はい、
穏やかな風が吹いている。暖かい日の差す初夏の庭で、キャリーヌとリラは午後のお茶を楽しんでいた。リラはこうした時間を取れるのが久しぶりらしく、ハンカチをこれでもかと持ち込み、真剣な顔で刺繍を刺していた。キャリーヌにとっては目と指先が疲れるだけの作業も、リラにとっては息抜きになるのだとか。
リラは最近綺麗になった、と彼女の横顔を見ながらキャリーヌは思う。送られている視線に気づかずに手元を見つめる彼女は、自分の美しさには無頓着そうだ。普段の話しぶりからも、自分よりも二人の妹と母親を大事にしていることがよく伝わってくる。
「リラ、最近恋人でもできたの?」
「……えっ?」
何となくこぼした言葉に、リラは驚いた顔をして答えた。先ほどまで白く落ち着いていた頬に、ほのかな赤みが差している。ぱちぱちと瞬きをして、二の句を告げられない彼女を目の前にして、予想外の反応にキャリーヌも驚いた。
「えっまさか本当に!? 当てずっぽうで聞いたのに!」
「当てずっぽうでそんなこと聞かないでちょうだい! あああもう……」
「ね、ね、本当なの? 恋人ができたのね? いるのね?」
前のめりになったキャリーヌの問いに、しばらく目線をさ迷わせた後、リラはこくんと頷いた。強ばった首の筋まで赤くなっている彼女が可愛くて、何故教えてくれなかったのかと飛び出しかけたキャリーヌの不満は飲み込まれた。なるほど、人は恋をすると綺麗になる、というのは本当だったのだ。
「そうだったのね……。こういうのも変かもしれないけれど、私もうれしい。おめでとう」
「……ありがとう、キャリーヌ」
「どんな方なのか、聞いても?」
「う……」
リラはまた視線をうろうろさせた。今度は照れているだけではなく、どことなく迷っている様に見える。どう話そうか、どこまで話そうか……急に聞いてしまった自分を、キャリーヌは少し恥じた。そして、彼女を困らせたいわけではないキャリーヌは、無理には聞かないわ、と慌ててつけ足した。リラはもう一度こくんと頷くと、視線を手元に戻しながら口を開いた。
「キャリーヌは、誰かいい人はいないの?」
今度はキャリーヌが肩を強ばらせる番だった。頬と耳が熱くなる。
「……いないわ」
「まっ、嘘でしょう。キャリーヌは本当に誤魔化すのが下手くそね」
「本当よ。……前に、リラにも話したでしょう」
「あら、もしかしてあの……休暇でこちらに来ていたっていう?」
キャリーヌは頬が赤くなるのを止められないまま、無言で頷いた。キャリーヌが王都へ代理出張に行って、失恋して帰ってから約一年が経っている。あの日のことは、王都のお土産を渡した時に洗いざらい打ち明けた。いつもよりしょぼくれたキャリーヌの様子に、鋭いリラが気がつかないわけがなかった。虚勢を張って疲れていたキャリーヌも、心の内を吐き出すことを我慢できなかった。我慢しなくて良かったのだと気付いたのは全て打ち明けた後だ。ずいぶん軽くなった気分に、打ち明けごとのできる人が家族以外にもいることのありがたさを、キャリーヌは噛み締めたのだった。
キャリーヌが勝手に失恋した日から、もうずいぶん経っている。普通ならば吹っ切れていてもいい頃だろう。まだ同じ人を好きなのかと、呆れられたかもしれない。
「まあ……そうだったのね。」
現にリラは、意外そうな顔をしてこちらを見ていた。キャリーヌは居たたまれなさに顔を伏せる。この一年、ずっと考えないようにしてきた。考えないように頑張って、気持ちを面に出すことなく過ごしてきた。それなのに、一人になってしまうと、リラのように心を開ける人を前にしてしまうと、止めようもなく気持ちがこぼれてくる。
その日、日が落ちる前に帰って行ったリラは、別れ際に、恋人に贈られたというネックレスを見せてくれた。気恥ずかしくて服の上からはまだつけられないの、といいながらブラウスのボタンを少し開けて見せてくれたそれは、冬空のような薄く透き通った青い石と、細やかな銀の装飾で作られていた。リラの目の色を考えて贈られたものだと一目で分かる。少なくとも、装飾品に関してはいい趣味を持っている人なようだ、とキャリーヌは思った。うらやましい。幸せそうにはにかみ、また来るわと言い残して去っていくリラの背中を見送りながら、キャリーヌは言いようのない寂しさのようなものを感じていた。
ジダンのことを忘れられないのは自分だけのせいじゃない、とキャリーヌは思う。ジダン本人がいけないのだ。彼が、あの日からことあるごとに防具屋に顔を出すものだから……キャリーヌの気持ちは古びることができず、ずっと新鮮なまま胸にしまい込まれている。
◇ ◇ ◇
十八歳になった最近のキャリーヌは、防具店の休日である二日間以外のほとんどを店で過ごしている。仕事人間の父親に似てきたその姿を心配しているのは、他でもない父親なのだから仕方ない話だ。
しかし彼が心配しているのは、キャリーヌの色めいたことと縁の無さすぎる生活ぶりでもある。屋敷と防具店の往復ばかりで、交遊と言ったらリラとのお茶かフィリップとのお出かけのみ。遊び歩いてほしいわけではないが、若い娘とは思えない生活なのだ。
そんな父親の心配は、キャリーヌにとってはもちろん大きなお世話だった。結婚しないで屋敷にいたって構わないと言ったのはお父さまのくせに、と思うのだ。時折物言いたげな視線を向けられるだけで済んでいるからいいものの、口に出して言われたりしたらこてんぱんに言い返してしまうこと間違いなしだろう。
