老練な粛清
ここに来れば会えるだろうと思っていた。
クラメル達は雨宮透を始末した後、すぐに千晴を殺すために動き始める。そのとき、奴らはまず何をするか。
人質を取るに決まっている。
レイナの知る限り、有効な人質になりそうなのはヤナとニケの二人だ。激しく消耗している彼女達ならば、扱いは容易だろう。
(ほんとに、最低……)
真正面からやり合えば難なく勝てるものを、自らの手間を省きたいがために、相手の親しい者を取り押さえて利用する。
卑怯だ。どこまでも。
だけどそれは、自分も同じ。
千晴だって、怒るはずだ。友達を盾にした最低の姉なんて、生かしておけるはずがないだろう。自分は、千晴に殺されて当然だ。
(待ってて、千晴。)
あなたに殺される前に、やらなければならないことがある。
「フレアを殺せば怖いもの無しか、レイナ。」
この、外道のクラメルを、倒す。
千晴の友達にこいつの指なんか一本も触れさせやしない。
私はここで、罪滅ぼしをしなくちゃならない。
「あなたなんか、怖くない。」
レイナの瞳が、一際深い茜色を放った。
その目で敵を睨め付ける。
するとどうだろう。絶対凶者たるクラメルの眼が、鮮血の色に染まりはじめたではないか。奴の虹彩は暗いまま、その周りの白目と呼ばれる部分が、不気味に赤く色づいた。
奴は本気で殺しに来る。
クラメルは、自分に楯突く者には容赦しない。
数時間前のレイナならば、その眼を見ただけで震え上がり、無様に命乞いをしていただろう。
だが今は違う。今の自分なら何だってできる。
復讐なんて、簡単だ。
レイナには、勝算があった。このクラメルも、無敵ではない。大丈夫。“あれ”があれば───
「レイナ、罠はもっと巧妙に仕掛けるものだぞ。」
頭一つ分高い位置から見下ろしつつ、クラメルが言い捨てた。
何のことかと、レイナは眉を顰める
彼女の背後、そこにあるガスボンベを指さして、クラメルは続けた。
「俺が襲いかかれば、貴様は迷わず後退するな?」
「……。」
「そして、そこの高圧ボンベの前まで誘導する。」
「……ッ!?」
クラメルはそこで指を握り、手の平で何かが弾ける仕草を見せた。
「俺があそこまでいくと、ボン!……貴様はボンベに穴を開け、俺を吹き飛ばす。見たところ可燃性のガスだから、それを吹き付けられた俺は、火でも点けられるのではないかと思い、慌てて後退する。」
レイナの戦略を解説するかのように、想定された自分の挙動を人差し指で指し示しながらクラメルは語り続ける。
しばしの間レイナは言葉を失った。今クラメルの言ったことは、レイナが予め想定していた作戦の、最初の一手だった。知られているはずがないのに、奴は、何故──
やっと、レイナは口を開いた。
「そんな…どうして……」
「次に貴様は、この積み荷に大穴を開ける。中身は水硬性ポリマーだな。あまりに突然の出来事に俺はかわすこともできず、それを全身に被る。そうだろう?」
レイナ、クラメルと等距離にあるコンテナを示し、そして今度は壁に取り付けられたパイプに目を向けた。
「俺がこの積み荷の中の粉を被った直後、貴様は俺を粉々にする。当然俺は元に戻ろうとするが、間髪入れずに貴様はそこの水道管を破壊する。そこから流れる水がポリマーに染み込み、固まることで、その中に俺を閉じこめる。」
大したことでもなさそうに、奴はレイナの策を暴いていた。レイナの表情に、一抹の恐れが見え隠れした。
「だが俺は、そんなことでは止まらない。その程度の枷は、力ずくで解いてみせる。貴様の罠を打ち破った俺は、勝ち誇って飛びかかる───が、そこで貴様はポケットの中のビンを俺に投げつける。」
「……!」
思わずレイナは腰のポケットに手を当てた。
そこにはクラメルの言う通り、手の平に収まる大きさのガラスのビンが入っていた。この程度の大きさのビンが中に入っていても、そう簡単に外からは分からないはず。たとえ感づいたとしても、たったこれだけでレイナの策略を見破るなど……
「度重なる搦め手の攻撃のせいで俺は慎重になっているはずだから、おそらくそれをかわそうとするだろう。だが全身に混ざってしまったポリマーのせいで素速く動けず、命中してしまう。……中に入っているのはただの水だな? 劇薬の調達はそう簡単ではないからな。」
「……く、うぅっ……!」
「まあ、ただの水でも陽動には効果的だろう。それを喰らった俺は、大きく後退する。貴様の次の攻撃を避けるためにな。」
つらつらと、全てを読み尽くしたクラメルは敵の戦意を殺ぐかのように、レイナの用意の秘策を語り連ねる。
