第二章 数多の天雨(1)
『伝達者』、金網鶴美の指示に従って、ぼくは括木市にある唯一のビジネスホテルへとだらだらと自転車をこぎ続けていた。
なぜぼく一人がわざわざ出向かねばいけないのかは分からないけれども、それが先方の突きつけてきた条件であるのだから、従うしかない。まあどちらにせよ、雪音は自転車に乗れないらしいので、二人で向かうなど到底無理なのかもしれないけれど。二人乗りという手もあるが、この自転車、まず後ろ側に荷台がないし。
ビジネスホテル『安らぎ』は、雪音の家から大体、徒歩で一時間以上、自転車では四十分ほどかかるくらいには、距離が開いている。第一、此処括木市は、無駄に敷地がでかいのだ。何でも、昔に近くにあった小さな市町村と合併した結果、無駄に敷地が広くなってしまったらしい。
そんなことは、どうでもいいことだけれども。
「っつーか、案内役ならついてこいよ……」
自分のことを『伝達者』だと名乗った金網鶴美は、同時に自分はぼくと雪音を雨量風雨と繋ぐ『仲介者』であり『案内役』でもあると言っていたのだが、しかし彼女はぼくに『安らぎ』へ向かうように指示してすぐにその姿を消してしまった。勿論、雪見酒雪除の時のように、一瞬で姿をくらましたわけではないけれども。どうやら、彼女はぼくと同じように能力者ではないらしい。
別にだからと言って、そこに何らかの、同類意識のようなものは芽生えはしなかったけれど。
第一に、ぼくは雪見酒雪音という超能力者に使役されているわけではないのに対して、彼女、金網鶴美は雨量風雨という超能力者に使役されているのだから、その違いは、大きいし、何より、ぼくはそんなやつと、同類だとは、思いたくない。
可愛かったけれども。
いや、そんなことは関係ないんだ。
自転車のペダルが徐々に重くなっていく。第一、ぼくはまだ足の怪我を完治させていないので、本来ならこんな運動などしたくないのだけれども。まったく、つくづく、こちら側のことを考えてくれないやつだ。いや、雪見酒雪除のような変人の知り合いだから、多分、そいつだって変人奇人の類なのだろう。だったら、気遣いの有無など、なくてもさほど不思議ではないか。
ゆっくりと、足に負担をかけないように自転車をこぎ続けて、ぼくはようやくビジネスホテル『安らぎ』の前に到着した。ホテルの種類の区別が、イマイチついていない僕だけれども、しかしこの『安らぎ』が、結構立派な造りをしているんじゃないかなとは思った。それは多分、ぼくがホテル慣れしていないことも関係しているかもしれないけれど。第一、ホテルなんて小学生は普通滅多に使わない。
建物から少し離れたところにある駐輪場に自転車を止めて、ぼくは建物の中へ入った。敷き詰められた絨毯には、どういうことかまったくほこりが見受けられない。土足でいろんな人が踏みしめるのだから、土だとかほこりだとかで汚れていても、まったくおかしくはないと思うのだが。むしろ、汚れていないことのほうがおかしいのではないだろか。
気になって辺りを見渡してみると、受付嬢らしき人と目があった。目があったなら、会話をしてみよう。尋ねてみるのが手っ取り早い。何より、ぼくはまだ雨量風雨の借りている部屋番号を知らないのだ。
『伝達者』『仲介人』『案内人』。三つの通称を名乗った金網鶴美。しかし伝達以外はまったくこなせていないじゃないか……。
ぼくの中で、まだ一度しか会ったことのない年上女性の株が急降落していった。
なんだろう。印象って、大事だと思うんだけれども。しかしぼくの中での金網鶴美の印象は、ことごとく悪い気がするけど。
閑話休題。
「すいません」
「はい? なんでしょうか」
おお、この受付嬢、ぼくのような子供にも敬語を使ってきたぞ!! 仕事だから当たり前ではあるのだろうけれども、しかしちょっと優越感。
「ここの絨毯はどうしてほこりが落ちていないんですか?」
「……はい?」
気まずい沈黙が流れた。
あれ? おかしいな……。
雪音がいないせいか、普段の調子が出ていないのだろうか。どうも、今のぼくはいつものぼくとは違う気がする。
なんというか、会話が、下手だ。
「ええっとですね、当ホテルでは、定期的に自動掃除機によるロビー及び廊下の掃除を行っているんです。お客様に快適にお過ごしいただけるようにする為の配慮ですね」
つまらない答えだった。
つまらなすぎて、むしろなんて反応したらいいのか分からなくなる。
「じゃあ、雨量風雨という男の借りている部屋番号を教えてください」
