……おや?(1)
「ねえルーカスさん。恋ってしたことある? というか、恋人とか、いたことある?」
「いきなりなんだ、お前は」
食後のお茶も飲み終わった暇な時間に、キャリーヌはふと口を開いた。今日は朝から暇で、常連客が二人ほど細々した備品や修理を求めて訪れただけだ。昼下がりの今も、店の前を通る人影すら滅多にない。
ルーカスは厳めしい顔に、ほのかな困惑の表情を浮かべて彼女を見た。全く脈絡のない内容だが、手はしっかりと倉庫から掘り起こしてきた手甲を磨いているし、ぼんやりしているように見えて、客が入ってきた瞬間に店員の顔になることをルーカスは知っている。彼女を信頼して、今では客がいない時の私語は特に咎めなかった。が。質問が唐突すぎる。
「いいじゃない、気になったの。だってルーカスさんいい人なのに、結婚もされてないみたいだし、恋人も……いないのよね? 今は」
キャリーヌはぼんやりと手甲を磨きながら、そんな風にずけずけと物を言った。ルーカスはそんなことを言われて傷ついたり、腹を立てたりする時期は過ぎてしまっていたが、彼女の歯に衣着せない物言いに少し呆れはした。
「……まあ、昔は人並みに恋人みたいな女もいたけどな。いつまでもこういう仕事してる奴と一緒にいられないって、離れていったよ」
「そうなの? こういう仕事って、防具屋のこと? 探検家の人相手とか、武器商人なら不安になることもあるかもしれないけれど、防具を手入れして売る仕事なのに……」
「そういう考えの奴もいるってことだ。関わらない人間にしてみれば、探検家も防具屋も似たようなもんなんだろうよ。受け入れられない気持ちも、分からなくはない」
キャリーヌは息の抜けるような相づちを打つと、黙りこんでしまった。聞きたいことだけ聞いて何も話さないキャリーヌに、ルーカスは少しじれったくなった。お喋りのくせに、大事なことはつつかれないと話さないのだ、この娘は。
「それで? お前、好きな男でもできたのか」
「ええっ! 何でそんな話になるの!」
途端にキャリーヌは頬を赤くして振り返る。あまりの分かりやすさにルーカスは吹き出した。
「そんな質問しといて、聞いてくれって言ってるようなもんじゃねぇか。それで、相手は誰なんだ? こないだ来た王立学園の学生か?」
「えっ……」
キャリーヌはますます赤くなって黙りこむ。
「おいおい図星か。こないだのまとまった休暇のときに燃え上がっちまったのか? 止めとけ、向こうは旅先でのちょっとした火遊びだよ」
「なっ……別に、何にも起こってません! 大体ジダンはフィリップの、弟の友達なのよ。そんなこと、あるわけないでしょ」
「十分あり得るさ。お互いにその気ならな」
キャリーヌはとうとう、そっぽを向いて黙りこんでしまった。しきりに髪の毛を撫で付けて、動揺をごまかそうとしているようだった。今日の髪を結うリボンは、深い緑の地に、細い銀の糸で何やら花が刺繍してある。ルーカスはついつい、もっとつつきたくなってしまう。何せキャリーヌは年頃の娘だというのに、屋敷とお菓子屋と防具屋の往復ばかりで若者らしく遊んでいる様子は全くないのだ。
ただ、色恋に馴れていない彼女が都会の学生に夢中になって、痛い目を見る様は見たくなかった。むやみに煽るのは止めておこう、と思い直したルーカスが押し黙る横で、キャリーヌは来月の代理出張に思いを馳せていた。
◇ ◇ ◇
「お父様の代理? 私が?」
「ああ。今回は難しい商談はないし、お前の顔を覚えてもらった方が今後もやりやすいだろうから」
父親が王都への出張を打診してきたのは、つい一昨日のことだった。久しぶりに書斎に呼ばれたので何かと思えば、お得意様である王都の警備団との契約更新の書類を持っていく、という仕事を頼まれたのだ。
「私なんかが行って大丈夫なの? 大事な書類でしょう」
「これは月一で納品してる細かい備品のだから、問題ないんだ。普段は郵便で済ませているくらいだよ。わざわざお前に持っていってもらうのは、今後お前が窓口になることもありますよ、っていうお知らせみたいなものかな」
「ふぅん……」
言われたことは分かった。けれど、少し高度なお使い程度だから気負うことはないよ、と続ける父親の言葉を聞き流しながら、キャリーヌは早くも緊張し始めていた。礼儀作法などについては申し分のない教育を受けてきたし、それを十分に身につけたと思っていたが、いざ外に出るとなると不安なのだ。屋敷に引きこもってぬくぬくと暮らしてきた自分が、しっかりと対応できるのか。
「でも……私が窓口になるってことは、少しでも、私が会社の顔になるようなものでしょう。務まるのかしら……」
「変なところで弱気だねぇ。大丈夫だよ、若い娘に私みたいなおじさんと同じものは求めないさ。それに、君には愛嬌があるからね」
「そんなもの……」