赤と黒のグロテスクな眼は、小刻みに震える茜色の瞳を冷たく見下ろしていた。
「貴様はそこに、息つく暇も与えず立て続けに磁界を放つ。何かあるのではないか、と警戒している俺はその連撃に圧され、あそこまで引き下がる。」
そう言って後ろの壁を親指で指した。
「後はもう簡単だ。俺の頭上にあれの中身をぶちまければいい。」
腕を下ろし、クラメルは背後を見上げた。
今、彼らのいる搬入庫は、上の方に薬品保管庫を格納していた。二階の一つ上、三階の高さにあるその薬品庫は、後ろに長く延びた高い搬入庫の屋根に上から覆われていた。つまり、彼らの後方にある二階建て構造の屋上には、頑丈に固定された薄緑色の巨大なタンクが所狭しと並べられていたのだ。
クラメルの見上げた先のタンク。それは、間違いない。レイナが奴を完封するために目を付けていた、濃硝酸で満たされた薬品貯蔵基だった。
「大量の硝酸を喰らえば流石に俺も死ぬ。そこでジ・エンド、貴様は見事、積年の恨みを晴らせるというわけだ。」
レイナに向き直り、右手を前に掲げる。
すると奴の二の腕から先が刀の様相を呈しはじめ、夕闇の中、その輪郭が艶やかに浮かび上がった。
レイナが思わず後ずさると、クラメルもそれに合わせて少しずつ前進した。
「嘘……」
狙いを、看破された───
物理攻撃が駄目なら、化学的手段で。その考え方は正しかったはず。
だがその程度の発想は、このクラメルにとっては稚拙な悪戯にも過ぎなかったのだ。百戦錬磨の怪物相手に、即席の罠は通用しなかったのだ。
「長年戦場に身を置いているとな、分かるんだよ。敵の作戦が、周囲の物の配置や相手の立ち位置から、な……。さあ、どうだ? 他にも何か、隠し玉があるのか?」
「くっ……」
細身の刀を脇に下げてクラメルが近づいてくる。
このまま下がれば当初の狙い通り、あのガスボンベの前まで奴を誘導することはできるだろう。
だがそこまでだ。この計画は、そこでクラメルが意表を突かれて後退することで初めて成り立つ。手口が全て見破られているのならば、あんなもの、子供騙しにもならない。至近距離でボンベを爆発させればほんの少しクラメルをよろけさせることもできようが、それだけだ。それだけでは勝ち目がない。
じりじりと後退しつつ、レイナは慎重に周囲の状況を見回した。
今、上にあるタンクを破壊したとしても効果はない。不意を突かなければ簡単に避けられる。水硬性ポリマーも同じだ。あのコンテナから流れ出る粉末など、くると分かっていればかわすのはさほど難しくない。
「どうした、レイナ? 俺を殺すのではなかったのか?」
右の壁面──
そこには幾つもの燃料ガスが陳列されていた。それぞれのボンベに間隔はほとんどなく、隣同士で密着している。
あれなら……
巧くやれば、火を点けることも可能だろう。ボンベの一点に穴を開けるのではなく、一つを丸ごと大破させる。そうすれば、細かな欠片が擦れて火花が散り、ガスに引火するだろう。
それでクラメルは死ぬだろうか? 分からない。それでも奴に勝つ方法があるとすれば、それくらいしか思いつかなかった。
(でも……)
ちらり、と足下を見やる。
その爆発で自分が死ぬのは構わない。死んで千晴に償えるのならばむしろ本望だ。
しかし気がかりなのは、そこにいる人間の存在だった。レイナが見つけたときからずっとその男はクラメルの陰に怯えていたが、奴が戦闘状態に入った途端、彼の体の震えはいよいよ激しく、あまりの恐怖に口も利けない状態になっていた。
人間を殺すわけにはいかない。しかしそうなると、レイナに手段はなかった。
彼女の今の心中までをも見抜いたのか、クラメルの双眸が愉快そうに細められた。
「フ……その人間が枷になっているのか。面白い。」
「……っ…」
「ならば、そこの腰抜けは最後まで生かしておくことにしよう。」
フォンッ──! と右腕の刀を一振りし、クラメルは歩調を早めた。
「覚悟しろ、レイナ…」
「……うるさい!」
怒鳴り、レイナは右手を一振りした。
彼女の体から、密に並んだ磁力線が放射状に放たれる。
「ぬるい。」
クラメルは軽く屈んで、いとも簡単にそれをかわした。
そして、奴は曲げた膝のバネを利用して、勢いよく前に飛び出した。
「シッ!」
一瞬の吐息で間合いを完全に詰め、クラメルは右手の刀を振るった。
「!!」
間一髪、それを避ける。
刀を振り切る前にクラメルは刃を返し、燕返しの要領で二の太刀を浴びせた。
レイナが身を退いてそれをかわせば、クラメルはまた踏み込んで三の太刀を斬り込んだ。
(まずい…!)