それに、キャリーヌは色めいたことと全く縁がないわけではない。年頃の娘らしく若者に声をかけられることもある。けれど、当のキャリーヌが、わずかにある誘いも全てきっぱりと断ってしまうのだ。……ときめかないから。ジダンに話しかけられたときのような、顔を覗きこまれ、優しく微笑まれたときのようなときめきが、他の人相手では全くないからだ。
防具店の入り口のベルが鳴り、キャリーヌは読むでもなく眺めていた迷宮特異繊維・物質百科を閉じた。エプロンがだらしなく緩んでいないかを姿見で確認すると、急いで店内へ出る。
「いらっしゃいませ! ……あっ」
「久しぶり……って言っても先月も来たけど。こんにちは、キャリーヌ」
「ええ、また来てくれたのね。……こんにちは、ジダン」
驚きに少し顔を強ばらせてから、すぐに頬を緩めたキャリーヌは、不自然さのないように努めて平坦な声で挨拶をした。と同時に、髪の毛をきっちり一つに編んできたことを後悔する。もっと可愛らしい髪型にしてくれば良かった。今日はつけているリボンも、普段使いの中では三番目くらいのお気に入りだ。一番いいのにしてくれば良かった。
入ってきた青年……ジダンは、しっかりとした生地のシャツを腕まくりして、深い赤のベストを着ていた。この町の青年なら少しちぐはぐに見えそうな格好も、ジダンならとても似合っている──ように、キャリーヌには思えた。今日、キャリーヌがエプロンの下にしているサッシュベルトも赤いものだ。そんな重なりに、少しだけ嬉しくなる。
「それで、今日はどんな用事かしら? 最近よく来てくれるけど」
「んー、そんなにどうしてもって用事はないんだけど。道具とかここで見てもらうと具合がいいんだ。今、ルーカスさんは休憩?」
「ええ。今日はちょっとお父さまと話すことがあるらしくて……お屋敷の方で昼食を一緒にするんですって。だからもうしばらく帰ってこないと思うけれど……」
キャリーヌは、適当に商品棚の辺りへさまよわせていた目線を、ジダンに戻した。とたんにばちりを目が合い、少し驚いて瞬きをする。顔が赤くなっていないか、不安になった。どうして、目が合うだけでこんなにどきどきするんだろう。
「そっか。じゃあお店で待たせてもらってもいい?」
やっぱり、そうくるわよね──嬉しいような苦しいような、複雑な気持ちでキャリーヌは頷く。
「ええ、もちろん」
自分がジダンのお願いを断れるわけがない……好きなのだから。打ち明けるつもりのない気持ちが、報われるはずはないのだけれど。お茶を用意するわ、と店の奥へ入りながら、キャリーヌはジダンに気づかれないよう微かにため息をついた。
店内の奥まったところにある小さな応接スペースで、キャリーヌとジダンはお茶を飲んでいた。ルーカスが不在の折りにはしばしば客の待ち合い所のようになる場所だ。ジダンが訪ねてくるのはルーカスが休憩や相談などで店を外しがちな正午前後のことが多く、キャリーヌがジダンとこうしてお茶を飲んだのも一度や二度のことではなかった。
「……学園は大丈夫なの? まだお休みの期間じゃないでしょう」
「前にも言ったじゃん。学年が上がったから一般教養の講義が減ってさ、工夫すればここに来るのも全然苦じゃないんだよ」
「でも……馬車に乗るのだってお金がかかるのに……」
「俺の小遣いの心配? 大丈夫だよ、こう見えても迷宮探索で小銭稼いでるから」
ジダンはキャリーヌが言外に言いたいことを読み取っていそうなのに、全く答えてくれなかった。彼はにこにこしながら話を続ける。
昨日はフィリップがまた下級生の女の子に告白されててさ、しかもその子が告白してくるの五回目なんだよ。よっぽど心酔してるって言うのかな? 断るのも大変そうだった。
……そんな、他愛のない話をしてくれるのは嬉しい。フィリップはどうやらジダンほど時間がとれるわけでも無いらしく、大型の休みがある時にしか帰ってこないからだ。いつまでたっても可愛い弟の話を聞くのは全く構わないのだ。けれどキャリーヌには、ジダンがどういうつもりでここを訪れているのか、さっぱり分からなかった。
うすうす、ルーカスの不在がちな時間帯を狙うようにして来ているようには感じている。ただ、それがどういった理由からなのかは分からないのだ。初めこそキャリーヌは、自分に会いに来てくれているのかと、失恋したことを忘れて浮かれそうにもなった。しかし、違うのだ。ジダンはキャリーヌのことを好きなわけではない。少なくとも、キャリーヌがジダンを好いているようには、キャリーヌのことを好いていない。
(いい友人、くらいには思ってくれているのかしら)
キャリーヌにはこの時間が苦痛になりつつあった。報われない気持ちを、それでもいいからとぶつけて玉砕する勇気はキャリーヌにはない。恥をかきたくない彼女はジダンをどう避けていいかも分からず、何も感じないふりをして話し相手になるしかなかった。ジダンの一挙手一投足に動く心を、必死に隠しながら。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
もはや待っている方がいるのかは分かりませんが、一応最終話?最終章?になります。
予定というよりも希望ですが、三月末までには完結させたいと思っています。




