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キャリーヌ・エルシックは不細工か否か  作者: 雪村サヤ
キャリーヌ・エルシックは不細工ですか?
1/25

はい

 十二歳になったばかりの頃のキャリーヌはといえば、いつも不機嫌だった。原因は下らないことのようでいて、彼女にとってはとても重要なこと──自分の顔の造作が良くないことが、彼女の不機嫌の元だった。



 ◇ ◇ ◇



「まあキャリーヌ様、どうなさったのです。そんなにむくれて」

「……フィオナには分からないわよ、あなたは顔が可愛いもの」


 自分の部屋の鏡台の前に座ったキャリーヌは、膨れっ面のまま答える。キャリーヌの世話をするのが主な仕事の使用人であるフィオナは少し困った顔をして、鏡の中の主人を見つめた。鏡に写る、低い団子っぱなの頭にしわを寄せているキャリーヌとは違って、確かにフィオナははっきりとした可愛らしい顔をしていた。それこそ、時には周りの女性の嫉妬を買うぐらいに。

 しかし不機嫌だとは言っても、やたらめったら使用人や物に当たり散らしたりはしないのがこのお嬢様の良いところだと、フィオナはちらりと思う。今まで彼女が働いてきた家庭には、鼻持ちならない子供も多かったのだ。


「キャリーヌ様、ご自分の顔にご不満がおありなのですか?」

「ええ。だって、気づいちゃったんだもの。私の顔は、お母様譲りで、可愛くないの……」


 そう言ってしょんぼりと肩を落としたキャリーヌの顔は、なるほど確かに美少女とは言い難いものだ。しかし、ぱっちりと言うよりはくりっとした感じの丸い目も、低くてまあるい団子っ鼻も、ちょこんとした唇も、不細工と表現するよりもむしろ、愛嬌があるものだとフィオナは考える。

(なんというか、仔豚? の、ような……)

そこまで連想してフィオナは頭をぶんぶんと振った。こんなことを素直に口にすれば、キャリーヌは二度とフィオナと口をきいてくれないだろう。それが決して、悪い意味ではなくてもだ。


「そうですか。……でもキャリーヌ様、信じては頂けないかもしれませんが、性格の悪い美人よりも気立ての良い普通の女性の方が、人から好かれやすいと思いますよ?」

「そうかしら? 私は多少難ありでも、可愛い女の子の方がいいわ。眺めるなら美人の顔に限るでしょう。それに、私より可愛くて気立ての良い子なんてごまんといるわ……」

「まあ。美人は三日で飽きる、という言葉をご存じないのですか?」

「そんなの、世の中の不細工が美人を羨んで作った言葉ではないの?」


 はあ、とため息をついて、キャリーヌは鏡台の前にだらしなく両肘をついた。その背に広がる豊かな麦わら色の髪の毛を見て、フィオナは自分のやるべきことを思い出した。この不機嫌なお嬢様の髪を結わなくてはいけないのだ。


「ともかく、夜会の時間までには膨れっ面を引っ込めてくださいね。今日は旦那様のお誕生日、盛大に愛想良くして頂かなくては」

「はぁい」


 大袈裟にため息をついて返事をしたキャリーヌはけれど、フィオナが髪を結いやすいように姿勢を元に戻した。基本的には聞き分けが良いのだ。

 それに、とフィオナは心のなかで付け足す。この子は母親に似ず、良い子だと。


 キャリーヌの母親は、キャリーヌよりもっと可愛くない顔の造りをしている。いや、可愛い可愛くないの問題ではないのだ。彼女は性根の悪さが顔ににじみ出ているタイプの、典型のような女性なのだから。

 金持ちにはありがちなことだが、キャリーヌの父親もその例に漏れず愛人がいた。妻はキャリーヌの母親一人だが、その他には常に何人かの愛人がいたのだ。問題は、キャリーヌが生まれた半年後に、愛人の一人にも赤ん坊が生まれたことだった。しかも男児の。

 更にその子供を、離れとは言えキャリーヌやキャリーヌの母親も暮らす屋敷に住まわせるということになって、一時期屋敷は荒れに荒れたのだ。主に、キャリーヌの母親のヒステリーによって。

 しかし彼女のヒステリーも、夫の、離縁して娘もろとも追い出すぞという脅しには負け、キャリーヌが一歳半の頃には彼女の腹違いの弟が屋敷の離れに住み始めた。彼の名前は、フィリップと言う。



 ◇ ◇ ◇



 わなわなと震える隣の母親の腕を見ながら、キャリーヌは状況を掴めずにいた。今は自分の父親の、四十歳の誕生日パーティーのはずだ。それが、何故父親は見知らぬ少年を連れていて、招待客の前で彼を息子として紹介しているのだろう?

