第2話最終回 本当の向き
家の中はかなり掃除が進められた状態だ。
一階に無造作に置かれた茂樹の荷物は隅に整理され、故障しているキッチンまでもが綺麗に磨き上げられていた。あとは床をどうするかという状況ではあるが、何年も靴で生活していたためか、どうにもならないのが現状である。
「一階はどうしようもないわね。嫌だけれど譲歩せざるを得ないわね。階段の前で靴を脱ぐようにしましょう。――私は階段から上を掃除していくから、あなたは二階にあるゴミを外に出してきてもらえるかしら」
二階の廊下には山積みになっているゴミが袋詰めになっている。その数、十袋以上はあるようだ。
謙蔵がふと横に目をやると、そこには空き部屋があった。とても綺麗になっており、こちらも後は床掃除をすれば終わりといったところであろうか。
――綺麗好きなのかな。俺にはとても真似できないな。まぁ、勝手にやってもらえるのならば文句は無いけれど。――ん、待てよ?
謙蔵は部屋を二度見した。
階段を上がるとまず、バスルームの部屋が見えてくる。その左には三つの部屋があるのだが、謙蔵の部屋は奥から二番目、真ん中の部屋。その部屋が空っぽに、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
まさかとは思い、三つの部屋の扉を開けて中を確認する。一番奥の部屋はダンボールが山積みになり部屋として機能していない。真ん中の部屋は何もない。一番手前の部屋には、ベッドの上にダンボールが二つ置いてあるだけだった。
状況がなかなか飲み込めない謙蔵は、銅像のように固まった後、掃除機をかけている彼女に声をかけに行く。階段手前の手すりから顔を勢いよく出す。
「ちちち、ちょっと」
「あら。――何かしら?」
彼女は掃除機の電源を落として、どうしたのかと首をかしげる。謙蔵とはうって変わって冷静だ。
「俺の、俺の……」
「何? ――あぁ、階段の掃除はゴミ出しの邪魔だったかしら」
「ちち違うよ。俺の……俺の部屋が、ない」
「部屋なら片付けたわよ」
なんだ、そんなことかとでも言うように軽く流す。そして、スイッチを入れ直して何事もなかったかのように掃除機をかけ始めた。
「ち、ちょっと待ってくれよ」
バニラは一体どうしたのという顔をしながらスイッチをもう一度切って、謙蔵の顔を見つめた。
「何か問題でもあったかしら?」
「問題大有りだよ‼︎ 一体どうして俺の部屋が無くなってるんだい⁉︎」
「全ての部屋を掃除しないと綺麗にならないでしょ? それに、あの部屋はこれから私が使うわ。日差しがよく入ってとても気持ちがいいの。あなたは右の部屋を使ってちょうだい」
「…………」
「なに難しい顔をしているの? ――あぁ、わかったわ。ベッドの下にあったエッチなデータチップのことね。それならダンボールの中に入っているわよ」
「ななな、なんでデータチップがエッチなやつだって知ってるんだ⁉︎ いやいやいやいや、そういう話じゃなくって、勝手なことしないでくれよ。まさか、そこのゴミって俺のものじゃないだろな」
「必要性のないものは全て捨てたわ」
謙蔵は肩をすくめる。
――勘弁してくれ。
ゴミの中の分別(捨てるものと捨てないもの)にかなりの時間がかかったために、謙蔵がゴミ出しを全て終えた時には、バニラは掃除機をかけ終わり雑巾で床を拭き終えていた。
階段の前には靴が整列され、一段目にマットの代わりにタオルが敷かれている。家の玄関をくぐると一階という大規模な土間が広がり、階段からが居間といったところか。打ちっ放しという構造上、こういう作りだと言われれば納得できそうでもあった。
「ゴミ捨て終わったようね。こっちもだいたい終わったわ。あと、そうね。あの絵画もせっかくだから埃を落としたらどうかしら」
「まぁ、この際だからやろうか。次いつやるかも分からないし」
玄関の扉のちょうど真上にある絵画、「天空の天使」。羽根のない天使が胸の前で腕を組んでいる、謙蔵の母親が描いたものだ。
謙蔵の身長ではギリギリ届かない。
「脚立を工場から取ってくるよ」
「脚立は壊れているらしいわ。私も掃除の時に使おうと思ったのだけれど、おじいさんが壊れていて使えないって。肩車で取りましょう。私はそこまで重くないはずよ」
謙蔵は中腰になり彼女を肩に乗せる。
彼女の太ももから暖かい温もりが伝わってきた。謙蔵は女性とこんな密接に触れたことはない。自分の貸したスウェットから自分の嗅いだことのない優しい香りがしていた。
――確かにあんまり重くないな。
バニラは両手を伸ばして額縁に手をかける。彼女が額を手に取った瞬間、後ろに体重がかかり余裕そうに肩車していた謙蔵はバランスを崩して後ろに足がもつれる。バニラもバランスを取ろうとするが、額縁を壁にぶつけてしまい、留め金が外れて中の絵画がひらりと落ちていった。
謙蔵はバニラを下ろして絵画を手に取る。
「よかった。傷はないみたいだ」
「ねぇ、これもしかしたら……」
少女は絵画の下に書かれた「Honami」というサインを指差す。
「この絵画、もしかしたらこっち向きなんじゃないかしら」
「‼︎ ほんとだ、気がつかなかった。それにしても……」
サインの向きからすると確かにその絵画は逆向きであった。
空は暗く下に行くにつれて明るくなっている。その空で羽根のない天使は逆さまになっている。
「この天使は頭から落ちていってるようだ……」
「確かにそう見えるわね。それに、指を組んで祈っているというよりかは、手の中に何か握っているようにも見えるわ」
「確かに」
バニラは絵画を指で撫でる。
「それにしても、なんて悲しそうな顔をしているのかしら。とても……とても悲しそうな顔をしてるわ」