……あれ?(1)
始まりは、単なる物珍しさだった。おしゃべりをする間もボードゲームをする間も、こちらへの好意を隠しもしない態度が、珍しく感じられただけだった。王都ではお目にかかれない素直さ、悪く言ってしまえば垢抜けない、素朴な振る舞い。
しかしその程度の興味で手を出す相手に、親友の姉という存在は全く適していない。今まで適度に遊んできたジダンには、よく分かっていたことだ。それがよく分からなくなってしまったのは──一体いつからだろうか?
◇ ◇ ◇
学園に入学して以来の友人であるフィリップ・エルシックに、姉がいることを知ったのは彼と知り合ってすぐのことだった。フィリップは、ジダンと同じく学園が始まる前から入寮していた同室者だ。残りの同室者たちが入ってくるまでの約一ヶ月、ジダンとフィリップは二人きりで共同生活を送っていた。
その間、フィリップはそれなりの頻度で誰かと手紙をやり取りしていたのだ。初めこそ故郷に残してきた恋人かとからかったものだが、フィリップは照れることなく手紙の相手は姉だと教えてくれた。
なるほど顔が整っている割りに女っ気無さそうなのは、この年でも姉にべったりだからか……と、それを知った頃のジダンは思ったものである。
女の子と遊んだことが全く無さそうなフィリップとは対照的に、ジダンは学園内外で、遊びでしか女の子と付き合わない姿勢を明確にしていた。
軽い付き合いが好きだったし、駆け引きは本気になってしまうと疲れてしまう。だから、自分と同じような遊び方をする女の子ばかりを選んで付き合ってきた。周りが何と言おうと、その気もないのに女の子を泣かせる趣味はなかったのだ。
それなのに幾度か、遊んだ女の子にその姿勢を詰られたり、泣かれたりもした。ジダンが全く取り合わないために飛び火したフィリップには何度か迷惑そうにされたが、ジダンにしてみれば一線を越えてきたのは向こうであり、迷惑なのは自分も同じ、なのだった。
──そういうわけだったので。ジダンは自分がおかしいことに気づいていても、どうすればいいのか全く分からなかった。王都で女の子と遊んでいるときには、あれほどすんなりと出てきた甘い言葉が、キャリーヌを前にすると出てこなくなってしまう。
そもそもキャリーヌのような、遊びで人と付き合えなさそうな女の子に手を出すのは、ジダンの中ではルール違反だったはずだ。けれど今の彼は、キャリーヌが気になって、引き下がれなくなっていた。
◇ ◇ ◇
ジダンはキャリーヌたちの故郷へ向かう馬車の中で、景色の流れていく車窓を眺めていた。乗り合い馬車には、途中から乗り込んできた女の子が二人いた。一年前の自分なら、話しかけて仲良くなっていたかもしれない。けれど今は知らない女の子から視線を送られても、笑いかける気すら起きなかった。
どこでおかしくなってしまったのかは、さしたる問題ではないのかもしれない。けれどジダンは、自分が平静を保てなくなったのがいつからなのかを、頻繁に考えていた。──そればかり考えることで、問題から目を背けようとしていたのかもしれない。
ジダンが初めてキャリーヌに会ったのは、長期休暇の際にフィリップの実家についていった時だ。特に連絡もせずに会いに行ったキャリーヌは実家が経営しているという防具店で、店員として元気に働いていた。
やたらと顔の整ったフィリップの姉だというのだから、さぞかし美人なのだろうと思っていた。そうしたら、実際のキャリーヌは愛嬌はあれどお世辞にも美人とは言えない女の子だったので、少し驚いたのをジダンは覚えている。
彼女たち姉弟が似ていない理由を初めて聞いたのも、この滞在のときだった。滞在二日目の夜、ジダンがこっそり持ってきた果実酒を、フィリップが屋敷の厨房からくすねてきた辛い腸詰めでちびちびやっているときのことだ。(ジダンは蒸留酒の方が好きだが、フィリップは甘みのある果実酒じゃないと飲めないというので妥協してやっている)
酒が回り、顔をほんのり赤くしたフィリップは重々しく口を開いた。「君に、まだ言っていないことがあるんだ」と。キャリーヌと自分は異母姉弟であり、自分は愛人が生み、この家に捨てるように置いていかれた不義の子なのだ、と、まるで重大な罪を告白するように恐々と打ち明けてきた。そんなフィリップの背を、ジダンは思いきり叩いたものだ。なんでもっと早く言わなかったんだ、と言いながら。フィリップが珍しく、気弱そうな表情になって「自分が生まれてはいけない存在だったと思われるのが怖くて、言えなかった」などと抜かしたので、ジダンはもう一度、先程よりも力を込めて背を叩いたのだ。
