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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
キャリーヌ・エルシックは美人ですか?
11/25

見る人によっては(2)

 身内というもの──何があっても、絶対に自分を信じてくれる存在を、フィリップは三年と少し前まで、知らなかった。



 彼は母親の顔を知らない。

既婚の実業家の男の目を惹くような美貌はあったらしいが、彼女は子供を身ごもった際に、与えられた家で子供と過ごすか、金と引き換えに子供を明け渡すかの選択を迫られ、あっさりと金を取ったと聞いた。それを教えてくれたのは一ヵ月に数度離れを整えに来る使用人の一人で、彼女は心底フィリップを憐れんでいたらしかった。憐れんでいたからと言って、フィリップに優しくして、慈しんでくれたわけではなかったが。

 自分は母親に捨てられた子供なのだと、心の底では卑屈に思って生きてきたフィリップを変えたのは、異母姉のキャリーヌだった。それまでは、キャリーヌの後ろ姿しか見たことがなかった。嫌がらせを仕掛けて、去っていく後ろ姿。長い麦わら色の髪の毛を、結っている日もあれば下ろしている日もあった。退屈で寂しい毎日を過ごしていたフィリップは、いっそのこと正面から嫌がらせをしに来てくれればいい、と変な願望を持つようにもなっていった。

彼女に出会って、屋敷で暮らし始めたころは毎日が夢のように思えていたのだ。それまでの味気ない十二年間は、キャリーヌと過ごしてきた三年間で鮮やかに塗り替えられた。

 ──その夢のようだった日々も、遂に、完全に終わることが決まってしまった。フィリップは手元にある、たった今手渡された合格通知書と入学手続き書類を眺めながらそう思った。



 合否を確認しに行った王立学園から、宿に戻ってきたフィリップは、狭い個室のベッドの上に座ってこれからの予定を確認していた。合格発表後、二日すればもう寮に入ることが可能なのは確認済みだ。入寮期間は授業開始の前日まで……つまり後一ヶ月ほど猶予があるが、フィリップは一旦屋敷に戻るつもりはない。すぐに入寮する予定だ。寮や学校に、早く慣れておくに越したことはないだろう。

(キャリーヌは寂しがるかな……)

ふとそんなことを思っては、ありえないと頭を振って打ち消した。彼女は思いの外強かで、立ち直りが早い。フィリップを見送る前の晩には、多少湿っぽい話もしたが、キャリーヌがそういった雰囲気を次の日まで持ち越すことはほぼ無かった。きっと今頃、防具店で元気よく働いているのだろう。

(僕も……頑張らなくちゃ!)

 フィリップは勢いよく自分の頬を平手で挟み、気合いを入れ直した。手がじんじんした。



 ひとまず屋敷宛てに、試験に合格したこと、今までの教育への感謝などを綴った手紙を出したフィリップは、王都の街をぶらぶら歩いていた。迷子にならない程度に、宿の周りから離れないように気を付けながら、だが。手紙は午後の収集に間に合ったので、明後日には確実に届くだろう。寮に入るまでは勉強のことを忘れて、キャリーヌへのお土産探しをしようと思ったのだ。

 キャリーヌはお菓子が大好きだ。お菓子なら、屋敷の使用人が作ったものでも店で買ってきたものでも、焼き菓子でも生菓子でもどんなものでも食べる。しかし王都から屋敷に送るのであれば、やはり日持ちする焼き菓子が最適だろう。

 こんなことなら王立学園の人か宿の人にお勧めの店とか、有名店とかを聞いておけば良かったと思いながら、フィリップは飲食店が多く立ち並ぶ通りを歩いていた。故郷の町に比べると、店の全体数ももちろんだが、飲食店が特に多い。それぞれの店がきちんと収入を得られているのか、フィリップには謎だった。

 やっぱり宿の人にでも聞いてから出直した方がいいかな……と考えながら歩いていたフィリップは、脇道に入る角にある小さな店に目をとめた。ちょうど宿から三ブロックほど歩いた辺りだ。店の壁は褪せかけたベージュとブラウンの縞模様に塗られていて、緑色の小さな扉の上には同じ縞模様の布がかかっている。キャリーヌが見たら、「可愛い!」と声を上げそうな外装だ。色褪せた字で『ティルダ菓子店』と書いてあるその布の下には、小さく営業中の札が掛かっていた。

 フィリップは財布の中身を確認した。王都の店の値段設定がどのくらいのものかは分からないが、焼き菓子一包みも買えない、ということまずはないだろう。

(とりあえず、ここに入ってみよう)

 フィリップはそう決心して、菓子店の扉を引いた。



 夕方ごろ宿に帰ってきたフィリップは、買い込んでしまった荷物をドサドサとベッドの上に広げた。可愛らしい色柄の包みがいくつも転がる。今日はもう外に出たくない。夕食を部屋に運んでもらうことはすでに頼んであった。宿の一階にある食堂で食べるのもいいのだが、今はこのまま一人で過ごしたい気分だった。

(キャリーヌ並みに元気のいい人だったな……)

 フィリップはベッドに深く腰かけて、ふぅと息をついた。疲れた。疲れたが、それは王都に出てきてから初めてまともに人と話した後の、心地よい疲れだ。

 ティルダ菓子店の店主は、恰幅のいい女性だった。フィリップの父親より少し上くらいの年代に見える、笑い皺のくっきりした人だ。

 フィリップが棚に並んでいる焼き菓子を見ていると、カウンターの奥から出てきて試食を勧めてくれた。棚に並んでいた商品をその場で開け、勧めてきたので驚いたが、フィリップは有り難くそれをもらった。

