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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
キャリーヌ・エルシックは不細工ですか?
2/25

いいえ、

「どういうことなの! 今さらあんな子を引っ張り出してきて!」


 最後の客を見送った後、玄関ホールに響いた母親の声に、キャリーヌは思わず肩をすくめた。


「どうもこうも、いずれは正式に息子とするつもりで引き取ったんだ。あなたも分かっていただろう」

「そんな……そんなことはっきりと仰らなかったでしょう。キャリーヌはどうなさるおつもりなの? あの子だって、あなたの子供なのよ!」

「もちろん私の子だよ。いいからこれ以上は私の部屋で話そう」


 父親はふぅ、と息を吐くとキャリーヌを呼び寄せた。パタパタと駆け寄り、緊張した面持ちで自分の言葉を待つキャリーヌに、頭を撫でながら声をかける。


「遅くまで起きていて疲れただろう。今日はゆっくり休みなさい。明日から、フィリップと仲良くしてやってくれ」

「はい、お父様。お休みなさい」


 キャリーヌは父親の頬に挨拶のキスをして、キスを返してもらうと、母親に向き直った。目の縁を赤くして、いかにもイライラしている母親の手を引っ張り、身を屈めてもらう。


「お母様も、お休みなさい」

「……早く行きなさい」


 母親はキスを返してくれなかった。それが少し寂しかったキャリーヌだったが、今夜はそれよりも気になる事がある。気にせずにすぐ自分の部屋へ向かう振りをして、キャリーヌは玄関ホールから離れた人目のない廊下で立ち止まった。少し後から、小さな足音が近づいてくるのを聞いて、勢いよく振り返る。思った通り、振り返った先には驚いた顔のフィリップがいた。


「ねえっ! あなた、本当にフィリップなの?」


 声をひそめて言い寄ってきたキャリーヌに、フィリップは元々大きな目をますます丸くした。


「はい、ぼく、フィリップですけど……」

「本当に? 奥の離れに住んでるの?」

「うん……」

「ああ!」


 キャリーヌは思わず、フィリップの華奢な体を抱きしめた。キャリーヌよりも背が低いフィリップは、キャリーヌの首もとに顔を埋めることになる。フィリップはいよいよ動転してきたようで、あの、とかその、などと戸惑う声を上げた。


「ごめんなさい! 私、わたし……あなたがこんなに可愛いって知らなくて! いえ、可愛くなかったら良いのかとか、そういう訳じゃないんだけど……」

「あの、放して、くだはい……」

「あっ、ごめんね」


 フィリップは抱きしめられている間息を止めていたようで、ぷはっと息を吐いた。


「……ごめんね。私、あなたに嫌がらせしてたの」

「嫌がらせ?」


 フィリップがきょとんとした顔でキャリーヌを見る。先程までの高揚感が落ち着いて、少し冷静になったキャリーヌは、今更ながら恥ずかしくなった。


「私、離れの窓を割ったことあるし……離れの玄関に、石と虫をばらまいたこともある。フィリップが悪くて、汚い子だって聞いてたから……。いじめてもいいだろうって、思ってたの」

「そうなんですか」

「……うん。本当にごめんなさい。今すぐじゃなくてもその内、私のこと許してやってもいいかな、って思ったら、一緒に遊んでくれる? お屋敷の中には大人しかいないから、いつもつまんなかったの」

「え……いいですよ」

「本当に!?」


 キャリーヌは再びぎゅっとフィリップを抱き締める。こんなに可愛い子が、自分と遊んでくれると言っている! しょうもない嫌がらせをしていた自分と!


