少女の目的
「発ッ!!」
「あきゃっ!!」
ヘクセのガードする腕に添えられるようにかざされた僧兵の掌が、一気に吐き出された呼気と共にヘクセの腕に触れ、次の瞬間、ヘクセは数mほど空を舞った。
「~~!!」
大地に叩きつけられたヘクセは呼吸すら思うままにできず、鼻水やら涙やら胃液やらを垂れ流し、手足をあべこべのほうにばたつかせてのた打ち回った。
* * *
「……うぅ、ぽんぽん痛ぁい」
しばらく後、縁側で横になりながら、ヘクセは呻いていた。
「あんな無茶するからだ」
ヘクセの手当てをし、カイはあきれたように呟いた。
「でもねー。一度、発剄ってやつは受けてみたかったんだよね。
まさかここまで効くとは。手加減してもらってもきっついねー。
もうね、ガードなんか関係ないのね。
衝撃が直接内臓に響くっていうの?
……うぅっ、とーぶんご飯食べらんないかも」
話してる途中で、つらさがぶり返したのか、青い顔で呻くヘクセ。
「ここの錬気術は特殊だからねぇ。
どの地方の魔術とも戦闘術とも違う。
人でありながら、人を超えようとする技術だ。
正直、体験しても信じられないものがあるよ」
目の前の庭では、十数人の僧兵が一斉に同じ型を繰り返している。
「しかしカフール武術というものは面白いね。
普通なら筋肉を鍛え上げる、力を込める、速さを求める、それを追求したほうが強くなりそうなものなのに……。
あの型を見てよ。大きく振りかぶりもしない。
なのに、しっかり大地をふむ力から、呼吸から、余すとこなく力をくみ上げ、拳に集約している。
人体の構造を知り尽くした上での無駄のない動作。
徹底して合理的なのに、哲学的ですらある。
……面白いもんだ」
ヘクセは興味津々といった様子だ。
「……問題は修得の難しさだよねー。
目に見えにくい部分を鍛えるし、修得には理解が必要だけど、判り難いときている。
他人に教えてもらえる類のもんでもないしねー。
ある程度の水準までなら、単純に筋肉を鍛えたりする現代の戦い方のほうが分かりやすいし、目に見えて強さが実感できるだろうし。
……はやんないわけだよねぇ」
ヘクセは調子悪いくせに、一人で延々と喋り続ける。
「お前はカフール錬気術を学びに来たのか?」
カイは思わず尋ねた。
「微妙に惜しい」
ヘクセは寝転がったまま横目でカイを見て微笑んだ。
「ヘクセー! 持ってきたよー!」
とてとてと向こうからアティアが何冊もの本を抱えて走ってくる。
「アティアお帰り~」
ヘクセは起き上がると、アティアの頭をなで、本をぱらぱらと開いた。
「……これは違う。……これは知ってる。……これは……ビンゴだ!
すごいよ、アティア! えらいえらい♪」
ヘクセはお目当ての本を見つけて、嬉しさのあまりアティアの頭を撫でくりまわす。
「……何を取ってこさせたんだ?」
「うん、カイ、私ね、気づいちゃったんだ。
アティアなら、私の入れない場所でも入れちゃって、ノーチェックで何でも取ってこれちゃうんびぎゃっ!」
言い終える前に拳骨が降ってきた。
「こんな小さい子を、お前の犯罪行為に加担させるな」
「犯罪じゃないよー。
犯罪って言うのは、その国の法律で定められたルールを破ることだもん。
アティアが本を持ってくることも、それを私に見せることも、法律は禁じてないんぎゃ!」
またも拳骨。
「カイー! ヘクセをいじめちゃダメー!」
「アティア~。お姉ちゃんを守って~」
「誰がお姉ちゃんだ」
カイはアティアに泣きつくヘクセを呆れた様子で見下ろすと、いじらしくもヘクセを守ろうとするアティアの頭を撫でた。
「いじめてないよ。ちょっと叱っただけだ。」
安心させるようにカイは微笑んで見せた。
「へぇ。そんな顔も出来るんだ。
……妹か妹分でもいた?」
カイはへクセには仏頂面に戻る。
「お前に話すようなことはない」
「うーん、そこまで露骨に顔に出されちゃうと傷ついちゃうな~」
かけらも傷ついた様子もなくヘクセは軽口を叩くと、本をぱらぱらとめくる。
「アティア、これ面白いよー。
これは山神の巫女に関する文献だねぇ。
ほら、これは歴代の巫女の名前だ。横に在位まで書いてある。
ここを見てごらん。祖霊神の妻、つまり聖皇母の名前がある。
伝承の巫女とはこの山の巫女だったわけだ。その次の代は聖皇母の妹だな。
なるほど、聖皇母が祖霊神の奥さんになっちゃったから、役目を引き継いだわけか…。
……ん? 聖皇母以降も巫女が存在したってことか?