キャリーヌを見ていれば、フィリップがとても大事にされていて、愛されていることがよく分かる。フィリップのそんな不安は全くの杞憂だし、今もそんなことを思っていると分かったらキャリーヌは悲しむんじゃないか……とまでは言わなかったが、ともかくそれに近いことは言って彼を励ましたのだった。その晩は酒によって感傷的になっていたのだろう、翌朝のフィリップはどことなく気恥ずかしそうだった。
ともかく、初めて会ったときは何ともなかったはずだ。キャリーヌをいい娘だとは思っても、彼女相手に遊ぶなんて考えられなかったし、物珍しさを感じこそすれ、特別惹かれたわけではなかった。
次にキャリーヌに会ったのは、彼女が王都に出張に来たときのことだ。遊んだのはたったの半日で、雑貨屋や菓子屋など、いかにも女の子が好みそうな店を周り、喫茶室に入りお茶をしただけだ。
しかし、このときのキャリーヌに、ジダンはどことなく違った印象を持った。この日のキャリーヌは、ジダンとあまり目を合わせようとしなかった。笑い声をあげても、すぐに口をつぐみ、控えめに笑みを浮かべるだけになってしまう。前に会ったときから何ら態度を変えたつもりはないジダンは、キャリーヌの様子に引っ掛かりを覚えたのだ。
(……ああ、ここからだったのかもな)
自分がおかしくなってしまったときに思い至って、ジダンはため息をついた。王都で遊んだときから一年、何度も顔を合わせているにも関わらず、キャリーヌとジダンの関係はずっと停滞している。きっとこのときから、おかしくなったのだ。
ジダンはもう痺れを切らしてしまった。自分の抱えている思いが何なのか、初めて会ったときに感じられたキャリーヌの好意はどうなってしまったのか。それを確かめたくて、強引な手段に出たのだ。
フィリップは、キャリーヌとジダンの間に横たわる微妙なぎこちなさに気がついているのだろう。ジダンが屋敷に滞在し、遺跡の新階層探索に加わることを知った彼は、しっかりと釘を刺してきた。「キャリーヌを徒に泣かせたら許さない」と、はっきり言われてしまった以上、ジダンもおどけることなく約束したのだ。彼女ときちんと向き合って、結論を出すことを。
◇ ◇ ◇
しかし、日の落ちる頃にキャリーヌたちの屋敷へ着いたジダンを待っていたのは、肩透かしをくらったような現実だった。
「申し訳ないね。キャリーヌは一昨日から体調を崩していて、人と顔を合わせられる状況じゃないんだ。私一人の出迎えで不満だろうが……」
「いえ、とんでもないです。この度は私の我が儘を聞いていただいて、ありがとうございます。キャリーヌには、彼女の具合がいいときにでもお見舞いの言葉をお伝えいただけますか」
屋敷の玄関ホールには、エルシック社の社長で当主のキャリーヌの父親と彼の秘書がいるのみで、キャリーヌはいなかった。夕食の席にもキャリーヌはおらず、彼女付きの使用人であるフィオナも、一度もジダンの前には姿を見せなかった。
彼女に避けられているのか、それとも本当に具合が悪いのか。
「半分半分ってところか……」
夜、案内された客室のベッドの上でジダンは独りごちた。寝る前に持参した装備の確認と手入れをしていたが、あまり身が入らない。そもそも、新階層の調査探索とキャリーヌとの関係をはっきりさせることの両方を、この滞在でこなすのは無茶だったのではないか。ジダンはそんな気すらしてくる。
明日は遺跡の新階層探索隊に選出された者たちとの顔合わせと打ち合わせがあり、その翌日はもう新階層に入ることになっている。恐ろしいことに、ジダンはさっぱり集中できる気がしなかった。
はたして、嫌な予感とは当たるものなのだろう。普段のジダンは、遺跡に入るときに余計な考え事で気を散らすことなど無い。熟練した者ほど、集中を途切らせることをしない。一瞬の油断が命取りになることを、身をもって知っているからだ。
ジダンもそれを分かっているはずだった。ただ、彼は遺跡の新階層へ向かう朝も、キャリーヌが姿を見せなかったことばかりを考えていた。自分はもう遅かったのだろうか? 彼女の気持ちは、完全に無くなってしまったのだろうか? などと、そんなことばかりを考えていたのだ。
遺跡の仕組みにおける常識として、階層が変わった始めには必ず罠がある、というものがある。探索家ならば真っ先に教わることであり、初心者のうちは、階層をひとつ抜けたことに安堵してしまい、中々警戒しきれずに怪我を負うことが多い。
その瞬間のジダンは、まるで初心者のようだった。調査探索隊の仲間が警告の叫びを上げたときには、もう遅かった。
石造りの壁が一部がへこみ、数本の矢のようなものが飛んでくる。かわしきれずに矢のようなものを腕と首に受けたジダンは、倒れ込んで意識を失ったのだった。