受付嬢は、絵に描いたように唖然としていた。
■ ■
ぼくにとっての『家族』とはつまり、父親であり母親であり姉であったのだが、しかしその三人はすでにこの世からは消えてしまっていた。ぼくが、雪音とともに暮らすための、それは一種の決意表明のようなものだった。
『家族』を殺す手順は、簡単だった。
家にある料理用の包丁四本を事前に取り出しておき、まず、姉を、刺殺する。すんなりと殺すことは、さすがにできなかったけれども、まさかいきなり弟に殺されることになるなど思ってはいない姉は、ぼくに腹を刺されるまで、まったく殺意に気付いてなどいなかった。殺意なんて、放った覚えはないから当然と云えば当然かもしれないけれど。
放ってもいないものを、読み取れるわけがない。
腹にナイフを刺された姉の顔には、ぼくの予想とは裏腹にまったく驚愕の色は浮かんでいなかった。ただ呆然と自分に刺さったナイフとぼくの顔を見比べる。恐らく、認識できていなかったのだろう。
現実を、認識できていなかったのだろう。
ぼくは姉の腹からナイフを抜き出すと、素早く傷口を蹴った。姉の重い体が、床に転がる。ぼくは、倒れた姉にのしかかるようにして血の付いたナイフを更に姉の胸にめがけて振り下ろした──。
■ ■
「何をしているのでしょうか?」
「えぇっと、雨量風雨の部屋番号を尋ねていたんですが」
「でしたら、こちらに」
言って、『伝達者』『案内人』『仲介人』金網鶴美は歩き出した。その後ろ姿に慌ててぼくもついていく。ホテルの階段を登ると、二階の廊下を進んでいく。ホールと同様に、赤い、綺麗な絨毯が敷かれていた。その上を、楕円形の機械が滑らかに、滑るようにと進んでいく。どうやら、あの機械が受け付け嬢の言っていた掃除ロボットらしい。そう言えば、母親が前に、テレビを指さして「こんなのがあったら楽なのにね~」なんて漏らしていたことが、あったような気もしないでもないけれど、なるほど、確かにこんなものがあれば主婦の仕事も多少は楽になるのだろう。雪見酒の家に往むようになってから、何故か掃除洗濯炊事はぼくがやることになっているので、その利便性と作業効率の良さによっては、購入しても良いのではないかとも思う。まあただ、ぼくは家族を殺した時に姉と両親の財布やら貯金箱やらから盗み取った――否、一応遺族なのだから譲り受けたと言おう――お金しか持っていないから、こんな物を買う余裕なんて、ないのだけれども。
余談だが、生活費は毎月一日に、雪見酒雪除から振り込まれているらしい。どれだけ娘のことが好きなんだ、あの変態は。いや、親としては、当然のことなのだろうけれども。
閑話休題。
ショートヘアでへそ出しティーシャツにホッとパンツな見た目中学生くらいのお姉さん(少女と言った方が言いのだろうが、しかし矢張りぼくから見たらお姉さんだ)、金網鶴美に連れ添って歩いていたぼくは、二階廊下の突き当たりにある07号室の扉前へと辿り着いた。
「どうぞ」と金網鶴美に促されて部屋に入ると、外とは違って殺風景な部屋の様子が目に入る。
隣り同士に、しかし少し距離を置いて設置されたベッドと、小さめのブラウン管テレビ。カーテンの開かれた窓から見えるのは、みたところで何の面白みもない道路。
部屋に入り、扉を閉めると、横にもう一つ扉がついているのに気が付いた。恐らくはトイレだとかお風呂だとかがあるのだろう。
ぼくは雨量風雨の姿を探すべく辺りを見渡してみるが、しかしそれらしき姿はまったく身請けらない。どこかに、でかけているとでも言うのだろうか?
尋ねるべくして、ぼくは後ろにいる金網鶴美へとへと首を回した。
瞬間。
背中から、衝撃が走る。
何かに吹き飛ばされたぼくの体は、そのまま地面に叩きつけられ、不様に転がる。
「ガハァッ――――!?」
息が出来ない。
肺が圧迫され、空気が漏れた。
立ち上がろうとして手をつくが、怪我をした足に鋭い痛みが走り、ぼくは腕を曲げとしまった。
「ごめんね、悠久君」
声をかけられる。
見れば、何時の間にか指出しグローブをはめた金網鶴見が、冷たい目でぼくを見下ろしていた。更に彼女の右足の太股には、革のベルトのような巻き付けられており、そのベルトについたポケットには医療用のメスにも似た、何本かの刃物が収納されている。どうやら、足に走った鋭い痛みは、彼女が投擲したナイフが突き刺さったからなのだろう。怪我人の怪我した場所にナイフを投げつけるなんて、まったくなんてやろうだ。
しかし、何時の間にあんな物を? 部屋の入り口に隠してあったのか……?