「大事なものさ。やり取りするのは商品とお金だが、それを動かすのは人なんだからね。顔を合わせて信頼関係を作るのに、これほど必要なものはないよ」
そう言ってぽんぽん、とキャリーヌの肩を叩いた父親に言いくるめられた気がしないでもない。けれど、今後エルシック家の人間として事業に関わっていくなら、これは必要なことなのだろう。むしろお使いだからと言って、店に立ち始めた十五の頃にいかされなくて良かったのかもしれない。父親なりの猶予を持った上での、今回の打診なのだろう。
「……不安だわ」
ぼんやりとソファに座り、書斎での出来事を反芻していたキャリーヌは、そうぼやいた。向かいに腰かけて刺繍をしているフィオナは、ちらりとキャリーヌを見て、「大丈夫ですよ」とだけ口にした。
「どうしてそんなに自信がないのかは分かりませんが、キャリーヌ様は外に出しても恥ずかしくない程度に、私がお育て申し上げましたから。ご安心ください」
「ふふ、すっごい自信家。そうね、そんなに気に病むことないわよね。お使い自体は馬車で日帰りでも十分らしいのだけど、せっかくだから宿を取って泊まっていっても良いって、お父様が仰ってくださったの。フィリップに手紙を書かなくっちゃ」
うーんと伸びをして、キャリーヌは便箋とペンを用意しに行く。ここ最近お気に入りのガラスペンは、フィリップが休暇の際に、王都のおみやげとしてくれたものの一つだ。これでもっと僕に手紙を書いてね、と気障なことを言い添えて渡してきたフィリップに、キャリーヌはなんとなく都会の風を感じたのだった。
◇ ◇ ◇
今やすっかり都の人、フィリップへ
こんにちは。お元気かしら。今回は大事なお知らせがあります。なんと……来月、王都に行くことになったの! もちろん、遊びじゃないわ。仕事でよ。警備団の方に納めてる備品の契約書を持っていくだけで、そんなに大変なことではないのだけれど、お父様が一泊してきて良いと仰ってくださったの! ぜひ、あなたに会いたいわ!
今のところは、来月の第二休日の前にそちらに行こうと思っています。予定が合うようなら、学園の外で会いませんか? 王都を案内してくれると嬉しいです。ついこの間の休暇を一緒に過ごしたのに、また会えるかもと思ったらもう会いたくてたまらない。不思議なものね。ジダンにも、よろしく伝えてね。では。
今も変わらない田舎のキャリーヌより
変わらず愛しいキャリーヌへ
こんにちは。僕は元気です。今度は何の重大発表かと思ったら、ほんとのほんとに重大なやつじゃないか! 今まではすごく美味しいアップルパイを見つけたとか、とても綺麗なティーセットをもらったとかだったから、すっかり油断してました。驚いて読みながら声を出しちゃったよ。全く。
来月の第二休日ね。ちょうど第二週が休暇明けの試験で、休日前には終わるので大丈夫だと思います。キャリーヌと行きたいなぁと思っていた喫茶室があるから、そこに行こうか。レモンクリームのパイが絶品なんだ。あと、ジダンによろしくということだけど、もし良ければジダンも連れて行っていいかい? 君が来月こちらに来るかもと言ったら、混ぜろってうるさくてね。でもほんと、君が良ければだから、嫌だったら断ってね。ジダンには上手く言っておくから。
この間の休暇では、キャリーヌの仕事っぷりを見られて嬉しかったよ。さすが、姉さんは頼りになるなぁと思った。本当だよ。あと、僕は別に都会の人じゃないからね! じゃあ、体に気を付けて。
変わらずあなたの弟、フィリップより
◇ ◇ ◇
「きゃあああ!」
「何ですか騒々しい!」
突然奇声を上げたキャリーヌに、フィオナは即座に恐い顔を向けた。
「だってだって! わああ、私無理よ! 良いに決まってるけど! けど! あああ……」
キャリーヌは顔を赤くして、フィリップからの手紙を握りしめていた。なんとなく察したフィオナは、しばらく放っておこうとばかりに手元の本に意識を戻す。
フィオナが読んでいるのは、マクロルにおすすめしてもらった、遺跡についての研究をまとめた本だ。なるべく分かりやすく、興味を持って読み進められるように工夫して書いてあるが、決してでたらめではない。自分が読み終わったらキャリーヌに貸してもいいか、マクロルに伺いを立てようかと考えるくらいだった。それに確か──キャリーヌが熱を上げているらしい、王都の学生も、遺跡探索家を目指しているのではなかったか? ……なおさら読ませておいた方が良いかしら、と思いながら、フィオナはゆっくりとページを繰る。
「ああ、それに、レモンクリームのパイ……! 美味しいのよねぇ、メレンゲのクリームがふわふわで、甘酸っぱくて!」
そんなことをぶつぶつと呟くキャリーヌに、まだまだ色気より食い気か、とフィオナはため息をついた。お菓子に関してだけは、育て方を間違えたのかもしれない……。




