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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
もう一度、キャリーヌ・エルシックは幸せですか?
23/25

キャリーヌ・エルシックは、

 今度のキャリーヌは、立ち直りが早かった。ひとまず自分だけが悪いのではないと思うことにしたのだ。

 ジダンは、目を覚ました翌日には、ベッドから出られるようになった。庭を散歩したりしているようだったが、キャリーヌはほとんど顔を合わせなかった。防具店での仕事が再開したからだ。

 キャリーヌが屋敷に帰ってくるのは遅く、夕食をとる時間もずれていた。そしてキャリーヌの方には、彼から逃げたいという気持ちが、少なからずあった。

 話し合うことはまだできていない。話し合いたいが、この滞在中では無理だ、とキャリーヌは思っていた。


「……あいつは、まだお前の家にいるのか」


 ルーカスから話しかけられて、キャリーヌは意識を戻した。防具店の営業は再開して二日目だが、実は遺跡はまだ開放されていない。なので、遺跡に入ることを生業としている客はほとんど来ていなかった。


「……ジダンのこと? 彼なら、まだ私の家に滞在しているわ」


 なに食わぬ顔を装ってキャリーヌが答えると、ルーカスはあからさまに顔をしかめてため息をついた。


「いつまでいるんだよ。遺跡で怪我したっつっても、もう治ってんじゃねぇのか?」

「そうね、怪我はもうほとんどいいみたい……。正式にはお父様の客人として来ているから、いつまでかは分からないわ。学園もあるでしょうし、そろそろだとは思うのだけれど」


 ルーカスは、淡々と答えるキャリーヌに、またため息が出そうになるのをこらえた。

 キャリーヌのような、素直で経験のない女の子が傷つくところを見るのはごめんだ、とルーカスは思っていた。だから、ジダンが調査探索隊に入りたいと言ってきたときに断ったのだ。自分が取りなすことは多少なりともできた。それをしなかったのは、これ以上、ジダンとキャリーヌの接点を増やすのは良くないと感じたからだ。

 それなのにあの父親は台無しにしやがって──と、ルーカスは自分の雇い主でありキャリーヌの父親でもあるエルシック家の当主を、恨めしく思うのだった。


「お前、あいつに何か──」


 ちょっかい出されてないよな、とルーカスが聞きかけたときだった。店のドアベルがカランと音を立て、扉が少し開いた。誰かがするりと、店内へ身を滑り込ませる。


「いらっしゃいませ!」


 キャリーヌは一瞬で店員の顔になり、入り口へ体を向け、そして固まった。


「……キャリーヌ。久しぶり」


 店に入ってきたのはジダンだった。まとめた荷物を左の肩にかけ、シャツの首もとには包帯が覗いている。


「ジダン……」

「泊まらせてもらってるのに、久しぶりって言うのも変だな。今日でお暇することになったから。帰る前にキャリーヌの顔が見たくて」


 ジダンは目を伏せたまま喋った。前髪が目元にかかって、余計に表情を分かりづらくしている。でもキャリーヌは、今日こそ何かを読み取れるような気がした。ジダンが何を考えているのか、何を伝えようとしているのか。もっと知りたくて、キャリーヌは自然と彼に近づいた。


「おいっ……」


 ルーカスはふらふらと動いたキャリーヌを止めようとしたが、無駄だった。ジダンが近づいたキャリーヌの手首をつかんで引き寄せる。キャリーヌはまるで抵抗なく引き寄せられ、彼の顔を下から覗きこんだ。


「あの日は……本当にごめん。ひどいことを言って」

「いいえ……いいえ、私もカッとなってしまって……ごめんなさい」

「キャリーヌが謝ることないよ。俺、やっと分かったんだ。今までずっとひどいやつでごめん……キャリーヌ」


 ジダンが微笑んだ。手首をつかんでいたはずが、彼はいつの間にかキャリーヌの手を握っている。

 ジダンと目を見合わせて、キャリーヌはそこに、信じられないものを見た。と思ったら、ジダンの顔が近づいてきた。顔の近さに耐えられなくなって、キャリーヌはぎゅっと目を瞑る。