本能的な、咄嗟の判断。
レイナは敵の右手を全力で撃ち抜くと同時に、後ろに跳んでその場から離脱した。
クラメルの連撃から逃れた──だけではない。
一瞬前までレイナがいた位置、そこには、鉛色の鋭い刀の切っ先が突き出されていた。
クラメルの右腕ではない。
その刀は、奴の鳩尾から突き出ていた。
「……通用しないか。流石だな。」
するすると、刀が胸に納まってゆくその上で、クラメルの目は意地悪く嘲笑った。
クラメルならではの得意戦法だ。目立つ武器を息つく暇もなく振り回し、相手の注意がそこに釘付けになった瞬間、思いも寄らない部位から必殺の一撃を放つ。初見でこれを喰らえば、間違いなく敗北を喫することになるだろう。クラメルの戦いを何度か見てきたレイナでさえ、この技を避けるのは容易ではなかった。
「だが、いつまでも凌いではいられないぞ。」
「……黙れ…!」
「貴様は既に、俺の戦法に嵌まっている。」
如何にレイナが奮戦しようとも、事実、クラメルが相手ではどうにもならなかった。作戦が看破され、攻撃手段が無くなった以上、必然的に彼女は勝ち目のない持久戦に持ち込まれていたのだ。
相手に攻撃をさせるだけさせて、その全てを体に受けつつ、敵の体力を根こそぎ奪う。戦意と同時に。その究極の持久戦こそが、クラメルの本来の戦闘スタイルだった。だが、単純に刃を交えたとしても奴は強い。体術のセンスと敵の策謀を見破る読みの深さ、そしてレイナなどは遙か遠く及ばない殺し合いの経験値。一対一の戦闘でレイナが奴に勝つ要因はどこにも見当たらない。
「裏の裏の、さらに裏をかく技術が貴様にもあれば、あるいは俺に勝つことができたかもしれん。残念だったな。」
「…そうやって、勝ち誇っていられるのも、今のうちだから。」
「勇ましいな。……我々は随分と有能な人材を失ってしまったものだ。」
「ふざけないで…! 今すぐ黙らないなら、殺す…!」
「ほう、どうやって? 何か算段でもあるのか?」
これ以上の手段など、一つもなかった。
「…何もないなら、どうする? 逃げるなら今のうちだぞ?」
「何を…!」
「尻尾を巻いて、大事な妹の元へと逃げ込むが良い。二人で力を合わせればこのクラメルも難なく倒せるだろうしな。……もっとも、貴様の妹が貴様のことを受け入れてくれるかは疑問だが。」
「…ッ!!」
最後に吐き捨てた屈辱の台詞。
レイナの息が荒くなり、全身が、カッと熱くなった。
怒りのあまり震える腕を抑えられない。
千晴は私を受け入れてくれない。全く、その通り。拒絶どころか千晴は明確な敵意を持って私のことを排除しにかかるだろう。
それは一体、誰のせいだと思ってる───!
「殺す!!」
駆け出すと同時に、バッと右手を突き出した。
「戻れなくなるまで粉々にしてやる!」
憎くて憎くて堪らないクラメルの顔が、爆音と共に吹き飛んだ。あまりにも強力な磁力線が通過したことで熱が発生したのか、奴の首の断面からは青黒い煙が立ち上っていた。
頭を吹き飛ばされた衝撃で、クラメルは一瞬後ろに傾いた。すかさずレイナは奴の右肩に照準を移した。
こんなもの、一片たりとも地上に残してはおけない。千晴の元になんて、向かわせない。こいつが再生するよりも速く撃ちまくって、こいつなんか、千晴の目に見えない原子レベルにまで粉砕してやる───
────シュ、カッッ───!
