保留にしておきましょう
翌日も、王都は晴れていた。朝の空気の中、太陽の光は目覚めたくないキャリーヌの元にも平等に落ちてくる。
仕方なしにベッドを抜け出したキャリーヌは、この日のために念入りに選んできた、襟と胸元に貝殻模様を刺繍したブラウスと、青いオーバードレスを身に付けた。ところどころに光るビーズと銀糸の刺繍が綺麗なブラウスは、選んだときほどキャリーヌの気分を上げてはくれなかったが、キャリーヌはもう一度自分の頬を張って気合いを入れ直した。いかにも生気のなかった白い頬に赤みが差したので一石二鳥だろう。
フィリップとジダンは宿まで迎えに来てくれるということだった。キャリーヌは早めに宿の部屋を引き払って、荷物を持って一足先に王都を発つアルベルトと別れると、宿の下の喫茶兼食事処のスペースで、お茶を飲んで彼らを待っていた。
これから弟とその友人と一緒に町を歩いてお茶するだけなのにどことなく悲壮な気分になっている自分と、それをおかしく思う自分もいる。今朝まではあんなに上がり下がりしていた気持ちが、不思議と凪いでいくのを感じた。
キャリーヌがお茶を飲み干して、四回深呼吸した頃に彼らが来た。席を立って近寄ると、フィリップが小銭を出してキャリーヌの飲んだお茶代を支払っていた。少し咎めるような表情のキャリーヌを宥めるように微笑みかけ、軽く肘を差し出したフィリップは丸きり都会の男の子だった。
我が弟ながらどきっとしちゃう、悔しい、と思いながらも、キャリーヌは差し出された肘に手をかける。その際、フィリップの二の腕の内側をぎゅっとつまむことは忘れなかった。
「いっ……おはよう、キャリーヌ。久しぶり……でもないけど、会いかったよ」
「ごきげんよう、フィリップにジダン。迎えに来てくれてどうもありがとう」
キャリーヌはわざとらしくおすましして答えた。ぶっとジダンの吹き出す声が聞こえる。休暇でキャリーヌ達の屋敷に来ていたときもそうだったが、どうもジダンは自分たち姉弟の軽口の叩き合いが好きらしい。
「さて、今日はどうするんだっけ? すぐにお茶って訳じゃないだろ?」
「うん。キャリーヌ、昨日は特にお店を見て回ったりしてないだろ。僕たちはあんまり行かないけど、小間物屋や雑貨屋が並んでる通りがあるんだ。お土産でも見繕うのにいいかと思って」
「良かった、ちょうどお店を見てみたいと思っていたの。フィオナと、あとリラにもお土産を渡したくて」
歩き出して、自然とフィリップとは反対側の隣に来たジダンにどきりとしながらもキャリーヌは答えた。
あの年上の友人は家の事情が大変らしく、最近は中々会えていない。王都のお土産でもあれば、会う口実になるかと思ったのだ。
「リラってあの、お菓子屋さんで知り合ったっていう?」
「そうよ。よく刺繍をするらしいから、何か綺麗な糸とか、端切れがあればと思って」
「ふぅん、それならこれから行く通りに特異繊維の商品置いてる手芸屋があるから、そこ見たらいいんじゃないか?」
ジダンは例のごとくひょいとキャリーヌの方へ身を屈め、視線を合わせてくる。茶色の目が親しげに笑いかけてくるのを、キャリーヌはまともに受けてしまった。
こういう仕草も、手芸屋さんの情報も、女の子と遊ぶうちに身につけたものなんだろうな、と不貞腐れたように思いながら、キャリーヌはそれとなく視線を逸らした。やはり見つめられるのはどぎまぎしてしまうのだ。
「そんなところがあるのね。絶対行きたいわ。フィリップも、少し気になるんじゃない?」
「うーんそうだね、知ってる特異繊維もあるかもしれないし……僕もちょっと見てみたい」
「じゃあまず初めにそこへ行きましょう。案内をお願いするわね!」
キャリーヌは、今度は自分からジダンと目を合わせて微笑んだ。現金なもので、勝手に失恋して落ち込んでいた気持ちも、王都の街並みを進むにつれて上向きになってきたのだ。楽しいことはなるべく素直に楽しみたいのが、キャリーヌの性分であり、フィリップやフィオナに言わせれば、そこが彼女の美点の一つでもあった。
◇ ◇ ◇
磨かれた木目調が美しい扉を押して店の中へ入ると、チリリン、と透き通った音の鈴が鳴った。
「わあ……」
キャリーヌは思わず声を漏らす。フィリップ一押しの喫茶室は、可愛らしく凝った内装だった。天井をうねうねと走る柱材は、扉と同じ美しい木目調で、ところどころから暖かい色のランプがぶら下げられている。床は奥の厨房らしきところまで幅の広い階段のようになっており、一段につき、四人掛けテーブルと二人掛けテーブルが一つずつ、置かれていた。
「ようこそいらっしゃいませ。本日は喫茶のご利用でよろしいですか?」
「はい、喫茶で。三人です」
フィリップが声をかけてきた店員に答えるのを尻目に、キャリーヌは感嘆のため息をつきながら店内に見入っていた。まだお茶には早い時間帯だからか、席は半分ほどしか埋まっていないが、きっとすぐに満席になってしまうだろう。そう予感させる、魅力的な空間だった。
「こういうところ、好き?」
「えっ?」
思いがけず近くで声がして、キャリーヌは勢いよく振り向いた。案の定、ジダンの顔が近くにあったが、キャリーヌの振り向く勢いに驚いたのか彼はひょいと顔を引っ込めた。
