青年と貧乏くじ
「久しぶりだな、息災か」
「はい、おそれいります」
黒髪の若き青年剣士-カイが深々と頭を垂れた相手は、かつての師の一人で現在はスーリン僧院の大僧正を勤める男だった。
カイがこの地で修行をしたのがもう7年ほど前、いや、さらに遡って12年前には、まだ武術指南役の一人であった男である。
「はは、私にこのような姿は似合わんだろう」
「不思議と違和感はありませんよ」
「世辞も言えるようになったとは成長したな、カイ」
嬉しそうに目尻の皺を深くする。その目はまだ幼かった頃のカイを見ているようだった。
「理由は聞くまい、ここでの滞在を許可しよう」
「おそれいります」
「どうせ聞いたところで答えられんのだ、聞くだけ無駄というものだ」
カイはカフール皇国の第二皇女セラフィナに仕える隠密剣士であった。
しかし今、カイは国を出奔したセラフィナの元を離れ、一人、祖国であるカフールに戻っていた。
当然、そこに事情がないわけはない。
だが、それを容易く語れるのならカイはここへは現れなかったろう。
大僧正は正しく見抜いていた。
カイはその心遣いに深く感謝した。
僧院の様子は昔とあまり変わっていない。クォンロン山の麓に位置するこの僧院は、山頂に祭られた祖霊神の霊廟を守るだけでなく、カフールにおける武道の総本山的役割も担っていた。この山を守る誓いを立てたものは特別な儀式を行い山へ踏み入ることを許されるが、他の大勢の門徒は武術の基礎を学び、各地へ散っていくのだ。そして、カイももちろん後者であった。
「そうだ、面白いものを見せてやろう。ついてこい」
「はっ」
誓いを立て、特別な儀式を行った者は、基本的に山から離れることはない。
その為、外部からの来訪者は「面白いもの」であった。……つまりカイもそうなのだが。
「他にも来訪者が?」
「いや、珍客だよ」
大僧正は背中で返事をし、振り返ることなく歩く。カイもそれに無言で付き従った。
大僧正は、僧院の中でも特に奥まった一角へと進んでいく。カイの記憶が確かならば、その先にあるのは反省房だ。カイは僅かに眉根を寄せた。
「他の者から遮断する必要があるほどの珍客のようですね」
「まあ、見れば意味は分かるだろうよ」
大僧正が足を止め、カイが先に進むよう促す。角を曲がり、反省房の並ぶ廊下へ出たカイは、振り返った少女と目が合い足を止めた。
「……なるほど、隔離の必要がありそうだ」
「アティア、奥の院から出ないようにと申し付けておいたろう!」
大僧正が驚いたように飛び出し、少女をとがめた。
「だって、ヘクセとおともだちになったんだもん」
「だが、約束してあったはずだ」
「ちゃんとおべんきょ、終わらせたもーん」
少女は何故怒られているのかわからないといった表情で大僧正を見上げている。
「あー、彼女はアティアだ。理由あって奥の院で預かっている」
頭を抱えながらカイにアティアを紹介する大僧正。その途中で横槍を入れたのは独房の中の人物であった。
「私の紹介はないのか?」
「わたしが紹介する! ヘクセよ、わたしのおともだち!」
声は少女。反省房の中を見ていないので外見は分からないが、アティアより年上なのだろうと思われた。
……女人禁制のスーリン僧院に、何故二人も女性がいる?
「こちらが珍客だよ。何十年も破られていなかった結界の中に突然迷い込んだ子だ」
「ヘクセは珍客じゃないもん。おともだちよ」
「混乱するからアティアは黙りなさい」
「それよりお兄さんはだーれ?」
アティアという少女は好奇心が旺盛なようだ。カイは困っている大僧正への苦笑を咳払いで押し隠し、アティアに向き直った。
「カイだ。しばらく僧院で世話になる」
「アティアよ。あなたもおともだちになる?」
アティアに差し出された右手に戸惑いながらも、カイは右手を差し出した。
アティアは両手で包み込むように手を握るとぶんぶんと上下に振って笑った。
「はい、これでおともだち。カイも外のことをいろいろ知ってるんでしょ?」
「少しはな」
「ヘクセとどっちが物知りかなぁ。ヘクセの話って面白いんだよ!」
カイが困って苦笑を返すと、大僧正がそっと耳打ちした。
「ヘクセと名乗る少女だが、霊廟で捕獲された不届き者だ。目的を探って欲しい」
「……」
「幸か不幸か、アティアに気に入られたようだな。少女を表に出す代わりにお前が監視を続けなさい」
アティアが頬を膨らませて大僧正を睨んでいる。
「おじさん、へクセは悪い子じゃないよ。出してあげて!」
「しかし、お前も知っているように決まりというものがあるのだよ」
「修行でズルしたり、他の子いじめたわけじゃないもん。おともだちだもん」
ねー?と反省房に向かって同意を求めるアティア。ヘクセは笑ってアティアに答えた。
「大人の事情って便利なものがあるのだよ。子供に対しての言い訳はコレで大抵片付けられる」
「そうなのー?大人ってずるいよ。子供の事情もあればいいのに」
その返しに大僧正が噴き出した。
「まあいい、しばらく院内での滞在を許そう。ただし、カイの見える範囲でだ」
「……大僧正、それは貧乏くじというやつでしょうか」
「びんぼうくじってなあにー?」
「それはだな、心の貧しいものだけが引けるおみくじのことだよ。
当たりを引けば心が豊かになって、友達が増えるんだ」
「ヘクセってかしこーい!カイは当たりを引いたからわたしたちのおともだちになれたのね!!」
カイが呆気にとられている中、大僧正は静かに反省房の鍵を開けた。
「カイ、任せたぞ」
「大僧正も、お人が悪い……」
ゆっくりと扉を開け、中から出てきたのは、長い黒髪。顔を上げると黒い瞳に……浅黒い肌。カフールの人間ではない。異国の少女だった。歳は13~15くらいだろうか。
「よろしくな、カイ」
「とりあえず嘘を教えるのは良くないな、へクセ」
左手で交わした握手は、ほんの少しだけ、きつく握られた。
これはマリムラさん作