第一章 炎の雪解け(3)
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「ここで、いいのかしら?」
「ええ。ここだったら住宅街が火の海に包まれるようなことはないでしょう」
雪音が睨みつけるように言うと、数住文理はふっと笑みを浮かべた。凛々しい顔に浮かんだ笑みは、矢張りどこか格好よさを備えているような気がする。
普段は草野球なんかで使われている広場はよく整備されているのか雑草一つ生えておらず、時間帯も時間帯だし、誰かが練習を行っているという事もなかった。道からも外れているし、高いフェンスもあるので、あまり人目につくこともないだろう。まったく、漫画ならいざ知らず、現実で超能力バトルを行うというのは些か以上に周りに気を使う必要性が出てくるようだ。別にぼくは周りの家々が燃えてしまおうがなんとも思わないのだけれども、しかし雪音がそれを許してはくれなかった。
「数住文理。あなたが『出雲工業』の横領事件の関係者を焼殺していた犯人、でいいのかな?」
雪音が静かに問いかける。それに数住文理は「ええ。そう。そのとおりよ」と相槌を打った。どうやら、否定する気はないらしい。
「でも、へえ……。小学生、だよね?」
「うん。そうだよ。年齢的には小学生だね。まあ通ってはいないけど」
「不登校児、って奴か。まあそうだね。その見た目なら虐められてもおかしくはないかもね」
「────ッ!!」
息を呑む。雪音の顔から表情が消えた。うっすらと陰に隠れたその顔には、小さな涙が見えているような気がした。まったくこれから殺し合おうという相手に泣かされやがって。もしかしてこいつは、今までもこんなだったのか? だったとしたら、今まで生きてこれたと事態が不思議なくらいだ。雪音の話では、ぼくと出会う以前から、一人で何人かの超能力者を打ちのめしてきたようだけれども、今の彼女を見たら、それが途端に嘘くさく感じられてしまう。いや、それよりも、だ。それよりも、今ぼくの心に渦巻いているこの感情はなんだ? ドロドロとした、黒々とした、感情。今までに、感じたことのないような感情。激情。体が、持って行かれそうだ。ぼくという個体の主導権を、この感情に持って行かれそうになる。どうするかなんて、考えている暇はない。理性が弾けそうだ。ぼくは、その感情に、その激情に、身を任せてみるとしようか。
右足で、地面をける。流石、よく整備されているだけあって、滑らかなスタートダッシュが切れる。そのまま、数住文理の懐に潜り込んでぼくが右拳を叩き込んだ。あまり喧嘩には自信がないのだけれども、しかし鳩尾がどこかくらいは把握している。ぼくの拳は、数住文理の鳩尾に深々と食い込んだ。さらに、拳を引いて右足を横凪に振る。身長差があるから、狙うのは──足だ。
「元気がいい子供は、嫌いじゃない、よっ!!」
一瞬、足に熱を感じた。
──瞬間。
──刹那。
視界が、爆ぜる。
「あ、があぁぁぁぁぁぁぁっ────」
口から洩れるうめき声。広がる痛み、熱。ぼくの足が、焼けただれている?
超能力者。これが、超能力者か?
