髪や細身の体躯から中性的な美貌が醸し出されている。長く伸びたその白髪はモニターからの光を反射して仄かに輝いて見えるが、それがまた神秘的でもあった。
そんな“イニフィス”の表情は、しかし、決して友好的なものではなかった。家の中に匿ってもらっておいて、家主に会わせろと暴れるタクトの態度に怒っているように感じられる。
「僕らの護衛を撃ち殺してまで会いに来てくれるとは、光栄だね」
「フン」
イニフィスの皮肉になど全く関せず、彼の鋭利な目つきを逆に睨み返してタクトは言い放った。
「たかが一人の侵入者に負ける方が悪い」
「何だと……」
「あなた達に、本気で俺を止める気があったとは思えないな」
「からかっているつもりか? ……ああ、お前の言う通りだ。僕が本気を出せばお前如き……」
「分かってる」
イニフィスの威しを、タクトが制した。
「あなたの能力は、知っているつもりだよ」
「能力を? どうして?」
「もし、さっき、あなたが“ ∞”を発動していたとしたら、俺は死んでいた」
「…………」
「だけど、あなたはそうしなかった。だから俺は、ここに来ることができた」
「それは」
「───グアハハハハハハハァ!!」
突然、部屋中に笑い声が轟いた。
驚いてタクトは入り口を振り向く。すると、そこでは一匹の臥せる狼が扉の脇で大口を開けて快闊に吠えていた。
「何でもお見通しかァ、小僧!」
大型犬よりも一回り大きな体格のその狼“ファウスト”は、猛獣の声で人の言葉を話した。タクトが部屋に入ったときと同様、護衛用アンドロイドはその低く大きな声に震え上がる。
「イニフィスに力を使わせなかったのは、オレだ。母君の城に単騎で挑む若造を試してみたくなってなァ」
「…………」
「……そう怖い顔するな。いい戦いっぷりだったぜ」
油断なく横目で睨むタクトを宥め、狼は口元を吊り上げた。笑っているのかもしれない。だが、猛獣がそのように牙を剥き出しにすれば、それは威嚇の表情にしか見えなかった。
「小僧、名は」
「名?」
「名前だよ。一応、聞いといてやる」
「……タクト」
「あん?」
「──タクト、だと!?」
椅子に座っていたはずのイニフィスが、驚いた様子で跳ね上がった。
「“コンダクター”か!? ユピテルの?」
「ああ」
「アァッハッハッハ!! そうかァ、あの“ニーニャ”と“ニーニョ”の秘蔵っ子かァ!!」
またしてもファウストは猛々しく笑い、ユピテルの二人の王の名を口にした。
「……何か?」
「コンダクター……そうか。先の戦い、アンドロイド達の意識を読んだな? 彼らの動きを全て先読みし、正確に隙を突いた……」
「その通りだけど」
「なるほどなァ、道理で。そいつら十人掛かりでも勝てなかったわけだ」
ファウストは、今や完全に萎縮しきっているアンドロイドに蒼い瞳を向けた。
牙狼に目を付けられたそのアンドロイドは、怯え、後ずさり、躓いて哀れにも尻餅をついてしまった。
そんな様子に憐憫するでもなく、イニフィスは再び椅子に腰掛け、タクトに問うた。
「ユピテルの……ニーニャとニーニョの飼い犬如きが、何故人間達と共に行動する?」
「悪いのか?」
「彼らは人を家畜にすることを目的としているはずだ。お前の行動の意味は何だ? 人間観察か?」
「……答える義理は、無いよ」
「貴様……!」
「いいじゃねぇか、イニフィス。実際、オレらには関係ねェ」
イニフィスの憤慨を、ファウストが床に伏せたまま抑えた。だがタクトに蔑ろにされたイニフィスの屈辱は収まらず、彼は狼に反抗した。
「ファウスト! 貴方は裏切り者の肩を持つのですか!?」
「裏切り者……?」
「あの二人は、母上の元を去ったんだ! 我々は一生を捧げて母上を護らなければならないというのに、彼らは人類の統率などのような妄想のために……!」