「おっと、ごめん。そんなに驚くと思ってなくて」
「いいえ、私もぼーっとしてて。……そうね、こういう可愛らしさに凝ったところ、好きよ」
「ふぅん……」
先を歩くフィリップに着いていきながら、キャリーヌは相槌を打つ。それぞれのテーブルには、落ち着いた色味のギンガムチェック柄のテーブルクロスが掛かっており、椅子に張られたクッションも同じ柄で揃えられている。キャリーヌたちが通されたのは、深緑とクリーム色のギンガムチェック柄の席だった。
「キャリーヌは……レモンクリームのパイで良いよね? 飲み物は? お茶?」
「うん。お茶がいいわ、お願い」
フィリップが手際よく人数分の注文を済ませるのを見て、彼も女の子とよく遊ぶのだろうか、と邪推してしまったキャリーヌは、すぐに運ばれてきたティーカップに意識を移した。
「とってもかわいいわ!」
飲む人を意識したのか、それとも飲み物の種類によって違うのか、キャリーヌのカップとソーサーは、薄いピンク地に白い花と、金の縁取りのあるものだったが、フィリップとジダンのものはシンプルな単色の磁器だった。
ティーカップを持つジダンの手にまで見とれそうになって、キャリーヌは慌てて話を逸らした。
「ところでフィリップ、こんな可愛いお店どこで知ったの? 偶然入ったことがある、って訳じゃないでしょう?」
お茶を一口含んで、うん、と返事をしたフィリップが、カップを静かに下ろす。
「学園に来た、ほんとに初めの初めに案内してくれた先輩が教えてくれたんだよ。寮とか学園を軽く案内してくれた人で、その後分かったんだけどたまたま専攻が僕と一緒だったんだ」
「へええ、その先輩が女性だった、ってこと?」
「そう。いつか女の子と行きなさいよーって教えてもらったけど、僕は活かす機会なかったよ。今日が初めて」
フィリップはそこで、隣に座っているジダンをじろり、と睨めつける。
「まあ、こいつは違うみたいだけどね……」
「あー、そういうこと言うなよ、ひどいやつだなぁ」
「なぁにがひどいやつだ、ひどいのはお前の方だろう」
キャリーヌは二人の仲の良さそうな掛け合いに肩を揺らして笑う。昨日出来たばかりの傷をほじくり返すような話題が出たことには、気づかない振りをしようとした。
「俺は別に、ひどいことをしてるつもりはないんだけどなぁ」
「そんなこと言って、お前に泣かされた女の子たちが何人僕のところに来たと思う!? 会う機会を作ってくださいとか言われて、穏便に断るのに苦労することすること」
「ふふ、あなたって遊び人だったのねぇ、知らなかった」
何気ない顔をして、キャリーヌも軽口に加わる。意外なことに、フィリップに告白する女の子はほとんどいないのだと言う。こんなに綺麗な顔をしてるのに、とキャリーヌが疑問に思ったことをそのまま言うと、フィリップは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「はは、こいつ、なまじっか顔が綺麗で、普段の生活態度も真面目だから、女の子の方が気が引けちゃうんだよ。何たって自分より綺麗なツラしてる男だもんな」
「もう、うるさいな。キャリーヌも、余計なこと言わないでよ。僕は学園に学びに来てるんだから」
「あはは、ごめんってばフィリップ。可愛いなぁ、もう」
「可愛いとは何だよ!」
しばらくフィリップをからかっていると、ようやくケーキが運ばれてくる。フィリップはフルーツたっぷりのタルト、ジダンは甘さ控えめのセサミパイを頼んだようだった。
キャリーヌの頼んだレモンクリームのパイは、これまた金の縁取りのお皿に、上品に乗っていた。パイの周りにはいくつか花の形にクリームが絞り出され、花びらの真ん中にはちょこんとレモンのジュレが乗っかっていた。
こうなるとキャリーヌは無言で、真剣にケーキに取り組み始める。一口ひとくちを、メレンゲとレモンクリームとパイの黄金比率で味わうために神経を集中させるのだ。
フィリップはもちろんのこと、ジダンですら休暇中に見慣れたその姿を、微笑ましく見守るのだった。
◇ ◇ ◇
数時間後、キャリーヌは馬車に乗り込んで、見送りのために並んで立っている二人を見つめていた。彼女の膝の上には、雑貨屋の立ち並ぶ通りを練り歩いて見つけた髪留めと、迷宮由来の特異繊維から紡がれた特殊な糸、さらに特異繊維を織った布、極めつけに先ほど喫茶室で買った焼き菓子類が乗っている。お土産は完璧に揃えられた、とキャリーヌは満足している。
馬車の外に立ち、にこにこと笑っているジダンを見て、ふと今日一日仕舞いこもうとしていた想いが顔を覗かせる。
何とも思っていないのだろう。キャリーヌのことを、友人の姉として好ましくは思っていても、それ以上には何とも思っていない。当たり前だ。別れを一際寂しく思うのも、自分だけなのだ。十二分に分かっていたことのはずなのに、今さら悲しくなってしまう。
自分のことを何とも思っていない顔を見ながら、キャリーヌは何とか口角を上げて、笑顔で手を降って見せた。馬車が走り出す。数十分後には、乗客のお尻をこれでもかと痛め付けているに違いない揺れを感じながら、キャリーヌは遠ざかってゆく二人の姿を見つめていた。




