覚醒
敵が目を見開くと同時に、頭の中に奇妙な光景が飛び込んできた。
なぜ自分が知るはずのない会話を、それもフレアの位置から……
「お前……何をした。」
「…真実を見せてやった。」
勿体ぶるようにタクトは言った。
「不思議に思わなかったのか?残虐の限りを尽くしてきた組織の幹部が、いくら部下のためとはいえ抹殺対象を見逃してやるなんて。」
「……。」
「彼らの思惑は今の通りだよ。……どうするんだ?」
「は?」
どう、とは? 質問の意味が分からない。
ツバサが眉根を寄せると、見えない何かに胸倉を縛られたままタクトは諭すように応えた。
「レイナは君と同じ“マグナの方程式”と呼ばれる関数方程式の解をインプットされた、言わば君の分身と言ってもいい存在だ。」
「どうしてそれを……」
「元々君達は一つだった。冥王ハデス……あまりにも強大だったが故に身内であるヴィーナスにまで危険視されたアンドロイド“ハデス”、そのプログラムの根幹を成すマグナの式を二つに分け、生まれたのが君たち二人だ。」
「お前、どこまで…!」
「一つの変数で済む式をわざわざ二つの式の連立として記述し、片方は既存の人工知能に、もう片方はサイボーグの脊髄に記録しておくことでヴィーナスどもは威力の分散を図った……。なるほど、一つの式を無理矢理二つに分ければ当然そこには不具合が生じる。それを利用してもしもの時のダメージを最小限に留めようとしたわけか。」
ツバサの驚きには一切構わず、タクトは宙に浮いたまま部外者の知るはずのない事実を淡々と述べ連ねている。
この男はどこで、どうやってその情報を入手したのだ? それに、先ほどの不可解な現象は一体……
そこまで考えて、ようやく思い至った。
「ご覧の通り、今君の妹は非常に危険な立場にある。弓月を口説けなければ彼女にとっては最悪のパターンが訪れるだろうし、たとえ仲間にできたとしても奴らに解体されることになる。」
もしや、この男は……
「お前……」
「どうするんだ? 救い出してやらないのか?」
どうもこうも、その話が本当ならツバサの取るべき行動は一つだ。
しかし
「…随分と詳しいんだな。まるで敵の記憶を見透かしたみたいだ。」
「……。」
「お前、“コンダクター”だな?」
タクトは頷くことも、とぼけることもしなかった。相手の出方を窺うようにじっとしている。
「思い出したぜ……。ユピテルのリーダーは確か人工知能の意識そのものに語りかける能力を持つ。そういや、雨宮透はお前のことを『タクト』と呼んでいたな。」
一週間前のあの夜、たかが「弱小組織」の分際でヴィーナスの本陣を壊滅寸前にまで追いやった、そのリーダーが目の前にいる。
なぜこいつが自分たちの討伐対象と一緒にいるのかは不明だが、いずれにせよ今この瞬間、滅ぼされたヴィーナスの仇をとる絶好の機会が訪れたのは確かだ。
「“コンダクター”もそんな名前だったはずだ。…チッ。下らねえ幻なんか見せやがって。」
「幻じゃ、ない。君が見たのは歴とした──」
「黙れ!!」
突然、タクトの体が落ちた。
いや、「落ちた」なんてものではない。ツバサが腕を振り払うと同時に彼は高速で地に叩き返されたのだ。
「う…く……」
自由落下を軽く上回る速度で地面に衝突し、内部機関が数瞬活動サイクルを停止した。人間でいえば気絶寸前に等しい。
ツバサは自身を覆う磁界を弱め、痛みに呻くタクトの側に降り立った。一か八か、タクトが見せた決死の切り札である「フレアの記憶」は、無念にも彼の意識を変えさせることはできなかった。
「そりゃそうだ。幻を見せておいて『今のは単なる幻想です』なんて言う奴はいねえよな。」
「ツ、ツバサ…!」
「それも相手が敵対する組織の人員なら尚更だ。……歯ァ喰いしばれ。」
再び磁力が編み出され、それはタクトの全身を苛んだ。
まるで重力が数倍に跳ね上がったかのように手足が重くなり、胴は地面に縫いつけられ、彼の首は万力の如き強圧で容赦なく締め上げられた。
「大人しく隠れてりゃいいものを……」
「か……っ……」