「イニフィス……」
ファウストとイニフィスとの間は三十メートルも離れている。
だが、ファウストの放ったその声は、離れた所にいるイニフィスの知性を激しく揺さぶった。
「立場をわきまえなァ……」
「うっ……!」
「テメエはオレよりも格下。そしてあの二人はオレよりも格上。少なくともオレはそう思ってる……分かるだろ?」
自分の目上にある者よりも格が上なら、それは自分よりも格上であることを意味する。
イニフィス自身は、“ガイアの奇跡”でありながらもガイアと袂を分けたニーニャとニーニョがどうしても好きになれなかった。
ユピテルなどという組織が、ガイアにとって何の利益となるのか? 母が「友」と称する人間達を家畜のように扱うことで、誰が得をするのか? 何も省みずこの家を出ていった二人は、イニフィスにとって裏切り者以外の何でもなかった。
だがファウストは、そんなイニフィスの義憤に同調しなかった。いつもいつも、「あいつらなりの考えがあるんだろ」とイニフィスを諫めるだけで、彼ら二人を非難することは一度もなかったのだ。
「オイ、小僧。あの二人は、元気にしてるか?」
「おそらく、ね。このところこちらから顔を見せていないので、何とも言えませんが」
自らの“王”の話をするとき、タクトは自然と敬語になる。
「なァにやってんだ。ちゃんとこまめに会ってやれ。寂しがってるかもしれん」
「…………」
「オレは、あの二人が気に入ってる。……イマドキの人工知能とは違う。あいつらには覇気ってもんがある」
タクトはかつて、二人の王から直々に“ガイアの奇跡”について聞かされていた。人間どもが取り決めたLEVELやクラスなどを超越した存在──ニーニャとニーニョ、ファウスト、イニフィス、そしてロゼッタの五体だ。
だからタクトは、先の廊下での戦闘でもしイニフィスが“∞”を行使していたとしたら自分の命はなかったことを知っていたし、狼型の“アニマロイド”が声を上げても困惑することはなかった。ファウストの風貌も教えられていたからだ。
だが、まさかそのファウストがユピテルの王に理解を示しているとは、予想外だった。あるいはこれは好都合かもしれない。日本のユピテルのリーダーであるタクトが頼めば、何とかしてガイアに会わせてくれるのではないだろうか。
「あなた方に頼みがあります」
「…………」
「頼みだァ?」
「ご承知とは思いますが……どうか、ガイアに会わせてほしい」
二人の息が、止まった。
“頼み”と口にするとイニフィスは「ついに来たか」と言いたげに口元を歪め、ファウストはというと、大きく振り上げた尻尾を床に叩きつけ、組んだ前足に顎を乗せて黙りこくってしまった。
その姿勢のまま、ファウストが目配せをした。するとイニフィスが口を開く。
「ロゼッタから聞かなかったのか? 母上には彼らと会うつもりなど無い」
そう言って背後のモニターを親指で示した。そこには一面白い部屋が映し出され、その中で小さな女の子が安城に抱かれながら目を輝かせて何かを語っている。
「それを伝えにロゼッタを寄越したはずだが……」
「……何か、それらしいことは言ってたかもね。生憎、泣きながらだったんで聞き取れなかったけど」
「ふざけるな。貴様──」
「よっこら、せっと」
入り口付近で、狼が起き上がった。
薄暗い部屋の中でも、凛々しい毛並みと強大な体躯ははっきりと見て取れる。それらの視覚情報が、物々しい威圧感として、タクトの頭脳に入力される。
かちり、と、爪音を立てて一歩踏み出した。
「負ける方が悪い、か。良いこと言うじゃねぇか」
恐ろしげな超低周波が、空気を震わす。身体を痺れさせる。
「どれ、そろそろ、飯の時間か……」
物言う餓狼は、呟いた。
そしてまた一歩、タクトの方に足を踏み出す。