「あの、苦しいですって、姉様」

「あ、また……ごめん。それと、姉様なんて堅苦しい呼び方しなくていいよ。私達、半年しか歳が違わないのでしょう? キャリーヌって呼んで」

「でも……怒られます」

「怒られるって、誰に?」


 フィリップは目を伏せて口ごもる。そのいかにも言いづらそうな様子に、聞かなくても分かることだった、とキャリーヌは少し反省した。


「私のお母様と、その周りの使用人達ね」


 フィリップは何も言わなかったが、見つめ返す目にキャリーヌは自分の推測が間違っていないことを確信した。


「じゃあ、私と二人きりで、周りに人がいないときだけ、キャリーヌって呼んで。ほら、今とか」


 フィリップが困ったように眉毛を下げる。その表情もとびきり可愛いと思いながら、キャリーヌはほら、と催促する。


「キャリーヌ……ねえ、さま」

「あっ! 呼び捨てって言ったのに」

「キャリーヌ……?」

「そう!」


 キャリーヌは三度フィリップを抱きしめそうになって思いとどまり、二の腕をぎゅっと掴むに留まった。


「そろそろ部屋に戻らなきゃね。フィリップ、明日はずっと離れにいる?」

「えっと……午後二時までは家庭教師の先生と勉強の予定、です」

「その敬語も、そのうち無くしてね。じゃ、明日はお茶の時間にお邪魔するわ。また明日、お休みなさい!」


 キャリーヌは勢いよくフィリップの頬にキスすると、じゃあね! と言いながら小走りで去っていった。特に嫌がらせのことを許すとも言われていないのに、自分の発言を忘れてもう明日には遊びに行く気満々だった。


 嵐のように去っていった異母姉の後ろ姿を見つめながら、フィリップはキスされた頬にそっと触れる。父親以外の誰かにキスをされたのは、初めてだった。興奮で目を輝かせながら、自分を可愛いと言ったキャリーヌ。誰かにあんなに激しく抱きつかれたのも、初めてだった。本当に明日、お茶をしに来るのだろうか。

 たまに会いに来る父親と、外の世界の話をしてくれる家庭教師との時間以外は味気なかった生活が、変わるのかもしれない。フィリップは少しの期待を持って、ほんのり熱を持った頬を撫でた。



 ◇ ◇ ◇



 時刻は午後二時半。フィリップの勉強はもう終わっている頃だろう。キャリーヌは三十分前から全く読み進めていなかった本を閉じて、机の上に置いた。


「フィオナ! お菓子を用意して、フィリップの所へ行きましょう!」

「キャリーヌ様、少し落ち着いてくださいな。ずっとそわそわしてばかり、お母様に見つかったら叱られますよ」

「お母様ならきっと、昨日の夜の言い争いから不貞腐れて実家に帰っているんじゃない? そのくらいは私だってお見通しよ」


 フィオナはため息をついた。確かにキャリーヌのいう通り、彼女の母親は昨日の誕生日パーティー兼フィリップのお披露目会の後、夫と言い争い、深夜に屋敷を出ていった。実家には自分を溺愛している兄と両親がいるので、キャリーヌの母親は嫌なことがあるとすぐ実家に帰るのだ。


「私のお気に入りのクッキー、丸々一缶残っていたわよね? 今日はあれを持っていきましょう。そのうち生菓子も用意したいわ。フィリップはどんなケーキが好きかしら!」

「キャリーヌ様ったら……。今まで離れに近寄りもしなかったのに、一体どうしたんですか」


 フィオナはクッキーの缶を適当なハンカチで包む手を止めないまま問いかける。キャリーヌがにやにやとした、少し下品な顔になったことに、彼女は気づかなかった。


「そう、私は今までフィリップに会ったことがなかった。それどころか、お母様から嘘にも程がある弟の情報を聞いて、嫌がらせしてたわ。だから昨日まで知らなかったの……弟が、フィリップが、あーんなに可愛い子だって!」


 喜色溢れる声を聞いただけで、フィオナは些かげんなりした。昨日もパーティーで驚いていたが、この子はこんなに面食いだっただろうか。うふふふーと頬を両手で挟んで身を捻っているキャリーヌを白い目で見る。


「それに、お父様がフィリップを正式にお披露目したってことは、うちの事業を継ぐのは暫定的にフィリップになるってことでしょう。母親が違うってだけで、二人きりの姉弟なのに仲が悪いのはバカらしいと思うの」

「キャリーヌ様……」


 かと思えば真面目なことを言い出すキャリーヌに、フィオナはどんな顔をすればいいのか分からなくなる。キャリーヌの言うことは、間違ってはいないのだろう。母親は駄々をこねてばかりだと言うのに、この子はちゃんと割り切って、弟と仲良くしようとしているのだ。フィオナは胸がじんと痛むのを感じた。お金や家の大きさには恵まれていても、家族や親の愛に恵まれていない子どもを、フィオナは何度か見てきた。


「小さい頃からお母様を傍で見ていて、最近やっと、ああはなりたくないなーって思い始めたの。お母様に似て顔が可愛くないんだから、せめて性格だけは良くありたいもの」

「……そうですね。お二人の仲が良ければ、私たち使用人も嬉しいです」


 スンとすました顔でそう言ったキャリーヌを見ながら、キャリーヌとフィリップが本当に仲の良い姉弟になればいい、と願わずにはいられなかったフィオナだった。



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