首の切断が先か、窒息が先か。今のタクトはぎりぎりと圧迫され続けている自分の喉を押さえることもできない。
“コンダクター”も、ついに滅びる──最後の仕上げに、とツバサが最高出力の磁界を生み出そうとしたそのとき、リムジンから勢いよく飛び出してくる影が見えた。
「くたばれっ!!」
何が起こったのかは分からないが、敵がタクトに集中している今ならいける──そう確信した雨宮が捨て身の強行に出たのだ。
軽くドアを飛び越せば敵との距離は3メートルにも満たない。全力で飛び込めば絶対に……
だが、
「チッ!」
不意を突いたつもりか知れないが、その程度の動きでは隙を作れない。ツバサの方は一つも動かず、飛び出した相手が「何か」に弾かれて後ろに吹き飛んだ。
「いっ…!」
「お前は後だ。まずはコンダクターを消す。」
右手を上げ、振り下ろす。
その簡単な動作でリムジンの巨体は宙に浮き、文字通り重荷となって雨宮の上にのしかかってきた。
「ぐ、あっ!!」
凄まじい重量と殺意を感じるその衝撃が一瞬で身に叩き込まれた。防ごうとしても腕が持ち上がらない。雨宮の周囲にもすでに敵の結界は張られていたのだ。
大川寺を閉じこめたまま、車体は先ほどより大きく浮き、先ほどよりも膨大なエネルギーを持って地上に倒れる雨宮に突進した。無防備の少年を下敷きにした鉄の塊は、数センチも地面にめり込み、甲高い金属音を吐き散らし
そして、止まった。
「……!」
タクトは思わず声を上げようとしたが、それも叶わない。
いくら雨宮の体が白金剛で出来ているとは言え、あれほどの衝撃を喰らってはさすがに無事では済まない。彼の生身の体内組織は相当にダメージを受けたことだろう。
そして車内の大川寺は……
「どこ見てる、ユピテルの“コンダクター”。人間の心配をしている場合か?」
ツバサはタクトに向き直り、今度こそ止めを刺すために気力を集中させた。この圧倒的な実力差を前にして、C∞級のたかがLEVEL 6でしかないタクトに一体何が出来るというのか。
このままでは全滅する。
しかし打つ手など無い。
分かりきったその事実は、解ったところで何の役にも立たないわけで───
「……。」
あと一歩で仕留められたというのに、
不意に、ツバサの意識がタクトから外れた。
「な……?」
首を固定されたタクトには何も見えない。
だが、次第に大きく轟いてくる地鳴りのおかげで何者かがここに接近しているのは分かった。
ツバサはといえば、最早討ち取ったも同然の獲物になど目もくれず、醒めた目つきでこちらに迫り来る単車の方ばかりを見据えている。
「…何であいつが来るんだよ。」
ぽつりと、心底不服そうに呟いたそのとき、
リムジンを乗り越えてきたバイクの姿がタクトの視界に飛び込んだ。
「YHEAAAAAAA!!!」
その男は現れた。けたたましい騒音をまき散らしながら。
目深に被った紺のキャップ、そこにはグロテスクな舞舞蛾が刺繍され、頬に刻んだ女郎蜘蛛のタトゥーそして何より全身を取り巻く毒々しい白緑のオーラが男の異質さを象徴している。
その男が跨がるバイクは最高点に達した。
ハンドルから手を離し、跳ぶ。キャップの男は緑色の軌跡を描きながら宙を舞い、着地した。
彼らの登場はそれで終わりではない。
「!?」
空中で打ち捨てられた軽量のバイク。
その変化は劇的だった。
「ハッ!!」
精巧な、機械特有の機能美を兼ね備えたその単車は、地に落ちる直前で姿を変えた。
冷酷な目をした殺戮者の姿に。
「状況を説明しろ、ツバサ。」
二輪の車が、人型に──見る者の常識を打ち砕く芸当をやってのけた男は、まるで何事もなかったかのように指示を出した。
「クラメル、たった今、“コンダクター”を捕縛した。」
「ほう。」
「コンダクター!? 良クヤッタ、ツバサ!」
冷静なクラメルとは対照的にキャップの男の方は何とも異常なテンションだ。ツバサは不快を顕わにした。
「お前が何でここにいる。マルク。」
「ククッ…街ン中歩いテタらクラメル二ツカマってナ。」
「どうやら俺が見つけるまで迷っていたらしい。仕方なかったからここに連れてきた。……探すのにずいぶん苦労したな。」
