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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
キャリーヌ・エルシックは不細工ですか?
5/25

そうとは限りません(3)

 キャリーヌは、予想以上に整理のついていなかった自分の心に驚いていた。いきなり泣き出した自分の肩を撫でてくれるフィリップの手は優しい。こんなに優しくて可愛い弟をいじめていた自分が、恥ずかしくて、嫌でたまらない。だから今までの態度を改めて、彼の信頼を取り戻したかったのに、自分は一足飛びに浮かれてしまった。それがまた、恥ずかしくてしょうがなかった。


「キャリーヌは自分のこと、すごく悪いやつだと思ってるのかもしれないけど、それは違うよ」


 フィリップが撫でる手を止めないまま、喋りだす。キャリーヌは嗚咽をこらえるのに必死で、何も返事ができなかったが、彼の目を見つめることで問いかけた。


「本当だよ。少なくとも、僕とマクロル先生はそう思ってる。キャリーヌがしてたっていう嫌がらせも、僕達からすれば大したことじゃなかったし。玄関に虫が置いてあったとき、マクロル先生なんか、立派なミミズですね、って誉めてたくらいだよ」

「うっ、嘘、あのミミズ、気持ち悪く、なか、ったの」


 聞き捨てならないことがあったので、キャリーヌはつっかえつっかえ必死に言葉をしぼり出した。キャリーヌとしては、自分がやられたら最高に嫌なことをしたつもりでいたのだ。


「うん。あのねキャリーヌ、僕の遊び場は小さい頃から離れの周りの庭だけだったんだよ。ミミズなんて怖くないに決まってるよ」

「わ、私……頑張って、葉っぱで、摘まんだの、に」

「ほらもう、そういう所が、悪いやつじゃないんだよ。普通は嫌がらせするのに自分が嫌な思いして頑張ったりしないと思う」


 あきれたようにそう言うフィリップは、少し笑っているようにすら見えた。キャリーヌは収まってきた嗚咽をそのままに、フィリップをじっと見つめた。彼が本気でそんなことを言っているのか、確信が持てなかったのだ。肩を撫でていたフィリップの手に力が入る。


「いい? 僕はキャリーヌのこと嫌なやつだとは思ってないよ。むしろ昨日も今日も、離れに来てくれたことがすごく嬉しい。僕の方がお願いしたいくらいなんだよ。家族になってください、って」

「フィリップ、や、優しすぎるよ……。そんなん、じゃ、悪い人に騙されちゃう……」


 思わずそう呟いたキャリーヌに、フィリップは笑って、頬をつまんできた。全く痛くはない力加減で、けれどこらしめるようにぐいぐいと上下に引っ張られる。明るい緑色の目が優しく緩んでいるのを、キャリーヌは照れくさい気持ちで見ていた。


「……お二人ともこんなところで油を売っていていいのですか」


 呆れたフィオナの声がかかり、キャリーヌがすっとんきょうな声を上げるまで、フィリップは彼女の頬をいじり続けていた。




 ◇ ◇ ◇




 キャリーヌとフィリップは、東館の父親の執務室まで来ていた。

二人の暮らす、エルシック家の屋敷は玄関やパーティールームのある中央をはさみ、西館にキャリーヌや両親の私室や食堂、東館に父親の執務室や書斎、ほとんど使われていない客室などがある。どちらの館も空き部屋はそれなりにあるのだ。なぜフィリップをわざわざ離れに住まわせていたのか、考えれば考えるほど理不尽だと、キャリーヌは幼い頃の両親の取り決めに腹を立てる思いだった。


「フィリップ、いい? 求めるのは西館におけるフィリップの私室と忠誠心のある使用人の獲得、家庭教師の続行、今後の扱いを私と同等にすること、よ。とりあえずは」

「とりあえずは、なの?」

「うん。今後、フィリップ自身が気になることが出てきたら、いくらでも言っていいってこと。叶えられるかは分かんないけど」

「え……そんなの、わがままじゃないかな」

「そんなこと無いよ。ダメなことはダメって言われるし。私は前に、一日二回おやつの時間がほしいって言ったの。昨日フィリップと食べたクッキーを食べる時間と、ケーキとかを食べる時間の二つ。でも、確実に太るからってフィオナに止められたし、お父様にもやめた方がいいって言われちゃった」

「キャリーヌ……それはやめといた方がいいって、僕も思うよ……」

「うるさいなぁ! 分かってるもん」


 自分から言っておいて恥ずかしくなったのか、ぱっと目を反らしてうつむいたキャリーヌの横顔を、フィリップは笑いながら見つめた。丸顔気味のキャリーヌの、ふっくらとした頬に麦わら色のほつれ毛がかかっている。同じ色が良かったなと、フィリップは自分の金色の髪の毛を触りながら思った。

 また脱線していることに気づいたキャリーヌが、口の動きだけで準備はいい? と聞いてくるのに、フィリップは神妙な顔で頷きかえす。キャリーヌは眉間に力をいれ、意を決して目の前のドアをノックした。


「お父様、キャリーヌです。お話があって参りました」

「キャリーヌか。入りなさい」


 返ってきた父親の声に、二人は顔を見合わせて頷く。キャリーヌの柔らかな手のひらが、するりとフィリップの手のひらに入り込んできた。少し驚いたフィリップは、けれどすぐに自分より小さなその手を握り返す。

