第1話最終回 天翔る虹
――死んだのだろうか……。
謙蔵は目を閉じたままだ。今自分がどうなってしまっているのか分からない。現実がどうなっているのか、目の前に広がる光景がどうなってしまっているのか知りたい気持ちと知りたくない気持ちが葛藤している。
気持ちが落ち着いてくるにつれて五感が正常に機能してきた。左手にはハンディを握っている感触とボードに足が固定されている感覚が戻ってくる。耳をすますと風の音とブースターの緩やかなエンジン音が耳に聞こえ出した。それに加え、スチーム音のような水が蒸発する音も聞こえている。水しぶきだろうか、謙蔵の顔はいつの間にかしっとりと濡れていることに気がつく。その感覚によってまだ現実の世界――死んでいないことがなんとなくわかってきていた。
ボードが引っ張られる感覚がして、下から何か登ってくるのを感じている。後ろから手を回して何かひっついてきているのも感覚で分かっていた。
謙蔵がゆっくりと目を開けるとそこには驚くべき光景が広がっていた。
地平線から太陽が顔を出そうとして空は明るくなり、周りに漂う水しぶきがその光によって大きな虹になっている。地平線は明るいのに上空は星が輝いている。その境界線に七色に輝く虹が繋ぎ役とでも言うように誇らしげにかかっているのだ。
謙蔵はその絵に魅入り、感動している。先ほどの死の恐怖すらも忘れてしまっていた。
――ヘブンズゲート……。
謙蔵はその光景を見ながら恍惚の状態で呟く。
ヘブンズゲートとは空に魅了された者ならば、誰もが知っており誰もが憧れる空のこと。言い伝えはこうだ。
光と闇が入り交じり、天翔る虹霓が現れる時、その天空で舞う者こそが空を制す――。
謙蔵はその空を一度見たことがあった。父親と母親がまだ生きていた日のこと、三人で流れ星を観に出かけた日、とある高原で目の当たりにしたのだ。
父親と母親が亡くなってからもその空を追い続けた。その空で舞うことだけを考えて鍛錬してきた。自然にできたレールのヘブンズゲートで日々練習を重ねてきた。次に出会ったときは必ずトリックを決めてやろうと。
謙蔵の後ろにいた彼女は涙を流している彼を見て心配そうにしている。
「ご主人様? ……悲しいの?」
「いや……違うんだ……嬉しくって」
「そっか、人はいろんな感情で泣くものね。私にも分かる時が来るかし――」
「ちょっと捕まってて」
彼女の話を遮ったのと同時に虹めがけて加速する。首を掴まれた状態で滑りにくかったため、謙蔵は彼女を前に回してお姫様抱っこをする。
空に向けて高速で上昇したのち、彼女を抱えたまま宙返りした。
――フリップが限界か……でも、本当によかった。
「ねぇ、ちょっと。トリックするなら言ってくれない? 私にだって心の準備があぐっ」
謙蔵は彼女の口をふさいだ。
今だけは、今だけはこの光景に浸っていたかった。もうすぐ朝になってしまうだろう。虹も消えてしまうだろう。七色の門へ向かって彼と彼女は進んでいく。永遠にくぐれないそれを目指して。
第1話完結しました。
修正が終わり次第、第2話を投稿していきたいと思います。
第2話からアンドロイドの世界観がより分かってくるかと思います。いい面悪い面……沢山あります。倫理の観点を踏まえながら執筆していきたいと思います。
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これからもアンドロイド・イクスプェンツァーをよろしくお願い致します。