第四話 僕らの関係は上々。
昨日から町の上空でくすぶっていた雲は昼休みの鐘が鳴った途端、申し合わせたように雨を降らし始めた。放課後になって多少勢いはマシになったものの、間違っても小雨とは言えない。
「遠島さん……こんなところでなにしてるの?」
僕が屋上に足を踏み入れたとき、空と同じ色のコンクリートに突っ立って、彼女はただ見上げていた。
「何もしてないよ。直木、くんこそ、どうしたの?」
僕の方に透明な瞳を向けてくれたけど、そこには僕の姿がきちんと映っていない気がする。
「僕は……部室に遠島さんがいなかったから。何かあったんじゃないかと思って探しにきたんだ」
多少言葉が足りなかったのは自覚していたけれど意味は通じたはずだ。なのに遠島さんはちょっと大袈裟なくらいに首を傾げた。
「どうして?」
理由を聞いてるんじゃないということはわかるけど、何が聞きたいのかわからない。今の遠島さんと話をすればするほど、僕と遠島さんとの距離が離れていくような気がする。そしてそれは、彼女もそうだった。
「直木くん、には関係ないのに、どうして?」
心臓が消えてなくなったような感覚だった。実際そうなった方が楽なくらいの痛みだったけれど、心だけは手放すわけにはいかなかった。
「遠島さんが、好きだから」
たとえ泣くほど痛くたって、この気持ちがなくちゃ言葉に意味がなくなってしまう。伝えたいと想うことすら。遠島さんはあのときと同じように目を丸くして黙っていた。そして何かを呟いたけれど僕の方には聞こえてこない。僕は雨音をかきわけて遠島さんに近づこうとして、
「近づかないで!」
雷鳴の一瞬前、絶叫が僕の足を止めた。
「嘘だ、嘘だよ。直木くんは私を騙そうとしてる」
「え……?」
先ほどの告白の答え。それは予想した拒絶でも夢見た承諾でもなく、想定外の否定だった。
「そんな、どうして……」
「そういえば、直木、くんはいつも、私の、そばにいたね……私の記憶、があやふやなときは、いつも……」
「違うよ」
遠島さんの視線の意味を読みとって否定する。
「じゃあどうしてなの」
わからないとしらを切ることもできた。けどその言葉は彼女たちの存在をも否定してしまうような気がして喉から先に出なかった。
「それは、言えない」
「どうして……」
「きみのためだよ」
それを聞くと彼女はまるで笑わずにはいられないといった様子で息をもらし、やがてそれはけたたましい嬌笑に変わった。
「直木くんもそれを言うんだ……みんなとおんなじ」
ひとしきり笑うと遠島さんはゆっくり近づいてきて糊のようにどろっとした瞳で僕を見上げた。
「私のことなんて何も知らないくせに……私が何を望んでるかなんて知りもしないくせに……私のことを騙らないでよ」
僕はそれを聞いて、安心と喜びを感じた。自分の口元がゆるんでいるのもわかる。
「やっと言ってくれたね」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食らったような、遠島さんのあどけない表情を初めて見た気がして僕はさらに嬉しくなった。
「僕は鈍臭くて頭もあんまり良くないから……そうして言葉にしてくれないとわからないことがたくさんある。だから正直ついでにもう一つ教えてほしいんだ」
少し恥ずかしいけど、ちゃんと面と向かって言う。
「遠島さんは、僕に何をしてほしいの?」
「あ……」
しばらく動くことを忘れてしまったかのように固まっていた遠島さんは、ぽつりと不意にこぼれたように呟いた。
「信じさせて、ほしい」
俯いて、それでも僕の耳が拾えるくらいの声だった。
「直木くんの、こと」
「……わかった。どれくらいかかるかわからないけど、きっと信じてもらえるようになるよ。ただ、今日みたいに遠島さんを見失ってしまうのは嫌だから……」
そっと、遠島さんの手に触れるか触れないかというところまで手を重ねる。
「手を、繋がせてほしい、かな」
そのときの遠島さんの表情は残念ながら見えなかった。彼女は結局最後まで俯いていて、セミロングの黒髪が顔を隠していたからだ。だけど今このとき手のひらに感じた冷えた温もりのことを、僕はこの先ずっと覚えているだろう。
翌日、僕は風邪を引いた。雨の中で傘もささずにいたんだから当たり前と言えば当たり前の結果だ。そうなると同じことをした遠島さんが気になる。そしてその確認は意外な形で果たされることになった。
「なんだ、じろじろと気持ち悪い奴だな」
布団に起きあがっている僕の傍らにいるのは片膝をたてた遠島さん、じゃなくてリョウコさんだ。心の準備を知るために中座したときに入れ替わってしまったけど、我が家に来たのはもちろん遠島さん。リョウコさんから聞いたところによると僕が休んだことを知り、担任に住所を聞いてきたらしい。
「しっかし、何も賭けてないのが惜しかったねぇ。本当なら大穴百倍、あたしの一人勝ちだったってのさ」
「あの、それより足を下ろしてくれない? 目のやり場に困るんだけど……」
「あ……?」
リョウコさんはちらっとアブナいところまでめくれているスカートに目をやると、ひらひらと手を振った。
「今回の駄賃だ。見とけ見とけ」
「いや、だめだからね!?」
「こんの、色情魔!!」
「いった!!」
顔を逸らしていたので無防備になっていた頬が思い切りはたかれた。
「ちょっと和歌が心を許したからといって、調子に乗らないでくださいませ!」
「僕何もしてないのに!!」
「ぼくからのご褒美はもっとすごいやつなんだけど……もらう?」
「遠慮させてもらうよ!」
たちまち僕の部屋が騒がしくなってしまう。
「あ……私、何してた?」
それでもこれが。
「僕と話してたよ」
「………………うん、そっか」
みんなが幸せであるようにと願った僕の望んだ日常だ。
どうも。弥塚泉です。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
翔太郎と六人の彼女たちのかけあいというか雰囲気というかそんなものが「なんとなく好き」になっていただければいいなあと思ってます。
くすっとくるものにしたかったのですが、コメディは苦手なので……。
楽しんでいただけたなら幸いです。