 扉を開けて中に入ると、正面のどっしりとした執務机に座り、何やら書類に目を通していた二人の父親が顔を上げた。


「おや……。フィリップも一緒に何の用だい?」


 キャリーヌがフィリップと手をつないでいるのを見て驚いた顔をした父親が、掛けていた眼鏡を外しながら言う。フィリップは隣で、キャリーヌが生唾を飲み込む音を聞いた。


「フィリップの住居を、庭の奥の離れから西館に移してほしいんです。それに、私と同じように専属の使用人もつけていただきたいです。なるべく、主人に忠実な者を」

「いきなり来たと思えば。何故急にそんなことを?」

「一昨日の夜、お父様はフィリップを正式に息子としてお披露目なさいました。つまり彼も私と同じ、エルシック家の人間です。それなのに、彼だけ庭の奥の離れに追いやられ、この家の長男としてあるまじき不当な扱いを受けています。今すぐ、状況を改善するべきです」


 キャリーヌが熱心に弁舌をふるうのを、フィリップは黙って聞いていた。今さらながら緊張していたのだ。フィリップは月に数度離れを訪れ、お土産としてお菓子をくれる父親しか知らなかった。あの誕生日パーティーの晩だって、何人かの見知らぬ使用人が離れを訪れてフィリップに服を着せ、髪を整え、そのままパーティールームへ連れ出されただけだったのだ。仕事をしている父親を前に、パーティーの晩と同じくらい緊張しても、仕方のないことだった。


「しかしキャリーヌ、お前はフィリップのことを嫌っていたんじゃないのか? どういう心境の変化だい?」


 予測していなかった父親の問いに、キャリーヌは顔を真っ赤にした。もしかして父親は、キャリーヌがフィリップにしていた嫌がらせの数々を知っていたのだろうか。知っていてパーティーの晩に『仲良くしてやってくれ』と言われたのだと考えると、腹立たしさと恥ずかしさで、キャリーヌは唇をわななかせずにはいられなかった。

フィリップは父親の言葉を否定したかったが、咄嗟にうまい言葉は出てこなかった。ただ、キャリーヌの手をぐっと握る。


「確かにそうです。……でも、私はそれが間違いだと気づきました。今後お父様やお母様が何と言おうと、私はフィリップに家族として接していきたいんです」


 フィリップはキャリーヌがまた泣き出してしまうのではないかと心配したが、彼女はフィリップの手を握り返すと、しっかりと言葉を返した。父親は椅子に深く腰掛け直すと、顎に手を当てて考えるような仕草をする。キャリーヌとフィリップがどきどきしながら返事を待っていると、しばらくして「いいだろう」という答えが返ってきた。


「アルベルト」

「はい」


 執務机の隣に控えていた、秘書兼従者の男が返事をした。それまで父親以外の人物がいることに気づいていなかったキャリーヌとフィリップは少し驚いた。


「西館のキャリーヌの部屋の側に、使っていない部屋はあるか」

「はい。三部屋ございますが」

「全てフィリップの私室として割り当てよう。使用人は……今は適当な者がいないな。見つかるまでは、フィオナにお願いしようか。キャリーヌ、フィリップ、彼女が優秀だからといって面倒をかけすぎてはいけないよ」

「はい、お父様。ありがとうございます」

「……ありがとう、ございます」



 その日、すぐに手の空いている使用人たちに指示を出したアルベルトのおかげで、フィリップの部屋の内装はキャリーヌのものとほぼ遜色ない程度に整った。細かい調度品などはこれから揃えていけばよいだろう。キャリーヌは早くもフィリップと買い物に出かけたくて、うずうずしていた。

 夜、希望通り食堂でフィリップと一緒に夕食を取ったキャリーヌは、就寝前のひとときをフィリップの部屋で過ごしていた。キャリーヌの部屋とあまり作りは変わらない、寝室の隣の談話室のような部屋だ。 ゆったりとした一人がけのソファのひじ掛けの片側に頬杖をついて、キャリーヌは毎日つけているという日記を書いているフィリップを眺めていた。柔らかく広がる蝋燭の灯りが、フィリップの伏せた金色のまつげにあたり、優しく光っていた。まろい頬にまるで絵画のような陰影がついているのを、眠たげな眼差しで見つめる。


「……フィリップ」

「なに、キャリーヌ」

「これから私たちは、本当の家族だよね」

「うん。僕はもう、そのつもりだったよ」

「……うちの仕事。大きくできるかは分からないけど、二人で頑張っていこうね。私、出来る限り協力するから」

「……うん。僕これからも、勉強頑張る。だから、キャリーヌはクッキー持ってお茶しに来てね」

「行く。……毎日行く。私たちこれから、幸せになろうね……」


 キャリーヌの頭が重たそうにひじ掛けの腕の上へ落ちてゆく。ふわふわの麦わら色の髪が静かに広がった。フィリップは書いていたページの最後に、『姉はとても一生懸命で、食いしん坊で、可愛らしい人だった。』と書き足して日記を閉じた。




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