 唇の、ほんの少しだけ右側、まだぎりぎり頬と言えるところに口付けて、ジダンは顔を離した。驚きに目を開けると、ジダンはキャリーヌを真っ直ぐに見つめていた。


「また、会いに来るよ、キャリーヌ。絶対だ」


 そう言ってまた微笑むと、彼は入ってきたときと同じくらい、するりと店を出ていった。




 ◇ ◇ ◇




 ──わたしの口が、もう少し右についていたら。あれは唇へのキスになっていた。キャリーヌはさくさくと帰路を急ぎながら、そんなことを考えていた。

 フィオナは横で、そんなキャリーヌを少し気にしながら歩いている。屋敷を出たジダンが防具店に寄っていたことを、ついさっき聞いたのだ。ジダンが何を話し、何をしたのかまでは、ルーカスは教えてくれなかった。傷つけられて泣き出しそうには見えないものの、フィオナはまだまだキャリーヌのことが心配だった。

 夕食の席でも、キャリーヌは言葉少なだった。わざと食事の時間をキャリーヌに合わせた父親が、彼女を気にして話しかけるのに対し、キャリーヌの反応はひたすら薄い。ただ、食事は元気な頃と変わらぬ量を食べたので、父親もフィオナも、そこには安心したのだった。

 果たしてキャリーヌが実感に至ったのは、食事も身づくろいも済ませてベッドに潜り込んでからだった。


(ジダン……そうだ、ジダンってば、信じられない顔をしていた)


 キャリーヌはごろんと寝返りを打って膝を抱えた。抱え込んでいないと、体が動き出しそうな気がしたのだ。

 キスのことばかり考えていたけれど、キャリーヌはそれよりも衝撃的だったものを思い出した。もし、キャリーヌの見間違いでなければ。ジダンは、キャリーヌが何度も鏡の中に見てきた顔をしていた。

 恋する人間の顔だ。


(嘘だ、それって……そんなことって)


 キャリーヌは思わず頬をつねった。当たり前に痛みを感じる。両手で頬を覆うと、火照ったように温かかった。ここ最近はご無沙汰だった、甘く切ない痛みがキャリーヌの胸をしめつける。この、ぎゅうっとなるような痛みを、ジダンも感じているのだろうか。

 信じられないような気がする。けれど、ジダンは、確かにキャリーヌに恋する顔をしていたのだ。彼は店を出ていく前に、キャリーヌに会いに来ると言った。今まで散々防具店を訪れていながら、一度も言われなかった言葉だ。

 次に会うときに、自分たちの関係はきっと変わってしまう。早くそのときが来てほしいような、まだ来てほしくないような、曖昧な期待があった。それは今までの、翻弄されて疲労し、すり減っていくものではない、幸福な期待だった。




 ◇ ◇ ◇




  キャリーヌへ

 僕は怒っています。キャリーヌが何も話してくれなかったことに対しても、自分が何も気づけなかったことに対してもです。家を出て広い世界を知ったつもりでいた僕ですが、全く成長していなかったみたいです。僕は友人よりも家族の方が、キャリーヌの方が大事だ。キャリーヌが辛いなら今すぐにでも家に帰ります。不届き者については、何発か殴っておいたのでとりあえずは大丈夫です。

  フィリップより



  親愛なる弟ぎみ、フィリップへ

 フィリップ! あなたの思いは痛いほど伝わりました、本当にありがとう。部屋に閉じ込もって泣きわめいたりもしたけれど、私はもうすっかり立ち直りました。本当よ。

 あなたは成長しているわ。昔より、心も体も随分大きくなった。私を大事にしてくれるのはうれしいけど、心許せる友人のかけがえのなさを知っているあなたで居てほしい。私とジダンのことは心配しないで。彼と私の間に何かあっても、あなたと彼の友情は変わりないものであってほしいの。……無茶なお願いかしら。

