第二章 数多の天雨(序)
間章(感傷)
悪い夢を見ているかのようだった。
雪見酒雪音の姿が揺れる。
ゆらゆらと、蜃気楼のように。
手は、届かない。
雪見酒雪音の姿は、体は、ぼくの手を容易くすり抜けて、消えてしまう。
消え去ってしまう。
それは、どうしようもないことなのだろう。
だからぼくは、呼ぶ。
叫ぶ。
雪見酒雪音の名前を、叫ぶ。
喉が避けそうになって、実際、喉からは血がだらだらと流れ落ちて──。
声が、でなくなって。
そこで、初めてぼくは、後悔することになる。
『過程』を切除したぼくは、『結果』をえられないまま。闇に沈むことになるのだった。
終わりよければすべてよし。
つまり逆説的に、『終わり』が悪ければ、『過程』がどれだけ良かったとしても、意味がないのだ。
そして、良い『終わり』を迎えるためには、その『終わり』へのルートを、『過程』で築かなければならないのだろう。
だから、『終わり』だけではだめなのだ。『結果』だけではだめなのだ。
ぼくは──、今まで、勘違いをしていたのかもしれない。
『結果』を得るための『過程』を重んじていなかったからこそ、こんなことになってしまったのだ。
そう、『過程』をないがしろにさえしていなかったら、ぼくはきっと、雪見酒雪音を失うことなど、なかったのだろう……。