それが本当ならばとんでもない大失態だが、マルクは全く意に介さず、地に押しつけられたままのタクトを面白そうに見下ろした。
「コンダクター……ブフッ。ギャハハハッ!! コイツがコンダクターか!」
「チッ…うるせえぞ、マルク。」
「だってヨ、コンダクターダゼ!? 折角ツカまえたンナラこうしテ……」
彼が両手の平を握ると、そこには幾重もの糸が束ねられていた。
気づいたときにはもう遅い。いつの間にかその糸はタクトの首元に巻き付いていて───
「オレ達のウラミを晴らせンダろうガ!!」
腕は引かれ、細く強靱な紡糸が強く張られた。
タクトの喉はいよいよ苦しく、磁力とは異なり直接首を締め上げてくるマルクの糸は、より厳しく、より確実に彼の命を削っていった。
「待て。」
そのとき、クラメルが部下を制した。ツバサもマルクも怪訝な顔して彼の方を見ている。
「そいつは生かしておけ。ユピテル自体はまだ健在だ。それを拷問して奴らの情報を聞き出すのも悪くないかも知れん。」
「ナルホド。」
その言葉に、かなりクレイジーな見た目の部下の方は大人しく従った。だが落ち着いた風貌の男は未だに敵の拘束を解かず、クラメルに対して意見した。
「やめた方がいいです。……こいつは危険すぎます。」
「危険? “コンダクター”がそれほど危険とは思えないが?」
「……戦闘力の問題ではありません。」
ツバサは言おうか言うまいか悩んでいた。今は為す術もなく地にひれ伏しているこの男は、先ほど自分に好ましくない幻覚を見せてきたのだ。相手が大した戦闘力を持たないからといって甘く見るのは非常に危うい。
しかし、そのことを伝えるのには躊躇いもあった。タクトによる幻。あれがもし真実だとしたら? そう思うとクラメル本人に先の体験を語ることがとても覚悟のいる仕事になってしまう。あれは夢。事実ではない──そう何度も自分に言い聞かせても何故か心理状態は変わらない。タクトの行為はこれが目的だったのだろうか。自分は敵の術にはまってしまったのか……?
「……いや、いい。これについては後にしよう。」
「……。」
「まずは討伐対象だ。…ツバサ、雨宮透はどうした?」
「…そこです。」
ぴくりとも動かないリムジンを指し示した。
「とりあえず今はあれの下敷きにして封じています。」
「何をしている。先ずは対象から排除すべきだ。」
「…すみません。」
「コンダクターなど、今この場での優先度は低いだろう?」
「……。」
「…まあいい。今からでも遅くはない。さっさと…」
「いいや。」
クラメルの言葉を遮ったのは、ツバサでも、マルクでもない。
これまで全くの無抵抗で死を待つだけだったタクトが、唐突に口を開いたのだ。
「もう手遅れだ。君達は機会を逸した。」
「は?」
「アァ!! テメエ何言ってんダ!?」
「君達は失敗した、と言っているんだ。」
誰がどう見ても絶望的なこの状況で、一体この男は何を言い出すのか。こちらはLEVEL 9が三体も揃い、対する相手は全員が虫の息。ここまでくれば機会など関係ない。失敗などあり得ない……
「ハッタリカマしてンじゃネエぞ、コノ…」
が、
それ以上は続かなかった。
ガ、タンッ!!
「な、何だ?」
どこからか、重い物体が持ち上げられる音がした。
「あれは……」
「君達は相手をナメすぎた。」
タクトの言葉はハッタリなどではない。
彼らはすぐにそれを思い知ることとなる。
ヴヴヴッ……グアアアアッッ…!!
生き物の咆哮とは到底思えないその唸りは、確かに人が発している声だった。
いや、
人の形をした「何か」が───
「何が起こっている!?」
いくら慄いても意味がない。タクトの言う通り彼らは時間をかけ過ぎたのだ。
ツバサの二度の攻撃であっさりと撃沈されたはずの男、雨宮透は、今、1トンもの質量を片手で支え上げて憎むべき敵と対峙している。
その身を圧し潰す車体を押し退け続けていたことで、彼のカルヌス機関が遂に発動した。瞳は暗い紫色に染まっている。ヒトでも、アンドロイドでもない奇怪な存在は、その瞳の“不完全な赤色”をツバサに向け、
次の瞬間、跳んだ。