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生身の刃  作者: δ
第二章後編:生身の諸刃
34/65

獲物を逃がした狩人は

 神通川に沿って山の方に進んでいくと、しばらくして両脇を杉の木に挟まれた道に入る。その木々は決して高くはないが、それだけ葉が地面に近いので道を通る者達は妙にそれらの存在を意識させられる。


 時刻は二時を半分過ぎた頃だろうか。ブレーキの痕や不可解なアスファルトの窪みも目を引くが、何より道の真ん中で言い争う二人の姿がこの山の自然の落ち着いた景色にはとても不吊り合いだ。


「ツバサァ! 何で逃がシタ!!」

「ぶっ倒れてた奴が喚くんじゃねえ!!」


 まるで戦闘直後の傷跡のような地面の痕の狭間では、灰色のパーカーを着た三十くらいの人物と紺色のキャップを被った年齢不詳の男が互いに罵り合っていた。


 パーカーの男の方はさほどでもないが、相手の方は頬に大きな女郎蜘蛛の刺青を施しており、彼の周囲を取り巻く白緑色のオーラと相まって見る者に不快な印象を与えてくる。


「テメエは動ケタんだろうガ!? 動ケル奴がやらネエで一体誰がやるンダヨ!」

「意識があっただけで、あいつらを止められた訳じゃない!! 何度言ったら解るんだ、この阿呆が!!」

「オイコラ今何ツッタ!! アァ!?」

「言ってほしけりゃ何遍でも言ってやんよ! てめえは所詮…」

「もうよせ。」


 醜い喧嘩が本格的な殺し合いに発展しかけたその時、もう一人の男が静かに言い放った。

 彼が指示した途端、パーカーを着た男の頸からは白緑の糸が落ち、キャップの男の胸倉を掴んでいた腕は、纏った磁界と共に大人しく下がっていった。


「見苦しいぞ。こんな時に。」

「すみません……」

「チッ…」


 クラメルの一声でここはひとまず収まった。二人の間の軋轢が解消されたわけではないものの、この瞬間確かに無為な殺戮は防がれた。普段のツバサとマルクの関係を鑑みればこれで上出来だ。


「状況を見る限り、任務完了は暫くお預けとなったようだな。」

「まさか雨宮透にあのような力があるとは、想定外でした。」

「想定外? テメエがヨク調べネエから…」

「やめろ、マルク。過ぎたことには構うな。」


 クラメルはとてもうんざりしている。このマルクという男はどうも落ち着きがなく、ツバサと顔を合わせる度いつも喧嘩を吹っかけていた。

 想像するにおそらくツバサの達観した性格が彼には気に入らないのだろう。ツバサの一歩引いて全体の状況を判断するそのスタンスが、マルクにとっては自分と力が同等にもかかわらず上から偉そうに見下ろしてくる態度に感じられるに違いない。

 本来ならばクラメルはここにマルクを連れて来たくなかった。


 マルクは元々の計画では弓月ハルの周辺に構えているはずだった。まさに今回のニケのように弓月ハルに何らかの護衛が付いていた場合に、それらを予め排除しておくためだ。

 それが蓋を開けてみれば迷子という有様。誰がどう見てもアンチロイドでしかないこの男を町中にほったらかしておくわけにもいかず、クラメルは仕方なく戦力としてここまで乗せてきたのだった。