 少年は明るい金髪をお行儀よく撫で付けて、真っ白いドレスシャツに上品な格子柄のズボンを身に付けていた。貴族のお坊っちゃまのようだ。

 キャリーヌはもう一度母親を見上げ、これは爆発するにしてもパーティーが終わった後だろうな、と見当を付けてから、さっと身を翻した。

 広いパーティールームの扉の側に控えているフィオナを見つけて、キャリーヌはなるべく目立たないように彼女に駆け寄る。


「フィオナ、フィオナ! あの男の子は一体誰なの?」

「キャリーヌ様! こんな所にいては……」

「良いから! お母様が大爆発しそうよ。フィオナなら知ってるでしょう、あの子は誰なの?」


 フィオナはキャリーヌの背に合わせて少し屈めていた腰を伸ばして、驚いた顔をした。


「まさか。ご存じないのですか、キャリーヌ様。あなたの弟君の、フィリップ様ですよ」

「えええ! あの子がぁ!?」

「シッ!」


 思わず叫んでしまったキャリーヌの口を、フィオナが慌てて手で塞ぐ。二人は固まったままきょろきょろと周りを伺うが、ほとんどの客が父親と謎の男の子に注目していて、隅っこにいる二人の方を見ている客はいなかった。


「もう、静かにしてくださいよ! というかキャリーヌ様、まさかフィリップ様にお会いしたことなかったのですか?」

「会ったことも何も……だって、だって……」



(あんなに可愛いなんて、聞いてないもの!)



 少年は遠目から見ても整っていることが分かる容姿をしていた。緊張しているのか少しぎこちない微笑みも、しゃちほこばった礼儀正しさも、全てが可愛らしく見える。キャリーヌは自分の見ているものが信じられなかった。物心ついた時から、異母弟には関わらないように、と母親に教わってきたせいで、今まで一度も弟の姿を見たことが無かったのだ。


「だって、フィリップと言えば、ずんぐりむっくりの不細工で、何をやっても愚鈍で、清潔ぎらいだから視界に入っただけで臭うって……だから離れに隔離されているんだって……」

「まあ! キャリーヌ様、そんな嘘八百一体どこから……」

「……お母様よ」


 はぁ、とため息をついて、フィオナはしゃがみこむ。色々なことに対するショックのせいか、じわじわと涙を浮かべ始めたキャリーヌの顔を下から覗きこんで、フィオナは優しい口調で言った。


「それはおそらく、お母様が嘘を仰っていたんですね。キャリーヌ様、今はひとまずお母様の横にお戻り下さい。お話したいことがおありでしたら、パーティーの後に伺いますから」

「うん……」


 キャリーヌは素直に頷くと、来た通りにこっそりと人の間を縫って母親の隣に戻る。迂回しながら進むキャリーヌの頭は、驚きと後悔と疑念で一杯だった。

(どうしよう、どうしよう、だって私、汚い子だって聞いてたから、悪い子だって聞いてたから、嫌がらせしてたのに……!)

 キャリーヌは今まで自分が「弟」にしでかしてきた事を思い浮かべて、更に泣きそうになった。庭の小石を離れの方に投げて窓を割ったこともあるし、離れの出入口に尖った石と虫の死体をばらまいたこともある。失敗して不格好になってしまった花輪を、空いていた窓の隙間に投げ込んだこともある。

 なぜ今まで、弟に会おうとしてみなかったのだろう。なぜ会ったことのない弟のことを、嫌っていたのだろう。

(……心まで不細工って、こういうことを言うのだわ)

 キャリーヌはぐっと唇を噛み締め、元の場所にぼうっと立っている母親の隣にすべりこんだ。


 客たちの視線を集めている父親と異母弟の方を見ると、彼らは丁度キャリーヌ達の所へ近づいてきていた。キャリーヌは母親の手を強く握った。震えている、冷たい手だった。


「キャリーヌ、紹介しよう。お前の弟のフィリップだよ。仲良くしてやってくれ」


 父親はキャリーヌの顔を見て、朗らかに話しかけた。母親の方に話しかけても、今はまともな返事が帰ってこないだろうと察したのだ。


「はい、お父様」


 キャリーヌは声が震えないように気を付けて返事をし、自分の弟だという少年に向き直った。


「これから、よろしくね。フィリップ」


 遠くからでは分からなかったが、彼の大きな瞳は新緑のような明るい緑色をしていた。その周りを長い金色の睫毛が覆っていて、まばたきをする度に睫毛の影が落ちる頬はやわらかに色づいている。着る服と髪型が違えば、彼は美少女でも通っただろう。

 キャリーヌは驚きと感動を持って、目の前の少年を見つめた。明るい緑が瞬く。


「これからよろしくお願いします、姉様」


 緊張しているのか、少し上ずったような細い声がキャリーヌの耳を滑り落ちていく。フィリップの美しさ、可愛らしさはキャリーヌの顔面コンプレックスをあっという間に飛び越えてしまったのだ。



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