「悠久!! 悠久!!」
雪音の声が近くなのか遠くなのか。痛みで他の感覚が麻痺しているのか。分からないけれど、しかしここで立たなければ、雪音に動揺を与えてしまう。ぼくは無様に転がったまま、そんなことを考えていた。右足に力が入らない。両手で体を起こし、左足で体重を支える。半ズボンでよかった。長ズボンだったなら、多分もっとダメージは大きかっただろう。
「はぁ……。へぇ、これが、超能力か」
数住文理をにらみつけるようにして言う。
「いや、こうして初めて食らってみて分かったよ。こいつは、本当にそこらの兵器より殺傷性が高そうだ」
「ふぅん。減らず口は、叩けるのか」
薄く笑いながらぼくを見下ろす。別に、ぼくにとどめを刺そうとかそういう考えはないらしい。危険視されていないのか、それともどうでもいいのか、相手の考えは分からないけれど、今この状態で何かされたらよける自信はないので、ぼくからしたらありがたい話だ。
「だ、大丈夫? 悠久」
駆け寄ってくる雪音の目は、赤かった。いや、元から赤いのだけれども、しかし涙やけというのか、泣いた後特有の赤い跡が残っていた。
「大丈夫だよ。大したことはない。少し火傷しただけだ」
怪我の跡は残ってしまうだろうけれども、しかし後遺症が残るほど酷い怪我でもないだろう。
「それより、あいつが使うのは炎だってのは事前からわかってたけど、まさかあんな使い方をするなんてな……。今の、絶対爆発してたぜ?」
「うん。分かってる。さっき見たとき、数住文理は悠久の足に向かって何かを投げてた。あれは、多分火薬か何かだと思う……。そうでしょ? 数住文理」
雪音に問いかけられて、数住文理はええとうなずく。どうやら、隠すつもりはないらしいな。つくづく、ぼく達のことを嘗めきっているようだ。
「一つ、聞かせてくれないか?」
「何かしら? 手短にお願いね。私も別に暇じゃないから」
「どうして、こん事件を起こしたんだ? 別に、わざわざあんたが手をこまねいて、出雲康成っていう囮を用意してまで、人を殺す必要はなかっただろ?」
「動機を聞きたい……ってわけ? ふうん。子どもってのは好奇心旺盛なんだね。でも、だったら私からも聞きたいわね。どうして私が犯人だって分かったのか……。いや、それは少し考えればわかることか。じゃあ、そう……どうしてわざわざ貴方たちみたいな子どもがわざわざ危険を顧みず私に関わってきたのかな?」
「それは──、別に深い理由なんて持ち合わせてないんだけどね。しいて言うなら興味本位、ただの好奇心かな」
雪音が答える前に、ぼくが答える。まあ、別にこんな問いの答えなんて、本人以外には真実かどうかの判別もつかないんだから、適当に答えても差し支えないだろう。それに、別に嘘をついているわけでもない。ただ単に、理由の一部を隠匿しただけだ。それも別に、大した理由もないのだけど、矢張り此処で、ぼくが雪音に抱いている気持ちを知られるというのは些か憚れるものがあるから、か。
「へぇ、好奇心は猫をも殺すなんて言うけれど。子どもも例外ではないみたいね」
「殺すって、別にぼく達はまだ殺されてないんですけどね。──なあ、雪音?」
「え? あ、うん。まったくその通りだね」
「ふふ……仲が良いのね」
数住文理に言われて、雪音は顔を真っ赤にする。だから、お前は普段が普段だけに分かり易すぎるんだよ……。そんなんだから、ぼくは思わず勘違いしてしまいそうになるんだ。
「そんなことより、早く話を本題に戻してくれ」
数住文理、お前が暇でないように、ぼく達も暇ではないんだから。
「はいはい。分かった分かった。まあ、単純に動機というと、そうね。使い勝手を試すため、かしら? 出雲康孝から貰ったこの能力を試すためにこの事件を起こした。出雲康孝が犯人であるように見せかけたのは念のためね。というよりも、私は三人を殺した後に出雲康孝に罪を着せて、そこで事件を終わらせようという算段だった。ただまあ迂闊なのは貴方たちみたいな子どもに出雲康孝のカードを拾われたこと。でもまあそれは逆に運がよかったのかもしれないわね。油断しすぎていたわ。私は絶対につかまらない確信があったから──いえ、勿論根拠のない革新ではあるけれどもね。私は出雲康孝の『アリバイ』を視野に入れてなかったのよ。まったく、私は昔から抜けているというかなんというか……」
数住文理の言葉に、雪音が眉をひそめる。
「ま、待って!! 出雲康孝から貰った能力ってどういうことなの!? 能力の受け渡しなんて、聞いたこともない!!」
「受け渡し、とは少し違うわね。まあ、というよりも出雲康孝──彼が超能力者であることも最近知ったことだし。だから能力の事を知ったのは本当に偶然。その偶然に更に横領事件なんて偶然が重なった結果、私は目標をその関係者に絞った。一般人と犯罪者なら、その命の価値は、決して平等ではないでしょ?」
「関わった、なんていうならあんただって関係者じゃなかったのか?」
「ええ、そうね。だからまあ、私も犯罪者になるのかしら? それでも一応、逮捕はされなかったけど……」
「そ、そんなことはどうでもいいの!!」
声を張り上げて雪音は数住文理に突っかかる。
「能力の受け渡し!! 私が知りたいのは、出雲康孝の能力をどうしてあなたが持ってるのかってこと」
「どうしても何も、それが私の能力だというだけよ。私は人の能力を奪う能力を持っているってこと。えぇっと、彼はそれを『分離』って言ってたかな?」