それに、ホットパンツを履いているのも、恐らくはこのベルトを巻き付け易くするためだったのだろう。
抜かりがないな。
用意周到というか、なんというか。
どうやら、ぼくは罠に嵌められてしまったらしい。
こんな時に、雪音を連れて来なくて正解だったな、なんて考えてしまうぼくは馬鹿なのだろうか?
兎も角、
「雨量風雨の所に、案内してくれるんじゃなかったんですか?」
足に刺さったナイフを抜いて、フラフラとよろけながらもなんとか立ち上がって、ぼくは金網鶴美に問い掛けた。それに対して、彼女は答えなかった。ただ、無言でナイフを構える。
「私は『案内人』だから、悠久君、貴方を風雨の元へと案内してあげる。
私は『仲介人』だから、悠久君、貴方と風雨の間を仲介してあげる」
とん、と地面を蹴って、金網鶴美は真っ直ぐにぼくの元へと駆け出した。
「そして私は『伝達者』だから、悠久君、貴方に風雨の伝言を告げる」
彼女の手から投擲されたナイフを、ベッドの影に飛び込むようにして避ける。
「『俺だってそう暇じゃねえ。ゲームをしよう。鶴美を倒してヒントを得て俺を探せ。一度倒す度にヒントは一つ。ヒントの合計は三つだ。俺の暇潰しに付き合ってくれたら俺が良い事を教えてやる』」
………………。
始めと終わりで矛盾してるじゃねえか!!
いや、そんなことに突っ込んでる場合じゃない――。
「まったく、とんだ暇潰しもあったもんだ」
というか、自分は参加してないのに、暇潰しになるのか?
「――勝負の最中に上の空ですか?」
とん、と軽い音と共に、金網鶴美は地面を蹴った。年齢差といい体格差といい、更には相手が武器を持っていることといい、どう考えても分が悪いというのに、更には相手は戦いに馴れているようだった。
中空で彼女はベッドの裏のぼくに当たるようにナイフを投げる。
ただでさえ室内は狭いのに、ベッドの裏で横たわっていては、逃避すらままならない。
逃げ場は、一つ。
ベッドの下。
しかしその一つの逃げ場に逃げこめば、地面に刺さったナイフのせいで後ろにも下がり難くなるし、もう片方の出口から出れば相手の真正面に出ることになるだろう。転がれるような空間も、ベッドの下にはないだろうし。
八方塞がり。
身動きが出来なくなることは目に見えていた。
しかし、それはあくまでも無傷でナイフを回避しようとすればの話だ。
つまり、平たく言えばぼくは、横たわったままナイフの放物線上に自らの左腕を差し出した。
「――――ッ!!」
鋭い痛みが腕を駆け抜ける。
しかし歳上とは言え、少女の力で投擲されたナイフにはそこまでの威力はない。
ぼくは腕に突き刺さったナイフを抜くと、すかさずベッドのシーツで血を拭った。更に先程避けたナイフ二本も拾っておく。
これで、ぼくの手元にあるナイフは四本だ。
相手のナイフが後何本かはわからないが、恐らくそれ程多くは持ち合わせていないだろう。
ゆっくりと、両者無言のまま時間が過ぎる。
膠着状態。
ぼく自身、ベッドの影に隠れているので滅多動きを見せることはできなかった。何より、未だに足も腕も鋭い痛みを放っているのだ。できれば、あまり動かしたくない。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「何でしょうか?」
「これ、どうやったらぼくの勝ちなんでしょうかね? 第一、あと二回もこんなことをやるなんて、互いに面倒でしょう。どうです? ここでいっそぼくを雨量風雨の下に案内してみませんか?」
「それは無理かな。私だって面倒だし、その真意は読み取れないけれど、なんか考え合っての行動みたいだし」
「考え?」
こんなことをする必要性。
考えがある、とは言うものの、なら一体どんな考えが? 先程金網鶴見の言った暇つぶしというのは、ただの詭弁だという事か?
それは、こんな手間をかかることをわざわざさせるというのは──。
「時間稼ぎ……か?」