食べながら、話の流れで王立学園の試験を受けたこと、一ヶ月後からは学園生としてそこで学ぶことを言うと、彼女はまるで自分のことのように喜んで、祝ってくれた。お茶までご馳走になり、年の近い姉にお菓子を送りたいと言ったフィリップに、お勧めのお菓子を教えてもくれた。少しお節介にも近い熱心さで接してくる彼女と話すのが楽しくて、試食で食べたお菓子も美味しくて、フィリップはついついたくさんの商品を買ってしまった。しかし、会計の時に提示された金額は明らかに合計より少ない額で、フィリップは思わず声をあげたが、店主はからからと笑いながら「いいのいいの」と押し切った。

王都に出てきて初めて関わった人は、温かい人だった。けれどもちろん、全ての人がそうではないことを、フィリップは知っている。だから彼は、寮で相部屋になる人間を信頼しすぎないようにしよう、と今から若干いらない用心をしているのだった。




 ◇ ◇ ◇




「はい、どうぞ。ここがあなたの部屋よ。えっーと……フィリップ・エルシック君ね。知っていると思うけど、初めの二年は四人部屋での生活になるから。実はもう同室の子が一人入ってるから、ベッドの場所とかは、相談して決めてね。早い者勝ちだよ」

「はい。ありがとうございます」

「ええと、ごめん、まだ自己紹介してなかったね。私は第三学年のエリサ。初日から寮に入るのは、いい選択だと思うよ。今のうちから学園の構造とか雰囲気に慣れておいた方が、楽に授業に集中できると思う。じゃ、頑張ってね! 新入生」

「はっはい。エリサさん、ありがとうございました!」

「はーい」


 ひらひらと手を振ったエリサは、第三学年の赤いスカーフをなびかせて去っていった。これまた親切な人だっだ。新入生が次々に入ってくるこの時期、学園の事務部は手一杯になるらしく、入寮の手はずを整えた生徒の案内は暇な学園生の仕事になるらしい。休暇期間だから自宅に帰っている生徒も多いが、エリサは実家が近くにあるらしく、帰省はせずに多少の給料も出るこの仕事を積極的に手伝っているのだそうだ。

 フィリップは部屋の扉に掛かったプレートに刻まれた名前を見る。フィリップ・エルシック……四つ並ぶ名前の、一番上に刻まれている。


「……失礼しまーす」


 フィリップは軽く息を吸い込んでから扉を開け、中に踏み込んだ。荷物を纏めて宿を引き払い、買った菓子を屋敷に送ったりしている内に昼どころかおやつ時も過ぎてしまったので、フィリップは少し疲れていた。早く休みたい。部屋に入って正面にある窓から入り込む西日が眩しくて、フィリップは目を細めた。静かに舞う塵がきらきらと光っている。

 返事がないので、フィリップは仕方なくそのまま部屋の中へ進んでいった。正面の窓の下には、お茶用だろうか、最低限の広さしかない四人掛けの机があった。空の花瓶が壁に寄せて置いてある。机の正面まで来ると部屋の左右に意外と奥行きがあることが分かった。左右に二段ベッドがある。更に二段ベッドの向こう側に、個人のスペースがあるようだ。小さい机が二つずつ、置いてあるのが見えた。


「あ……」


 果たしてそこでフィリップは、同室者の姿を発見した。正面の窓から右側の二段ベッドの下に、腰かけた状態から上半身を倒したような格好で寝ている彼が、フィリップの同室者の一人だろう。少しくたびれた白いシャツのボタンを上から二つまで開け、灰色の外套を雑に足元に積んだ荷物の上に引っ掻けたまま寝ている彼は無防備と言って良かった。

 なんとなく拍子抜けしたフィリップは、屋敷で時たまキャリーヌがうたた寝しているのを発見したことを思い出した。似通った無防備さを感じたのだ。屋敷ではフィオナに見つかると怒られてしまうため、寝ているキャリーヌを見つけたらなるべく起こすようにしていた(一緒に寝てしまうことも稀にあったが)フィリップだが、今目の前にいる彼を起こす気にはならなかった。疲れていそうに見えたのだ。



 自分も荷物を置いて早くくつろぎたい。問題は、どこのベッドを自分の拠点にするかだ。フィリップは迷っていた。実を言うと部屋に入って、二段ベッドを見た瞬間から、上のベッドに登りたくて登りたくてたまらなかったのだ。初めて見たそれは、フィリップの好奇心をこれ以上なくくすぐった。これは絶対、手紙でキャリーヌに自慢しなくては、と彼は思った。

どちらのベッドの上を使うか。残り二人の同室者がいつやってくるか分からない。今日この後かもしれないし、授業開始の前日かもしれない。迷った末にフィリップは、左側のベッドの上を使うことにした。寝ている彼の上に登ったら、物音で起こしてしまうかもと思ったのが主な理由だ。問題があれば、同室の彼が起きてからまた変えればいいだろう。

 二段ベッドの上は、左右両方からはしごが掛かっていた。個人スペースからも、共用スペースからも登れるようになっているのだ。これだけでわくわくしてしまう。床に荷物を置いたフィリップは、どきどきしながらはしごに手をかけた。



「ん……うーん」


 フィリップが一通り二段ベッドを堪能し、そのうちに日が暮れ、暗くなった室内に少し慌てて灯りをつけ、ようやっと落ち着いて窓際の四人掛けの机に掛けて本を読んでいると、向かいのベッドに寝ていた同室者がうめき声をあげた。


「ううーん……」


 続いて大きな伸びをした彼は、顎が外れてしまいそうな程大きなあくびをした後、目を開けた。


「おはよう。よく眠れたかい?」


 眠そうな目をこすりながら体を起こした彼にむかって、フィリップは同室者を警戒しようとしていた気持ちも忘れて声をかけるのだった。




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