第四十一話:王女の新しい名前
シェリルも「あっ」と小さな声をあげて、その事実を思い出す。
末兄は自らの素性を隠すために、自分たちとは違う苗字を使っているはずだ。それなのに、妹である自分が『エイシェス』姓を使っていったら、迷惑この上ないだろう。
「シェリル・アドラムで誤魔化せれますかね」
スターリングがシェリルの名前とソルディスの偽名の姓をつなげて名前を作っている。
「まあ、一般的な名前ではあるな」
アドラムは珍しい姓だが、シェリルという名前は一般階級でもよく使われている名前だ。だが、どこでどうつながるかわからない状況で王族殺しとしての悪名高い『グレイ・エイシェス』の妹のシェリルと南方将軍の副官・オージェニック卿の珠玉の部下になる『ソリュード・アドラム』の妹となるシェリルが同一人物だという痕跡はできる限り消しておきたい。
スターリングとケイシュンが顔を突き合わせてうんうん唸っている横で、シェリルは「そうだわっ!」と楽しげに声をあげた。
「マージ……マージがいいわ。昔、そう呼んでくれる人がいたの」
自分をそう呼んでいたのは母である国王妃が母国・ロシキスから連れてきた侍女だった。その夫人はシェリルにとり、乳母の様なものであった。
彼女は母やシェリルしかいない場所で彼女の第二名である『マジェスト』を縮めて親しげに『マージ様』と呼んでくれた。懐かしい呼び声を聞けなくなって久しいが、自分にはまだ馴染んでいる名前だ。他に新しく名前をつけるより、きちんと反応できるだろう。
「マージ・アドラムねぇ」
「確かに、『シェリル・エイシェス』を知っている人が聞いても、他人の空似と通せるかもしれませんね」
北方にあるブロージェカから南方にあるレナルドバードまで距離があるとはいえ、その二つの都市を行き来する者はいる。
この少女が『他人の空似です』としらばっくれるのは無理だとしても、彼女の一番頼りになる末兄がどうにか立ち回ってくれるはずだ。そのためにも彼女の名前は『シェリル・エイシェス』から一番遠いほうがいい。
「それじゃ、今からその名前に慣れてもらうから。僕達は今後一切、君の事を『マージ』と呼ぶよ」
ケイシュンの持っている通行書は、彼の名前とスターリングの名前それから『同行・少女一名』としか書かれていない。大将軍がこうなることを見越して書類を作ってくれたのだろう。
「それじゃ、マージ。やっと半分だけど、頑張って走ってくれよ」
「わかったわ」
シェリルは軽やかな笑顔で答えると、自分が繰る神馬・ルシェラーラへと跨ったのだった。
一人、与えられた部屋にて報告用の書類を書いていたソルディスは、おもむろに立ち上がると窓から空を見上げた。
遠方の空に白い鳥の影が見える。あれは彼が待っていた答えを持つ鳩だろう。
到着にあわせてソルディスが手を出すと、鳩はすんなりと彼の指先へと止まった。
彼は鳩の足に括られていた手紙を片手だけで器用にはずすと鳥かごの中に鳩を入れる。鳩は抵抗することもなく入った。余程お腹が空いていたのか、用意してあった餌をすぐに啄ばみはじめていた。
それを目元だけで優しく見守り、やおらに机の上にあった手紙を開いた。
書いてある言葉は予想通りのないようだった。彼は部屋に備え付けられている階下の部下を呼ぶための紐を引っ張った。
暫くすると、静かなノックと共にドアが開けられる。
顔を出したのは自分が呼びつけた補佐官・マキシムとこの間から村で居候しているフレイルとウィンザだった。
「お呼びですか、副隊長」
「ついでに付いて来たよん」
「フレイル、お前は呼ばれてないだろ」
丁寧なマキシムの挨拶に重なったフレイルの明るい声をウィンザが嗜める。この光景はここ数日でよく目にするようになった。存外、この三人は息が合っているようだ。
ものごっつ久々の更新です。相変わらず、この天然役立たず王女さまは書きにくい。
更に言えば、スターリングも書きにくい。おかげで王女の部分だけで書きかけ放置をしてしまいました。
ソルディスの方へシーンが移ったら、すぐに話が進んだんですけどね。
とにかく、シェリルファーナの偽名はシェリル→マージへと変更です。