……聖皇母以前の巫女は……これはこれで興味深いなぁ……」
「ヘクセ、どこが面白いかわかんないよー?」
しばらく一緒に覗いてたアティアが不満げにヘクセを見上げる。
「この面白さはアティアにはわかんないだろうなぁ。
歴史の真実が少しずつ垣間見れる瞬間っていうのは、例えるなら、そう…長年惚れ抜いて口説き落とした女をベッドに横たえ衣服を一枚ずつ剥ぐふぅっ!!」
カイの拳が容赦なくとんでくる。
「なんで、例えがおやじくさいんだ?」
ヘクセはしばらくその場でうずくまっていたが、脅威の回復力で立ち直った。
「じゃあ、アティアに面白い話をしてあげよう。
アティアはラスカフュールのお話は知ってるかな?」
「んーとね、たしか祖霊神さまが山神さまに神の力を渡しちゃったんだよね?
それで聖皇母さまと結婚して、いつまでも幸せに暮らしちゃって、はっぴーえんどなんでしょ?」
「そうそう、それ。
ラスカフュールが巫女に恋をして、山神に3つの取引を持ちかけ、ラスカフュールの持つ神の力を山神に譲ることで、巫女を手に入れたというカフール皇家の出自の伝説だ。
ところでこのお話に出てくる山神さまって、どんな姿をしてると思う?」
「ヘクセ、知らないのー? 山神さまは『人の形をお持ちにならない』んだよー」
アティアは『そんなことも知らないなんて、しょうがないなぁ、もぅ』とでも言いたげな顔でヘクセを見た。
「そうそう。アティアは賢いねー。
山神は人の形を持たない。これは神話や伝承でも明言されている。じゃぁ、どんな姿をしていたのか?
この国の神話を体系化した『カフール書記』にはこう書いてある。『山神は姿は見えず、人の形を持たず…』 だけど一方で、同時期の『山陰記』ではこう書かれてる。『山神はその長い胴体で山を包むようにとぐろを巻いた』
では問題です。カフール皇国の紋様に描かれている動物はなんでしょう?」
「……龍か」
カイは思わず口を挟んだ。
「はい、カイ君正解!どんどんぱふぱふ~♪
実のところ、神話における山神は龍神なのだよ。
姿を見ることも出来ない。もちろん人の形を持つ訳もない。だけど、昔の人たちは誰もが山神は龍だと信じていた」
ヘクセはアティアの頭を撫でながら言った。
「じゃあ、祖霊神さまは龍神さまに人の形をあげようとしたの?」
「そうなるかな」
「そんなのダメって言われるに決まってるじゃん!
祖霊神さまって変なの。龍のほうがかっこいいのに。」
「あはははっ。 アティアの言うとおりだ。
ラスカフュールはおかしいね。どれほど憧れても龍は龍、人は人にしかなれないのにねー。」
ヘクセはアティアの頭を撫でながら言った。
「龍の伝承はいろいろあってね。龍退治の話とか、あるいは龍が地形を変えたとかいう話まであるんだよ。なんならいくつか聞かせようか?」
「聞きたい!」
「よし、それじゃぁヤマタノオロチの話は知ってる? ……」
* * *
いつしかアティアはヘクセの膝に頭を横たえて眠りについてしまった。
ヘクセはアティアの頭をそっと撫でる。
「……カフールの歴史を調べに来たのか?」
その様子を眺めながらカイは尋ねた。
「ふふふ。それも惜しい」
そう言ってからヘクセはチェシャ猫のような笑みを浮かべてカイを見た。
「…大僧正に頼まれたのかい? 私の目的を探れとでも?」
カイは思わず黙り込んだ。
「別に教えても構わないんだが、私だけというのはつまんないなぁ。
カイがここにいる目的でも聞かせてくれたら、教えてあげてもいーけど?」
「………」
カイは沈黙を続けた。
ヘクセはその様子を見て喉の奥で笑った。
この回の作者はえんや