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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
キャリーヌ・エルシックは美人ですか?
8/25

しかし、(1)

 彼は納得していなかった。いや、頭では分かっていても、それを認めたくなかったのだ。


 部屋に入った途端、固く口を引き結んだフィリップに出迎えられたマクロルは、今日だったか……とうなだれそうになった。自分も彼の学園行きに口添えをした側ではあるのだが、事前に少しでも心構えが欲しかったと少し恨めしくも思う。フィリップが頑固者であることは、長年家庭教師を勤めてきたマクロルが、一番身に染みて知っているのだ。家庭教師を始めた当初、頑なに自分でお茶を用意しようとするフィリップを説得し、マクロルが用意できるようになるまでにも結構な時間を要したのを思い出す。


「フィリップ君、おはようございます」

「……おはようございます。先生、僕の王立学園行きを勧めたのは何故ですか」


 いきなりこれだ。今日は授業どころではないな、とマクロルは諦めた。真面目に真摯に話さなければ、目の前の少年は納得しない。マクロルは本の詰まった鞄を足元に置き、フィリップの隣の椅子に腰かけた。


「では、今日はその話をしましょうか。私の失敗談です」


 マクロルの前置きに、フィリップは拍子抜けしたような顔を見せた。


「失敗談、ですか?」

「そうです。私が王立学園の生徒だったことは、話したことがありますよね?」

「はい、たしか先生に教わり始めて少し経ったころに……」

「私はここより少し南の田舎の村で育ちました。十二までは、その村にあった小さな学校に通っていました。先生が一人で、生徒が十人にも満たないような本当に小さなところです」


 マクロルは言葉を切り、唇を湿らせた。


「すみません、話が長くなりそうです。お茶をいただいても?」

「あっ、はい! すぐに用意してもらいます。すみません」


 フィリップが慌てて立ち上がり、勉強机とは別の、ティーテーブルの上にある鈴を鳴らした。しばらくの後、フィオナがノックをして現れる。


「ご用は?」

「フィオナさん、僕とマクロル先生に、お茶をお願いします」

「かしこまりました」


 フィオナが軽く腰を折る。結局、フィリップ専用の使用人は適当な人物がいなかったため、フィオナがずっとキャリーヌの使用人と兼任している。が、フィリップはいつまで経ってもフィオナを呼び捨てにはできずにいた。少しかしこまった口を聞いてしまうのも直せないので、フィオナは恐れ多いながらも諦めている。


「お手数かけますね。すみません」


 マクロルがかけた言葉に、フィオナは目礼だけを返す。けれど、いつもとは違ったタイミングでのお茶と、フィリップが執務室に呼ばれていたことから何かを察したのか、その瞳には気遣わしげな色が浮かんでいた。普通よりもほんの数秒長くマクロルと目を合わせ、フィオナは静かに部屋を出ていく。


「さて、話の続きです。ええと……そうです、私が十二まで小さな学校に通っていた話でしたね。自分で言うのも何ですが、私は小さいころから勉強だけはできたんです。だから、その村では十二を過ぎたら働きだす子供も多かったのですが、私はもっと大きな町の学校へ通わせてもらっていました。そこで、私は王立学園への進学をすすめられました」

「王立学園の学費は決して安くありません。私の家に、さすがにそこまでのお金はありませんでした。私は当初、そのすすめを辞退しました。が、進学をすすめてくれた先生は粘り強い人で、給費生制度があるから大丈夫、と仰って熱心に学園の魅力を教えてくれました。給費生になるには特別な試験を受けなければいけないのですが、私なら合格できるだろうと太鼓判を押してくれました」


 フィリップはマクロルのはしばみ色の瞳を見つめていた。いつもは知的な光をたたえ、様々なことを語るその瞳が、今は少し陰って見える。

マクロルは読み書きも出来なかった幼いフィリップに、一から色々なことを教えてくれた。キャリーヌが現れるまで、フィリップの世界のほとんどはこの人に作られていたと言っても良かった。


「猛勉強したかいがあって、私は無事に給費生として王立学園に通う資格を得ました。そして十五から、私は学園の寮へ入り、そこで学び始めました。成績はなるべく上位を維持していないといけないので、特に遊びもせずに勉強ばかりしていました。……今思うと、少しもったいない気もしますね。おかげで、友人と言えるものがほとんど出来なかったのです」


 ふぅ、とマクロルが息をついたタイミングで、扉が叩かれた。フィオナがお茶を持ってきたのだ。フィリップの入室を促す言葉の後に、お茶を乗せたワゴンを押して静かにフィオナが入ってくる。ゆっくりと二人の前にお茶を置いたフィオナは、一礼して入ってきたときと同じように静かに出ていった。

