5章 静かな時間の意味
午後の商店街は、ゆっくりと熱を失っていく。
昼の賑わいはすでに過ぎ、
人の流れもまばらになっていた。
ソレアの前には、誰もいない。
肉は回っている。
だが、それを求める手はない。
ハルノは、カウンターに立ったまま、何もしていなかった。
「……暇だな」
ぽつりと、こぼれる。
——そう見えるだけだ。
頭の中の声が、すぐに返す。
「……どういう意味だ」
——この時間を、どう使うかだ。
ハルノは、ゆっくりと周りを見渡した。
店の中。
作業台。
ソースの容器。
どれも、問題はない。
……ように見える。
「……いや」
ハルノは、一歩動いた。
まず、まな板に手を置く。
ほんのわずかなベタつき。
気にするほどではない。
だが——
「……気づかなかったな」
布で拭き取る。
次に、包丁。
刃を軽く確認する。
昨日より、ほんの少しだけ切れ味が落ちている。
「……こんなもんか」
研ぎ石を取り出す。
静かな音が、店内に響く。
シャッ、シャッ、と一定のリズム。
その音は、不思議と心を落ち着かせた。
——悪くないな。
「ああ」
短く返す。
次に、ソース。
蓋を開け、匂いを確かめる。
問題はない。
だが、容器の縁に少しだけ乾きがある。
それを丁寧に拭き取る。
「……細かいな」
——それが差になる。
ハルノは、少しだけ笑った。
店の中を一つ一つ見ていく。
気づかなかった小さな違和感。
放っておいても困らない程度のズレ。
それを、整えていく。
時間はゆっくり流れていた。
誰も来ない。
だが——
無駄な時間ではなかった。
「……なるほどな」
ハルノは、小さくつぶやく。
忙しいときには見えないものがある。
流れに乗っているときには、気づけないことがある。
それは——
止まっているときにしか見えない。
そのときだった。
「……あ」
顔を上げると、あの少年が立っていた。
今日は、静かに歩いてきたらしい。
気づくのが少し遅れた。
「……いらっしゃい」
自然に言葉が出る。
前よりも、少しだけ柔らかい。
少年は、軽くうなずく。
「……甘口」
もう、迷わない。
ハルノも、うなずく。
「わかった」
肉を削ぐ。
その手の動きが、昨日までとは少し違っていた。
無駄がない。
力みもない。
スッと入って、スッと切れる。
「……あ」
少年が、小さく声を漏らす。
ハルノは、手を止めずに聞いた。
「どうした」
「……なんか、今日すごい」
その一言だった。
ハルノは、わずかに目を細める。
「……何がだ?」
少年は、少し考える。
「……わかんないけど」
それ以上、言葉は出てこない。
だが——
それで十分だった。
——伝わっているな。
「ああ」
ハルノは、静かにうなずく。
仕上げる。
余計なことはしない。
ただ、整った状態で出す。
「はい」
少年は受け取り、一口食べる。
「……うん」
その一言に、迷いはなかった。
ハルノは、ゆっくりと息を吐く。
「……そうか」
“何かを足したわけじゃない”。
ただ——
整えただけ。
それだけで、変わる。
少年は、いつも通り食べ終える。
「また来る」
その言葉も、もう特別ではない。
日常の一部になっていた。
「……待ってる」
ハルノは、静かに返す。
少年が去ったあと、店はまた静かになる。
だが——
さっきまでとは違う静けさだった。
「……暇じゃないな」
ぽつりとつぶやく。
——ようやく気づいたか。
「ああ」
ハルノは、少しだけ笑った。
何も起きない時間。
それは——
“準備の時間”だった。
そしてその準備は、確実に表に出る。
気づく者には、気づく。
言葉にならなくても、伝わる。
「……これも、ポースか」
静かな声で、そう言った。
風が、ゆっくりと店の中を抜けていく。
その流れは、さっきまでよりもずっと滑らかだった。
油断