クラメルの胴体が、身を捻った。
そして、その胴体から生える刀がレイナの右手に一閃を描いた。
金属が金属を切り裂く音がする。
「は……」
その直後、レイナの手の平が激痛を訴えた。
「────ああっ!!」
首を失ったクラメルの振った刀がレイナの手を切り裂いたのだ。親指の付け根から中指と薬指の間まで、深い切り傷が一直線に走っていた。右手の平は辛うじて繋がってはいるものの今にもボトリと外れそうだったし、親指、人差し指、中指の感覚はもう、無かった。
首のないクラメルの体が左手を突き出し、レイナの目前で鉛色が煌めいた。痛みに怯んでなどいられない。だが斬撃のダメージは考える以上に大きかった。
「簡単には殺さん。」
二振りの刃を繰り出す金属塊から、クラメルの声が聞こえた。レイナに吹き飛ばされた部位が、動き回っている間にも徐々に盛り上がり、回復の兆候を見せていた。その顔面が現れる前に再び吹き飛ばし、今度こそ跡形もなく消し去ってやりたいが、強烈な右手の痛みと、先ほどまでの比ではない激しい連撃を前にして、レイナは磁力線の練成に巧く意識を集中することができないでいた。
「うっ……!」
右に避ければ右から。
左に避ければ左から。
クラメルの刃は、レイナの動きを完全に捉え、彼女が体を捌いた位置へと狂いなく切り込まれていた。
翻弄されるがままに、レイナは後退してゆく。
このまま戦いが長引けばこちらが疲弊する。そうなれば奴の攻撃を避け続けることは不可能だろう。
と、そのとき、レイナの背中が何かにぶつかった。
「!?」
積み荷が───!
「きゃあっ!!」
レイナが右に転ぶのとクラメルの刀が背後のコンテナを切り裂くのはほとんど同時だった。
下から上へ、鉄の荷箱が滑らかに切断された。
レイナの判断がもう少しでも遅れていたら、彼女の左腕は肩から呆気なく切り離されていたことだろう。
しかしもうそれまでだった。右に転んだレイナの体が地面に倒れる前に彼女の鳩尾がクラメルの左足によって思いっ切り蹴り上げられたのだ。その痛烈な一撃をいなすこともできず、レイナは腹を押さえて苦しそうに喘いだ。
「は、あっ………!」
「調子に乗るな、レイナ。」
今やクラメルの頭は完全に復旧していた。奴の赤黒い目はレイナを捉えて離さない。地に倒れ伏したレイナをめがけて、クラメルは腕を大上段に構えた。
絶体絶命になると、レイナは目を瞑る癖がある。
フレアに虐げられてきた名残、なのだろうか。果敢に前を見据えても災厄から逃れることはできなかったから、必死に、現実から逃れようとしているのかも知れない。レイナ自身が無意識なので、その行動に理屈を付けることなど出来はしないが、とにかく、一言で言うなれば「怖いから」だ。
レイナはこのときも目を瞑っていた。それで時間が止まるわけでもないだろうに、両手で相手を遮るようにして、竦み上がっていた。
こんなことはもう二度と無いと思っていたのに。
こんな醜態、フレア以外を相手に晒したことはない。フレアの手を貫いたとき、レイナはやはり目を閉じていた。フレアの恐怖から逃れようと。ヤナの喉を撃ったときだって、叫ぶと同時に瞼をぎゅっと閉じていたが、あれだって突き詰めれば彼女の後ろに控えるフレアが怖かったからだ。
もうフレアはいない。他でもないこの自分の手で金属の欠片にしてやったのた。フレアという名の元凶を消した今、レイナがこんな無様な姿をとることは有り得ない。はずなのに、
クラメルの脅威は、フレアのそれとは比較にならなかった。
目を閉じるのは今日で三度目だ。最初はヤナを、次はフレアを、無意識の磁力線で撃ち抜いたが、三度目の相手にそれは通用しない。間もなく、斬られる。
(………?)
しばらく待っても、何も起こらなかった。
目を開けるのは、恐い。もしかしたら自分はもう既に腰から下を失っているのかもしれない。そして目を開けた途端、閉ざしていた視覚や、止まっていた痛覚までもが一気に働き出し、死よりも恐ろしい事態に直面するのではないか。その恐怖があった。
が、何も起こらない。
「………。」
そのとき、少し遠くで名前を呼ばれた気がした。
……レイナ………
誰だろう。聞き覚えがあるが、声が遠くてわからない。
目を開けるのは驚くほどに簡単だった。全身の感覚があることを、つまり、自分はまだ生きていることを確かめると、瞳が勝手に開いた。
大男が、すぐ側に立っていた。目を閉じる前と同じ、右腕の刀を振り上げた姿勢のまま。一秒、二秒と経っても、変化はなかった。ただ、奴の腕や首が、何か見えない鎖で縛られたかのように動かない中、その両方の虹彩だけが、自身の背後を睨みつけようと極限まで後ろに引っ張られていた。
何が起こったのか。
「……レイナ。」
先ほどの声が、今度ははっきりと聞こえてきた。クラメルの後ろだ。
「あ……」
バイクの姿でクラメルが現れたとき、関係者通路の扉は乱暴に弾き飛ばされていた。今その細く白い廊下は、搬入庫の内側の夕闇の青紫色の中に剥き出しにされていた。
その簡素なで殺伐とした通路の中。
そこに、レイナの“兄”ツバサが立っていた。




