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第六回 名前

「後は、そうね……イクスプェンツァーの感情形成プログラムにより喜怒哀楽のような感情があるってことも他のアンドロイドとは違うところかしら。――私から今説明できる範囲内(・・・)の事はこれですべてね」


 彼女は、マグカップにコーヒーを注いでテーブルに持ってくる。沈黙している空間のためか、トースターのタイマーの音が妙に大きく響いていた。

 彼女は、焦点を合わせずに遠くを見ていた謙蔵の前に仁王立ちし、自分の存在を気付かせる。


「私が今何を感じているのか分からないでしょ?」


 謙蔵は顔を横に振った。

 彼女の深い蒼色の瞳が、彼の瞳を鋭く捉えている。その強い視線は、目を逸らすなと見えない信号を送っているようだ。


「一つ目。なるべくして私のご主人様になったわけではないということにとても落胆しているわ。腹ただしささえも感じている。何のために私がこの世界に降り立ったのか、何のためにこれから生きていくのか分からないわ。……私は子供の子守のために作られたわけではないもの。――まぁ、いいわ。千歩譲って仕方ないとして二つ目」


 彼女は腰に当てていた手を腕組みに変える。


「二つ目は、未だに私の名前をつけてもらってないってことよ。他のアンドロイドだって初期起動時に名前を付けるのは当たり前のことよね。アンドロイドにとって名前を決めてもらえないってことはどんなに悲しいことか分かる? 名前をつけてもらうってことは、アンドロイドにとってご主人様の初めての命令であり、愛を感じれる初めてのコンタクトのはずなのよ。なのに……なのに何なのよ。生を授かってから数時間、その話題は一言も出ない。でも、そんな恥ずかしいことアンドロイドの私から急かすこと出来る?」


 無表情の中にも怒りが感じ取れそうだ。謙蔵に詰め寄り、これでもかと睨みつける。

 確かにアンドロイド起動時に名前をつけるのはごく自然なことだ。しかし、謙蔵がそれどころではなかったのも事実である。名前を決めている時間なんてないし、あったとしてもそんな心の余裕はなかっただろう。

 アンドロイドからすれば名前をつけないというのは御法度なのかもしれない。アンドロイドの気持ちなんて、今まで考えたことのなかった謙蔵にとっては分かり得ないことだった。いや、アンドロイドの気持ちを考えるなんて人は研究者か一部のマニアくらいだろうか。なんせ、アンドロイドはアンドロイド。人に服従するために生まれてきたただの機械なのだ。

 謙蔵は、今にもくっつきそうな彼女の顔を、椅子の背もたれに身体を反らせてなんとか避けている。


――この状況……急かしてねーか⁉︎ いきなり名前って言われても……。


 謙蔵は彼女の首元についているリングがちらっと目に入る。そこの「V」の文字を見て、


「バ、バニラ……」


 とっさに言葉が出てしまった。謙蔵自身、頭に浮かんだ単語をふと発してしまったことに気がつき動揺する。

 彼女はさらに顔を近づける。片膝を彼の太ももの間に乗せ、身体全体を乗り上げてしまっている。


「バニラ?」

「そ、そう。アイスクリームのバニラだよ。リングに『V』って入っているし……」

「言いたいことはそれでお終い?」

「え……とってもいい名前なんじゃないかな。甘くて美味しそうないい名前だよ。……あは、あははは……」


〝チン〟


 トースターのタイマーの音がタイミングよく鳴る。

 とっさにつけてしまった名前。

 普通のアンドロイドならば、『素敵なお名前有難う御座いまス』なんて言うところだろう。しかし、相手は謎多きアンドロイド、人に似すぎたアンドロイド、感情のあるアンドロイドである。

 謙蔵は、時間が経過するにつれて勢いで言ってしまったことを後悔していた。

 可笑しな理由でつけた名前。自由奔放なアンドロイドゆえ、何らかの被害さえ覚悟していたくらいである。

 謙蔵の喉元がゴクリと動く。


「……バニラ、ね。分かったわ」


 バニラと名ずけられた彼女は、謙蔵の上から降りて厨房へ行く。謙蔵は未だ身体を反らせたままの状態で固まっていた。

 バニラは相変わらず無表情で、皿にトーストを乗せて戻ってくる。


「朝ごはんにしましょう」


 バニラは静かに椅子についた。まるで今の出来事が何もなかったかのように。

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