「これから取るべき行動を考えるぞ。」


 この場から雨宮透を逃した以上、無駄な口喧嘩で時間を浪費すべきではない。


「取るべき行動?」

「追うか、退くかだ。」

「退ク!? イヤイヤあり得ねえダロ!」


 予想通りとはいえ、一々突っかかってくるマルクには流石にクラメルも不愉快になる。


「アンタの話ダト対象はモウ動けネエんダロ!? 追う以外あるのカヨ!」

「敵のコンダクターが逃げた先に何があるのかは分からないが、初めからその場所を目指していたのだとすれば深追いは危険だ。」

「…つまり、何か罠があるのかも知れない、と?」


 ツバサは察しよく応えた。


「そうだ。しかし敵の手の内を知らずしてこのまま引き下がるのも好ましくない。」

「じゃアどうすンダ!?」

「…二手に分かれるのが妥当だろうな。」

「二手? 対象を追わナイ方ハ何をスル。」

「フレアとレイナに合流するんだ。」

「……。」


 急にその二人の名が出てきて、ほんの少しツバサの表情が強ばった。クラメルはそれを見逃さない。


「どうした。何か言いたそうだな。」

「…何でもないです。」

「言え。」


 クラメルはそういう態度を嫌う。そのことはツバサも重々承知していた。


「…今あの二人が一緒にいるのか、と少し気になっただけです。」

「……。」

「ハァ!? 何か問題でもあンのカヨこのシスコンガ!!」


 ツバサは負けじと言い返してやろうかと思ったが、ここで踏みとどまらなければ再び不毛な言い争いが続くことになる。それはこのクラメルが許さないだろう。


「…そうか。まあ、いい。」

「オイクラメル! 今更あっち二行ってどうなるってンダ!? アンなのほっといタッテ構わねえダロ!」


 自らよりも立場が上の者を呼び捨てにしつつ、マルクは声高に抗議した。

 一方でツバサは肝を冷やした。こいつは明らかに興奮している。このままだと……


「…あちらには敵の“LEVEL 7”が介入した。」

「ハ!? それってあれカヨ、“勝利の女神”って奴カ!?」

「ああ、そうだ。」

「何だってソンナザコの為二…」

「本来ならば貴様が排除しているはずだったんだぞ。」


 彼はマルクの喚き声を遮った。間違いない。クラメルは今気が立っている。

 今のうちにこの五月蝿うるさい男を止めようか、とツバサは一瞬だけ情けを抱いたが、やめた。どうせ止めたところでまた喚き出すに違いない。


「あんなンオレがいなくテモ、レイナ一人で十分だろうガ!」

「…どうだろうな。」

「ソンなコトに戦力割クくらいナラ全力デ対象ヲ殺すべきダロ! 違ウカ!?」

「マルク……」

「マサカ対象ガ怖いのカ!? ハッ、アノクラメルともアロウ者ガ!」

「…誰に向かって口を利いてる。」

「テメエだヨ!! アア、イイゼ。ソンなに敵が怖いナラ一人デ尻尾巻いテ」

「おい。」


 静かに、肩に手を触れて。

 クラメルは相手の腹を殴った。


「ウ、ゲッ…!」


 マルクが体をくの字に折り曲げると、必然的に頭がクラメルの膝の高さまで下がった。

 それをクラメルは容赦なく蹴り上げる。


「ブッ!!……ゴハッ…!」


 今度は後ろに反り返ったマルクの首を鷲掴みにし、顔面を地に叩きつけた。

 顔を押さえようとマルクが腕を上げれば無防備な横腹を蹴り、腹に手が行けば頭を上から踏み潰す。終いには丸くうずくまってしまったマルクの背中を、クラメルは無言で蹴り続けていた。

 奴は言い過ぎた──やはりシャットダウンさせてでも止めるべきだったかとツバサは後悔したが、もう遅い。ここはとにかくクラメルの気が済むまでマルクには堪えてもらうしかないだろう。