 その後ろ姿を、何とはなしに目で追いつつ、マクロルはお茶に口を付ける。程よい渋みの茶葉はフィリップとマクロルが長年親しんで飲んできたもので、キャリーヌが好んでいるものとは違う種類のものだ。当たり前かもしれないが、そういった部分にも気を使ってくれるフィオナが、マクロルには好ましく思えた。


「王立学園は最大で、二十二歳まで在籍できます。その前に二十歳が区切りとしてありまして、その歳で学園を卒業し働きに出る者もいましたが、私は二十二歳まで目一杯学園で学び続けました。それで、その後学園府属……というか、王立の研究所で働きだしたんです。ほぼ学園での研究の延長のような感じだったので、本当に良い職場でしたよ。人間関係を除けば」

「何か、ダメだったんですか……? 人間関係が」

「学園では卒業するまでに、寮で同室だった人とは友人になれたのですが……その他には全く親しい人がいなくてですね。研究所でも、それは変わらなかったんです。あそこでは、半年に一度成果発表のようなものをしなければいけないんですが、一人も仲の良い人物がいなかったおかげでその時に仕組まれたんです」

「そんな、まさか……研究発表のときに……?」

「そのまさかなんですよ。同じ研究所の、同期、先輩数人がグルで、私の研究成果のデータや、それに関する考察などの書類をまるっと盗まれました。もちろん所長に訴えましたが、そこそこ優秀な研究員数人と私の言葉では、重みが全く違いました。すぐに私は、成果を得られず虚偽の訴えをした不届き者として、研究所を放り出されたんですよ」

「そんな……そんなことって……」


 フィリップはまるで、自分の身に今しがた起こったことのように顔をくしゃくしゃにして呟いた。それを見ながらマクロルはふと、数ヶ月前までは思い出すのも嫌だったこの出来事を楽に話せていた自分に気がつく。目の前で怒りもあらわに唇を噛み締めている少年を見ていると、どうでも良いことのように思えてきたのだ。


「まあ、それで身一つで王都をフラフラしていたら、フィリップ君のお父様に拾っていただきまして。丁度王都に取り引きだか契約の話でいらしていたらしいのですが」

「えっ……そんな感じでマクロル先生が雇われたんですか?」


 一転、拍子抜けした顔でフィリップが言う。


「そうなんですよ。寮を追い出されて、鞄ひとつで途方にくれていたらお父様に話しかけられて、つい先程まで王立研究所の研究員だったと言ったら……すぐに家庭教師の話を頂きました。住む場所も手配して貰えましたし、何よりフィリップ君のような優秀な生徒に教えることができているんですから。本当に幸運ですよ」


 マクロルはフィリップを見つめて、目を細める。これは本心からの言葉だった。家庭教師の話を受けた直後は、困窮していたとは言え優秀な研究員だった自分が一家庭の子供の家庭教師になることに、抵抗を感じていた。何なら、ある程度賃金が貯まったら別の仕事を探そうとすら考えていた。

が、そんな考えはフィリップに会い、対話してからは霧散してしまった。幼くとも慎ましく、賢そうに話すフィリップに感心した。こんな少年が読み書きも出来ないことに、自分が教え導かなくてはという使命感を掻き立てられた。そして何よりも、広い屋敷のすみっこの離れに一人で暮らす少年を放っておけないと思ってしまったのだ。


「すみません、長々と話してしまいましたが、何が言いたかったと言うと、つまり、フィリップ君には人付き合いが少なすぎたり、慣れなかったりするせいで失敗してほしくないんです。学園に行って失敗した私が言っても説得力はないかもしれませんが、君ならあそこに行けばきっと良い友人に出会えると思いますよ」

「僕……でも、この家を出るのが不安で……」

「君のその不安は、離れを出てお屋敷に移ってから生まれたものですよね。キャリーヌ様と出会ってから、君は甘えを覚えてしまった」

「それは確かに、そうですが。僕は別に悪いことだとは思いません」


 少しムッとした顔でフィリップが唇を尖らせる。マクロルがキャリーヌを非難しているように聞こえたのだろうか。屋敷でキャリーヌと暮らすようになってから、彼女が悪く言われることには敏感になっしまったフィリップだった。


「いえ、悪いことだとは私も思っていませんよ。しかし、甘えを自覚しているうちに、自立する努力をするべきだとも、思うのです。学園ではほとんどの生徒が寮に入って生活します。大抵四人部屋で、二年ごとに同室者が変わります。このお屋敷以外の場所で暮らすのは、君にとってきっと糧になると思いますよ」


 しっかりと言い切ったマクロルの瞳を、フィリップはまだどこか不安げに見返した。けれど彼がきっと学園行きを決断することを、マクロルは予測していた。フィリップという少年は生来、負けん気が強い気質なのだ。彼がもっと広い世界に出て、頼もしくなって戻ってくることを、マクロルは信じていた。



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