 ともかく私はすっかり元気だから、そんなに心配しないでね。私はこの屋敷から、あなたのことを思っているわ。離れていても、私たちは家族。そう自然と思えることが本当にうれしい。では、体に気を付けて過ごしてね。

  たくさんのキスをこめて、キャリーヌ

 追伸 不届き者を殴ったって……あなた、根っからの非暴力主義者だと思っていたのに! 暴力は反対よ。



  キャリーヌへ

 こんにちは。前回の手紙は、頭に血が上ったまま書いてしまったと思います。ごめんね。腹が立って仕方がなかったのだけど、ジダンには殴ったことを詫びました。普通に許してもらえたよ。『もっと殴られた方が良かったかも』とまで言っていた。反省しているみたいなのは分かったから、もう突っかかるのは止めようと思います。キャリーヌ、ありがとう。

 君がどういう選択をしても、余程のことがない限りは、僕は反対しません。けれど、相談とか愚痴とかはもっと聞くからね。キャリーヌはもっと人に寄りかかることも覚えてください。では、また近いうちに帰れるといいな。

  君の弟、フィリップより




 ◇ ◇ ◇




「はあ……」


 もう何度目かと思うくらい読んだ手紙を握りしめて、キャリーヌはため息をついた。フィリップからの手紙に、ジダンのことはほぼ書かれていない。あれから一ヶ月経つのに音沙汰のないジダンが何をしているのか、キャリーヌは分からないままだった。


「また読んでんのか、その手紙」


 休憩に入ってきたルーカスが呆れた声で言う。返事を書くために持ってきているつもりが、一言も書きだせないまま読むだけになっているのだ。


「ううん、何を書くか悩むのよう……」


 キャリーヌは頬杖をついたまま唸った。初めこそジダンには触れず、当たり障りのないことを書くつもりだった。それが、当のジダンから何の連絡も無いものだから、気になって気になって、近況を聞きたくなってしまってからが悩みの始まりだった。

 ジダンのことを書こうか書くまいか、迷っているうちに何日も経ってしまったのだ。


「余計なお世話だとは思うけどよ」

「なぁに?」

「あいつじゃなくても……お前を大事に思ってるやつはいると思うぞ」


 キャリーヌは少し驚いて、頬杖を外してルーカスを見た。一ヶ月前、店に来たジダンにキスされたところも見ていたのに、ルーカスが彼について何か言うのは初めてだった。


「あいつは少し気まま過ぎるんじゃないか。お前があいつに振り回されるところは、もう見たくない」


 ルーカスは真面目な顔をしていた。いつも気難しそうにしている彼だったが、キャリーヌのことを思って言っている、心からの言葉だと分かる。心配をかけていることには申し訳なさを感じるが、それでもキャリーヌは、ジダンを好きな気持ちを止められる気がしなかった。


「大体会いに来ると言いながら、さっぱり来ないじゃないか。前は用事もないくせして、あんなに来ていたのに……。お前と一緒にやきもきし続けるのはごめんだぞ」

「……そうだわ」


 けれどキャリーヌは、その言葉で思い付いた。座っていた椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がる。ふいに視界がはっきりしたように感じた。


「私が、ジダンに会いに行けばいいんだわ!」

「はあ? 何でそうなる!」

「会いに来るって言われたから待っているだけなんて、私は馬鹿だったわ。私から聞きに行くのよ。私のこと、どう思っているの、って」

「はあ……まあ、良いけどよ」


 ルーカスは呆れた声音のままため息をつき、茶を飲み始めた。キャリーヌを止めるのは諦めたようだった。キャリーヌはにっこり笑って、椅子に座り直す。一ヶ月悶々としていたのが嘘のように、晴れ晴れとした気分だった。






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