「ゥ…オエッ……ゲホッ…!」

「貴様俺の命令が聞けないのか。」


 屈んだまま動かなくなったマルクの体を足で転がし、無理矢理上を向かせた。

 マルクは何か言おうとしているが、声にならない。そんな相手を哀れに思うでもなく、クラメルは無造作にマルクの額を踏みにじった。


「聞こえねェ……もっとはっきり話せ。」

「ワ、ワルカ……ワルカッタ……。」


 喘ぎ喘ぎ、やっとそれだけ言った。

 最後にクラメルは相手の鳩尾を蹴り飛ばし、それからツバサに向き直った。


「あの二人がいるのなら大丈夫だとは思うが……念には念を、だ。」


 今の暴虐がまるで嘘のように、彼は冷静に話しかけた。


「あっちへは、俺たち二人で向かうぞ。」

「二人でですか? じゃあ……」

「まあ、そうだな。」


 ツバサは地面に倒れるマルクを見下ろした。自分とクラメルがこの場を離れれば、雨宮透の後を追うのは必然的にこの男一人となる。


「なに、対象は瀕死だ。それよりもあちらの動きが気になる。」

「何か?」

「いや、気のせいだろうが……胸騒ぎがする。」

「……。」

「何にせよ、手負いの子鹿を二人掛かりで追う道理もあるまい?」


 ツバサにはそう言っておいて、クラメルは足下に視線を下ろした。


「貴様はこの先を進んで、奴らの様子を見て来い。…あの状態ならそこまで遠くには逃げられんだろう。」

「ウゥ……」

「頼りにしてるぞ……我々二人はあのサイボーグが怖くて堪らないのでね。」


 大して面白くもなさそうに、彼は吐き捨てた。

 未だダメージから立ち直れないマルクを後にして、何も言わずクラメルは道を歩いた。ツバサもそれに続く。

 雨宮透の討伐は、一時的に失敗した。だが完全に望みが絶たれたわけではない。今から他の二人と合流して、そこから先は敵を直接狙うのではなく外堀から埋めていくことになるのだろう。

 長い戦いになりそうだ──気を引き締めて、ツバサは飛んだ。同時に地上では、クラメルがヒトから俊敏な狼へとその姿を変えていた。










「何だ、これは……」


 滅多に人の来ない資材置き場。たった今、二人はそこに着いた。


「これは一体……何が起こったんだ?」


 そう訊かれても、ツバサにだって判るはずがない。

 背中を嫌な汗が流れた。もしやこれは……いや、まさか……


「これは、誰でしょう…もしかして……」

「いや、『これが誰か』は分かる。」


 そう言って指し示す先。

 そこにはぼろぼろに引き裂かれた布切れがあった。

 あれが、何か?───そう問おうとして、ツバサは気付いた。あの布切れには見覚えがある。色彩、装飾……

 あれはフレアの服だ。


「問題は『誰がやったのか』だが……」


 彼らの目の前には、辺り一面にアンドロイドの残骸が転がっていた。

 「アンドロイドの残骸」と言ってもそのほぼ全てが粉々に撃ち砕かれた状態であって、互いに離れて転がっている二本の足だけが、それらの原型がアンドロイドであることを物語っていた。───落ち着いて見てみれば、なるほど、その足の先に嵌まっている靴もフレアと同じ物だ。


 それを確認して、不謹慎かも知れないが、ツバサは密かに安堵した。

 砂利の上にぶちまけられた無機物の欠片を最初に見つけたとき、てっきり彼は妹が殺されたのではないかとひどく動揺していたのだ。そうじゃなくて本当に良かった。そういえば、レイナは───?


 顔を上げると、クラメルと目が合った。


「……。」

「…見ろ、ツバサ。」


 彼は地面に転がっている比較的大きな欠片を持ち上げてみせた。


「まるでマシンガンに撃たれたかのようだな。」


 見ると、確かにそこには幾つもの小さな穴が開いていた。

 欠片の断面にも所々に何かが貫通した痕が残っており、彼の言うとおり数多の凶弾が機械を撃ち抜けばこのような破片が生じることだろう。

 ツバサは何も応えられなかった。


「…レイナと連絡はつくか?」

「……いえ。」

「フム…お前達の能力がある以上通信端末は用意していない……全く以て不便だな。」

「……。」


 ツバサは辺りに散らばる残骸を見下ろした。

 これは、レイナが? あいつがどうしてフレアにこんなことを。そもそも弓月ハルの懐柔はどうなったのだ。失敗したのか? もしやそのせいで……

 改めて、今度は恐る恐る目を上げた。彼らから五、六歩離れた位置には朱色の毛がばら撒かれている──フレアの髪だ。そしてそのすぐ側に転がっている白っぽい玉は───


 辺りに広がるグロテスクな光景、フレアが殺されたという事実、レイナの姿が見当たらない、この状況──そのどれもが、ツバサの心をこれ以上なく掻き乱している。

 それでもなお、クラメルの目を見たとき彼の不安はさらに大きく膨れ上がった。レイナはこれからどうなるのか、その目を見れば答えは明らかだ。ツバサは今、クラメルのその冷酷な眼がこの世で一番恐ろしかった。


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